姉の話4 破壊し、守る右腕
僕は刃物のように鋭くなった右手で、折れた剣を持った敵と対峙した。相手の剣は再生して、元の長さに戻ろうとしている。
相手の剣戟を、僕はいなしている。涼子の相手をすることを考えれば容易い相手だった。
「お前が化ける奴の護衛ってわけかい。それじゃ、もう一人はなんだ?」
薄暗がりの中で、隠れていた男が銃を構えている姿が見えた。
「あー、そうくるか」
僕が言い切る前に、三発の銃弾が発射されていた。
僕はその直前に、目の前にいる男の剣を叩き折って、右手を銃の男に向ってかざしていた。その途端に、右腕の先が分かれて行き、密集した木の枝のような複雑な模様を作り上げた。
その壁に、銃弾は弾かれていく。
さらに剣を再生させて襲い掛かってきた男を、僕は蹴り飛ばした。男は尻餅をつき、取り落とされた剣が乾いた音を立てて転がっていく。
静寂が場を支配した。
彼らは考えているだろう。
剣を使っても勝てない。銃を使っても勝てない。ならば、何をすれば良い?
死にたくないから、ただ抗うしかない。
銃の男が、剣の男が、変身する女性の元へと駆ける。
そして銃を持った男が、両手を前にかざした。
壁のようなものが、三人の前に現われたことが感じられた。
「例えランクCの能力者でもこの壁は壊せまい! これが俺の真の能力だ! これを使って逃げさせてもらうぜ!」
壁のようなものに、僕は右の拳を叩き付ける。ランクAの潜在能力を篭めた、破壊のためだけの右腕を。その瞬間、不可視の壁は粉々に砕け散った。
それは、紛れもなく、相手の心を折るクリティカルヒットだった。
「ば、馬鹿な!?」
僕の腕の先に数本の枝状の刃が伸びて、銃を持つ男と剣を持つ男の腕を貫いた。
二人は蹲る。
そして、姉に似た女性と、僕の、二人だけが向かい合って立っていた。
懐かしい顔だった。憎々しげに僕を見ている表情を除けば、だが。
僕はただぼんやりと、その顔をしばし眺めていた。
「降参すれば、命までは取らないよ。再犯が起きないように対処はさせてもらうけど」
僕が呟き、女性の表情が緩んだその時のことだった。
銃声が響いた。
剣の男の胸と、銃の男の胸から血が溢れ出す。心臓を狙ったこれ以上ない的確な一撃だった。
「退きな、司」
振り返ると、暗闇の中で輝く火のついた煙草の先端がまず眼に入った。そしてワイシャツにスラックスといった、どこにでも居そうな格好をしたガタイの良い男が、銃を構えているのが見えた。
六角堂大輔。
特異能力対策会の狙撃手。特異能力で違反を犯した人間を誰であろうと眉一つ動かさずに始末する殺し屋。
特異能力対策会を人間に例えるならば、彼はその忠実な銃だろう。
僕はしばし、姉に似た顔と、大輔の顔を見比べた。
大輔が、煙草の煙を吐く。
「なんだ? そっちにつくか? それならちったあ楽しめそうだが」
僕は溜息を吐いた。
「組織を敵に回すほど愚かじゃないし、後ろのを守る義理もありません。なんで、ここがわかったんで?」
「死人から金を要求された奴がいるって間抜けな連絡があってな。特異能力絡みの犯罪だと思って来てみればこれだ。お前が犯人の仲間じゃないってのは外のお嬢ちゃんから聞いたよ」
コートに、縋りつく手があった。
姉に良く似た顔をした女だった。恐怖に歪んだ顔をしている。命までは取らないと言ったではないか、と言いたげだ。
しかし、大輔は対策会員で僕はそうではない。その差は絶対的なものなのだ。
僕は無言で、その手を蹴って大輔に向かって歩き始めた。
しばし歩くと、銃声がして、それきり物音はしなくなった。
敵は全員、死んだのだ。
特異能力を悪用した人間には死を。これが、特異能力対策会の戦い方だった。
