地縛霊の話2
僕達は図書館で、過去の新聞記事を漁っていた。
太一が聞き込みで得た情報から、目当ての記事は簡単に見つかった。
少女が通り魔に刺されて亡くなった、という一年前に発行された記事だ。
地縛霊が名乗った吉田京子と言う名前が、被害者の名前と一致していた。
「これは対策会支部の怠慢だな」
太一が呆れたように言った。
「……ランクBでも見えないほどの微弱な霊です。大衆に与える影響は少ないでしょう」
祥子が拗ねたように反論する。
京子が見えなかったことに対して、プライドが傷ついているのだろう。
「けどなー。ああいう自殺の名所には悪い気が溜まるもんなんだよ。放置しておけば弱い霊も気を吸って大衆の脅威となる。祥子ちゃんも知ってるだろう? うちの地域でも、悪い気の集まる場所には双子の対策会員が常駐してるしな」
祥子は黙り込んだ。反論出来なかったのだろう。
「ともかく、さっさと対処してしまおう。中枢さえ壊せばあの手の霊は霧散する」
「……姿を見るのがやっとなのに、中枢なんて見えませんよ」
とりあえず案を出すのが太一、現実的に考えて却下するのが僕、僕らの間では良くある構図だ。
「しかし、ある程度成長するのを待ってるのも危ないしなあ。こっちの支部に監視を任せるか?」
「話し合いでどうにかしようって考えないんですか?」
不満げな栞の言葉に、僕と太一は顔を見合わせた。
「霊になってまで他人の不幸を見たいって奴を矯正できるもんですかね」
「俺はそもそも見えないから、話し合いに参加できんしな」
「けど、中枢? を潰しても彼女は帰ってくる。そんな気がするんです」
「予知能力者としての先読みか?」
太一が、栞を興味深げに見る。
「私の予知能力は、完全には目覚めていません。だから、コントロールできていないけど。なんとなく、そう感じるだけです」
「ふむ、その感覚は大事だなあ」
そう呟くと、太一はしばらく考え込んだ。
「わかった。俺は通り魔の情報を集めるから、司くんと栞ちゃんは会話による説得を試みてくれ」
「……俺の傷心旅行の予定でしたよね、これ」
「心の傷の穴埋めにはなるかもしれんぞ」
太一がもっともらしく言う。
「親友は助けられなかった。けど、遠く離れた地の霊は助けられるかもしれない」
「メリットないですよね」
「心のメリットがあるかもしれない。まあ、深く考えずに体を動かすのも大事なことだよ」
「俺が動かすのは口ですよね」
「不満なようだね、司くん」
太一は苦笑している。それを見ていると、僕も少しだけ心がほだされる気持ちだった。
「やりますよ。見て見ぬふりは出来ませんからね」
これは僕の傷心旅行のはずだった。けれども、昔の知り合いが見ていたならば、けして関わらずにはいられないだろうと思ってしまったのだ。
「よし、話はまとまった。ほい」
そう言って、太一は祥子に掌を差し出した。祥子は、戸惑ったようにそれに視線を落とす。
「なんですか、その手」
「通り魔の情報は警察に聞くのが手っ取り早いだろう? つまり、対策会に所属してる君の手助けがいるわけだ」
特異能力対策会は警察と協力関係にある。つまるところ、対策会に所属している人間ならば情報を貰えるのだ。そして、この中で対策会に正式に所属しており、それを証明できるのは祥子だけだった。
「……手助けするっていつ言いました? 私はあくまでも栞さんの護衛です。それ以上でもそれ以下でもない」
祥子は冷たい視線を太一に向ける。
「それじゃあ祥子ちゃんはランクBなのに事件解決になんの役にも立たないのか~」
太一の言葉に、祥子の眉が小さく上下した。
「それって、恥じゃない?」
祥子はポケットから財布を取り出すと、一枚のカードを中から引っ張り出して荒々しく太一の手に叩き付けた。
「好きにすれば良いわ」
祥子は腕組すると、視線を逸らして黙り込んだ。
案外と扱いやすい人だな、と僕は半ば呆れながらその姿を見ていた。
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僕と栞は並んで歩いていた。その背後に、拗ねた様子の祥子がついてくる。
そして、僕らは目的地に辿り着いた。
寺に生えている木と、その根元に座り込む一人の少女。少女は膝に額を付けていたが、ゆっくりと顔を上げて僕らを眺めた。
