第二章 記憶②
一日と欠かさず見舞う瑞樹に、世梨花は心を開かせていない。あの時に見せた表情も、未だに見え隠れさせている。
「妹尾さん」
長椅子で落ち込んでいる瑞樹を見つけ、乃ノ美は声を掛けた。
あの自信に満ち溢れている笑みはなく、萎れた30過ぎの野暮ったい男に成り下がっている瑞樹を励ますように、乃ノ美は明るい声を作る。
「まだ駄目なんですか?」
「なんか、すごく警戒されている感じで、婚約者だって言っても信じてくれないんだ。きみのことは、思い出せたっていうのに」
乃ノ美は瑞樹の横に座ると、背中を摩ってやり微笑む。
「思い出してなんか、いませんよ。ただ世梨花といた時間が、妹尾さんより長かっただけで、聞かせてあげられる材料が多いだけっていうことですから。そう落ち込まないで下さい。相談なら、いくらでものりますから」
「乃ノ美ちゃん」
涙ぐんだ目で見る瑞樹に、乃ノ美は胸を一つ叩いて見せ、ゲラゲラと笑う。
乃ノ美は優越感に満ち足りていた。
頭に包帯を巻かれた、世梨花が振り返る。
額についた傷は、一生残ると医師が説明していた。瑞樹は金に糸目をつけずに、治すと息巻いていたが、当の本人が瑞樹を受け付けないのだから、ほくそ笑む自分がそこにいた。
「世梨花、気分はどう?」
「乃ノ美さん、今日も来てくれたんですか?」
「あたりまえじゃない。私たち親友なんですもの。そうだそれより」
チラッとドアの方を見てから、乃ノ美はカバンの中からアルバムを取り出す。
今日はこのまま帰ると言って別れたが、気が変わって、瑞樹に戻って来られては困る。
世梨花の膝の上にアルバムを置いた乃ノ美は、わざわざドアの外まで確認する。
今まで気が付かなかったが、瑞樹の異常とさえ思えるほどの世梨花への執着心が、乃ノ美にそんな行動をとらせていた。
「妹尾さん、いい人だけど、もう世梨花のこと諦めてくれればいいのに」
強張った顔で見返す世梨花に、笑顔を崩さないまま乃ノ美は続ける。
「確かに、婚約までいったけど、世梨花、他に好きな人がいて、諦められないから。と断ったのに、しつっこいわよね」
世梨花に顔を近づけ、持って来たアルバムを開き始め、ヒカリを指さす。
「この子、覚えている?」
目を見開くのを確認した乃ノ美が、世梨花の肩を抱く。
「可哀相な世梨花。あんなに愛していたのに、その記憶まで、失くしてしまったのね」
「この人は?」
「椎野ヒカリ。高校の3年間、付き合っていた彼。二人の関係をみんなにばれたくないというあなたの我侭を聞いて、ジッと耐え忍んでくれた、あなたの一番の理解者」
「しいの……ひ、か、り?」
「私に任せて、上手く取り持ってあげる」
乃ノ美は、世梨花を強く抱きしめる。
すべてが乃ノ美の思うつぼだった。
両親と共に帰って行く世梨花を見届け、乃ノ美は瑞樹の首に手を回す。
「どうしたんです。こんな場所で」
「私、ずっと妹尾さんのことが、好きだった」
「乃ノ美ちゃん?」
「私を、抱いてください」
「止さないか」
突き飛ばされた乃ノ美が、声を上げて笑い出す。
意味が分からずにいる瑞樹に、軽く頬にキスをしてから、良かったと胸を撫で下ろす真似を見せる。
「良かった。世梨花、ずっと心配していたから」
「何の話?」
「瑞樹には、自分以外の女が居るんじゃないかって」
動揺した瑞樹の、目が忙しく動く。
「そんな女たらしなら、一度実験してみましょって、約束していたんです。まぁ、私じゃ役不足かなって言う感はあったけど、世梨花があんなになっちゃって、やりたい放題かなって、ちょっと心配になっちゃって」
上目使いで見る乃ノ美に、止して下さいと笑って言うが、明らかに動揺しているのが分かった。
「男なら、そんな遊び、普通ですよね。妹尾さんくらいの地位になればなおさら」
耳元で囁いた乃ノ美が、微笑む。