この結末を避けようとして、僕と春日は戦いに身を投じたが、全ては無駄だったわけだ。
大輔は、三人分の死体を工場の隅へと運んで、物のように積み上げた。
それを僕は、ぼんやりと眺めていた。
特異能力が解けて素の顔に戻った女は、とても姉には似ていなかった。
春日がやってきて、大輔の姿を見て悲しげな表情になる。
その肩に、僕は手を置いた。
僕らは結局、誰も助けることが出来なかった。
その時だった。
廃工場の扉が、開いた。
男が、鞄を抱えて中へと入ってくる。
「すいません、ここに、二十代半ばの女性はいませんでしたでしょうか」
低い物腰で男が言う。死体は暗闇に隠れて見えていないらしい。
「あ~……」
大輔が困った様子で後頭部をかく。
「もういないよ」
僕は、淡々とした口調で言った。
「そのお金は、今いる人の為に使えば良い。あんたが助けようとした人は、もういないよ」
男は不審げな表情になる。
「お前……ヤクザか? 遥をさらったのか?」
「違う。あんたの探してる人は、本人の意思か、事故で、あんたの前を去った。人生には、そういうことだってあるんだ」
男の表情が歪む。
「けど、取り返すことだってできるだろう? 遥は助けてくれと言ったんだ」
「取り返せないことだって、ある」
僕は呟くように言ったが、男は納得しないようだった。
「司は私に相談しに来てましたよ。その情報も廃工場の犯人を絞り込むのに必要だったはずです」
涼子の弁解によって、僕達二人の協力員の逸脱行為はなんとか咎められずに済んだ。
僕と春日は、どうしてか太一を交えて、近くの酒場で乾杯していた。
「結局、誰も助けられませんでした。加害者も、被害者も」
春日は溜息混じりに言う。彼女の表情には、悔いが残っている。
彼女は本気で助けたかったのだろう、加害者までも。
僕は、加害者は助かれば運が良いなという程度に考えていたので、彼女ほど沈んではいない。
「全部ひっくるめて抱え込んで良い方向に導こうなんて、神様のつもりかな」
太一が遠慮のないことを言う。
「今回は運がなかった。それで切り替えてくしかない。死ぬまでは人間それで切り替えてけるもんだ」
「尤もな話だけど、なんか投げやりな結論にも思えますね」
僕は苦笑交じりに茶々を入れる。
「だってそう考えるしかないじゃないか。自分の不幸も他人の不幸も一々肩に背負っていったら、そのうち身動きが取れなくなる。潰れて社会活動が出来なくなるぞ。背負わずに適度に逃すのが長続きさせるコツなわけだよ」
「あー、だから太一さんっていつも元気なんですね」
「そ。余計なものははなから背負わないに限る」
「余計なもの、か」
春日が酒を一口飲んで、呟くように言う。
彼女の中では、彼女なりの葛藤があるのだろう。
今回、彼女は敵すらも助けようとした。注意と脅しだけで済ませてしまおうとした。特異能力者には住所と名前とランクが表示されたカードが配られている。それを確認すれば、ただの脅しにも効果が出てくる。甘い考えかもしれない。けれども、そんな彼女の考えが僕は好きだった。
「だからさ~、交通事故にあったと思って忘れよう。犬に噛まれたと思って忘れよう。溝に足突っ込んじまったと思って忘れよう。極めつけに上の階から花瓶が落ちてきたと思って諦めよう。くよくよしてたって、どうせ何も元には戻らないんだ」
酒を飲んでいるせいか、太一はいつもに増して饒舌だ。
「うーん、前向きに感情を処理しようと思います」
「そ、前向きが一番一番。さて、美味しかった」
太一はジョッキのビールを一杯飲むと、一万円札を机に置いてさっさと立ち上がった。
「一杯しか飲んでませんけど」