「また来たんだ」
淡々とした口調で彼女は言う。感情の読めない表情だった。
「うん、また来た」
そう言って、僕は彼女の傍に座り込む。
「不毛なことしてるな、って思って」
「不毛?」
「他人が不幸になっても、君が幸せになるわけじゃない。自殺する人を眺めてたって、君は幸福にはなれない」
少女は、唇の端を持ち上げて微笑んだ。
「安心できるわ。自分だけが不幸じゃないって知れるって大事なことよ。それに、人間が皆聖人君子なら、他人の不幸は密の味、なんて言葉はこの世に残ってないはずよ」
僕は黙り込む。あっという間に論破されてしまった。
論争ならばここで、君は可哀想な人だなと一方的に哀れめば良いだろう。それで精神的に勝った気にはなれる。けれども、これは説得なのだ。
「……数秒で子供に論破されてどうするの」
栞が励ますように言う。僕は慌てて、言葉を重ねた。
「とりあえず、気分転換に他の場所へ行く気はないか?」
「ううん。ここで死ぬ人を待つの。ここは通学路だわ。同じぐらいの年頃の子が毎日通る。暗い顔をしている子、悩んだ表情をしている子、色々といる。それを眺めて安心するのが私の日課」
「そんな発想ばかりしていたら、邪念になるぞ」
「邪念?」
「人に害を与える霊だ」
「私は自分の手で人を害する気はないわ。そんなことしたら、私を殺した人間と一緒になっちゃうじゃない。私はただ、眺めるだけ」
「邪念は無意識のうちに人の心に悪影響を与える。対策会に消されるだけだ」
「対策会?」
「俺達みたいに、君が見える存在が世の中には沢山いる。その中には、君のような存在を消すためのプロフェッショナルが沢山いるってわけさ。君はこのまま負の念を大きくしていけば間違いなく対策会に消される。君だって、消されたくないだろう?」
「どうせもう私は死んでるもの。怖くないわ」
「動く気は、ないのか」
「せっかく家も出て自由になれたのよ? それは、好きな場所で暮らすってものよ」
僕は溜息を吐きたい気持ちになった。傷心旅行で県外までやってきて、僕のやっていることは一体なんなのだろう。捻くれた不良幽霊の説得だ。
そして、中学生ながらに家を出たことを誇る彼女に僅かな違和感を覚えてもいた。
「あなたは、自分を刺した人間は恨んでいないの?」
不思議そうに、栞は言った。
僕は眼を見開いた。そういえば、京子は自分を刺した人間に対する恨みを一言も口にしていないのだ。大抵は、この手の悪霊は復讐心で一杯になっているものだ。
「私を刺した人間なら、見つけたわ」
淡々と、少女は言う。
「あなた達に言えば、捕まえてくれる?」
「警察に情報を提供することは出来るだろうね」
「なら、情報提供するわ。あのね、犯人は……」
僕はポケットからメモ帳を取り出して、彼女の紡ぎだす情報を書き取り始めた。
「じゃあ、俺達が警察に情報提供するから、君は成仏を考えてくれよ」
「……考えておくわ」
京子は、呟くようにそう言った。
メモを持って、僕達はその場を立ち去った。
「幽霊からの情報提供で犯人逮捕、ですか。まるでイタコですね」
僕の発言から会話の内容を察したらしい祥子が、呆れたように声をかけてくる。
「ねえ、貴方、その才能を対策会に報告すれば、ランクEなんかじゃ収まりませんよね。栞さんクラスの能力者でしか見えない幽霊が見えるなんて、ランクCを与えられても良いんじゃないかしら」
僕は冷や汗が流れるのを感じた。彼女の前で、力を見せすぎたと言う実感があった。
「……まあ、いますよね。対策会に取り立てられないように、自分の特異能力を隠す人。上手く目をかいくぐるものだと思いませんか?」
「意地の悪い言い回しに思うけどな」
僕は苦笑して、祥子の言葉を受け止める。
「意趣返しですよ。貴方の上司には散々良いように使われてますからね」
自覚はあったのか、と僕は驚いた。
通り魔は捕まり、一週間の後に自白した。
僕は新聞紙を持って、京子の木の下へ歩いて行った。犯人逮捕の記事を、京子に突きつける。
「……で、移動しようぜ。見晴らしの良い海にでも行こうじゃないか」
「……ここに居たら安心できるから、良いじゃない」
拗ねたように京子は言って、動かなかった。