「若い二人を邪魔するほど俺は野暮じゃないよ」
「俺達、そういうんじゃありません」
「お似合いに見えるけどな」
「辞めてくださいよー。そういうのって本当に気まずくなる奴でしょ」
「はっはっは。面白いだろう? そういうのからかうの」
「小学生かよあんた……」
「一万円財布に戻しちゃおうか」
太一が一万円に手を伸ばす。
僕は掠め取るようにして一万円を確保した。
「いただきます」
「素直でよろしい。次回も明るい表情で出勤するように」
言って、太一は扉に体を向けて、一度だけ振り返った。
「ところで、司くん。何か良いことはあったかい?」
そう言えば、太一は言っていたのだ。僕に何か良いことが起こる気がする、と。
僕の脳裏に、一瞬、僕のコートを掴んだ女性の表情が思い浮かんだ。
「ありました」
僕は苦笑して答える。
「じゃあ、宝くじのほうは外れてそうだな。がっかりだ」
好き勝手なことを言って太一は去って行った。
後には、気まずい空気が残った。
カップル扱いされて春日はどう思っているだろう。それを考えると、僕はなんだか気まずくて仕方がなかった。
「……今回は助けられなかったけどさ」
春日が、ふいに口を開いた。
「うん?」
「次は助けられるかもしれないってことだよね」
なんでそうなるかな、と僕は思う。
「私が能力に目覚めたら、コンビを組もうよ、司くん。対策会はやり過ぎだと思う。私達で少しでも平和的に事件を解決するの」
「んー、まあ確かに今回は詐欺で死刑だもんな」
「連続殺人鬼が出たって、私達で被害が増える前に解決できるかもしれない。その場合、加害者は流石に対策会に引き渡すけど。司くんは戦闘系の能力だから、私は探索に有利な能力に目覚めると良いな。例えば予知とか」
「予知能力なんかに目覚めたら、俺の傍にいるどころか本部軟禁コースでしょ」
僕は苦笑しつつも、元気を取り戻し始めた春日に安心してもいた。
「私も戦闘系の能力のほうが良いのかな? ピンチの司くんを颯爽と助けに来たりして」
「そうだな。まあ、能力一生目覚めないかもしんないけどな」
「酷いなあ。司くんは、この手の事件をいくつも解決してる癖に」
春日は拗ねたような表情になる。
けれども、彼女と話す未来の話は、楽しかった。
家に帰ると、僕は黒いコートをしまい、姉の部屋に入った。
座り込んで、呟くように言う。
「ごめん、姉さんの顔忘れかけてた。今回の件で思い出せたよ」
くっくっくと、一人で笑う。あんまりにも皮肉な話なので、笑いたくなったのだ。
それが、僕の身に起こった、良かったことだった。
「姉さんだったらもっと上手くやったのかね。まあ、姉さんは大輔さん側の人間だからあてになんないんだけどさ」
暗闇の中に話しかけても、返事などない。
太一ならば、不毛だと一蹴しているだろう。それでも、今は誰かに愚痴りたい気分だった。
「なんか精神的に疲れたんだ。春日に愚痴るわけにもいかないし、こういう時姉さんならどうしてたんだろうね。人を殺す仕事なんて、今回の僕みたいな気持ちを何度も味わっただろうに」
僕は、溜息を吐いた。
「疲れてるな……。晩飯をきっちり作ってた姉さんは立派だと思ったよ。自立してる社会人は偉いもんだ」
その日、僕は疲れもあって自室でぐっすりと寝た。
一晩寝ると、少しだけ気分が楽になっていた。
人間なんて、そんな単純なものなのかもしれない。
そして、ふと気がつくのだ。
敵は、周囲の人がもっとも会いたいと思う人間に化ける能力者だった。
ならば、何故春日は僕の姉に会うことを望んだのだろう。僕の姉の生存を望んだのだろう。
その理由は、僕にはわからなかった。
次回、親友の話(予定)