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第五章 真相①

 事実を隠し、瑞樹は本格的な治療のため辞任。変わって母親がその座についた。がそれも束の間、父親殺しの容疑が掛かった亮子の遺体が、真知子が使用していた別荘から見つかり、逮捕されるという結末を迎えていた。

 実質的に妹尾一族は名だけ残し、会社から退くことになり、複雑な思いでヒカリと乃ノ美は妹尾を見舞う。

 身の回りの世話は、一颯が変わらずにしているのを知り、二人は顔を見合わせる。

 「瑞樹とは長い付き合いです。高校の時から、ずっといつも一緒だった」

 鍵のかかった扉の向こう側に目をやりながら、一颯は小さく笑ってみせる。

 「本当に良い奴だったんです。だけどある日、深刻な顔をしたあいつが、死にたいと言い出して……」

 その日は、熱を出して寝込んでいた瑞樹を看病の為、母親が部屋に入って来ていた。汗でぬれてしまった洋服を着替えさせる名目で裸にさせた母親は、そのまま瑞樹に迫り、男の部分を刺激し、ついに超えてはいけない一線を越えさせてしまった。それから、母親は執拗に躰を求め、その抑圧から逃れたいという気持ちが、全ての発端になってしまっていた。

 当時、父親の知人から家庭教師を頼まれた瑞樹は、それが亮子との出会いだった。

 まだ中学生だったが、亮子の美少女ぶりは既に発揮されており、二十歳そこそこの青年には、二人きりの時間は毒気を回させるものになる。がしかし、辛うじて保っていた理性はもろくも崩れ去ってしまうのに、そう時間はかからなかった。

 部活で遅くなったという亮子。汗で透ける下着を目の当たりにしてしまい、本能が目覚めだす。あっという間の出来事だった。

 押し倒してしまいすぐに正気を取り戻した瑞樹を、誘導したのは亮子の方だった。

 また亮子も拒むこともなく、むしろ二人っきりになるように仕向けたのだった。

 勉強に集中したいからと言って、亮子はその日を境に、部屋に誰も寄せ付けないように仕向け、二人は夢中で躰を重ね合う。

 誰も来ない時間。それが瑞樹にとってどんなに魅力的で、苦しいものだったのか亮子には計り知れなかったのである。

 その日も、自己嫌悪に苛まれながら、亮子の躰に這わせている指先が止まり、瑞樹は声にならぬ驚きを見せていた。

 恐れていたことが起きてしまったのである。

 「私、産みたい」

 一瞬にして、現実が目の前を通り過ぎて行く。

 よろよろと立ち上がる瑞樹に、亮子は後ろから抱き付く。

 「良いじゃない。私たちはきっと結ばれる運命だったのよ。両親は驚くかもしれないけど、両家にとって申し分がない縁談よ。財閥同士の結婚。なんてすばらしいの。ああ待ちどうしい。瑞樹さん16になるのなんてすぐだわ。そしたら」

 そんな言葉を振り切り、部屋を飛び出していく。

 

 亮子の困ったような笑顔で、囁いた言葉が、耳の中で木霊する。

 

 自分が、どうしてこんなことをしてしまっているのか、瑞樹には説明が付かずにいた。


 その夜、大量の睡眠薬を飲み一命を取り留めた瑞樹。

 その発見をしたのは、辛くも真知子だった。

 すべての事実を知り、怒りに肩を震わせた真知子が次にとった行動は早いものだった。

 心のケアもままならぬまま、事実を隠すために渡米を強いられた瑞樹に同行したのは一颯だった。

 それは瑞樹が唯一望んだことだった。


 あの日以来、一度も姿を見せなくなってしまった瑞樹を、亮子は怨む気などない。いつか自分の元へ帰って来てくれる。そんな確信に満ちた自信があった。膨らみが目立ち始めたお腹に手を当て、ほくそ笑む。

 両親に隠れ荷物を纏め、家を出た亮子の背後から忍び寄る影。

 

 悲鳴が響く朝の構内。

 階段から転げ落ちてしまった亮子の目に、信じられない光景が映っていた。


 瑞樹ちゃんのオイタにも困ったものだわ。

 ふっと笑みを漏らした真知子が、踵を返し、騒ぎに紛れて行ってしまう。

 どうして?

 薄れて行く意識の中、亮子は確かに聞いたのだった。

 あの子は、私のもの。誰にも渡さない。



 瑞樹が乃ノ美を見てあどけない笑みで抱き付くのを、ドア越しでヒカリは黙ったまま見ていた。

 

 「亮子は」

 そう言いながら振り返るヒカリに、一颯は静かに笑う。

 「何一つ、母親らしいことをしてこなかったのです。そのくらいさせても、罰は当たらないでしょ」

 「あなたの本当の目的は」

 「もう忘れました。昔の話です。それより乃ノ美さんは実にお優しい方だ。瑞樹がこんなになってしまったのに、打算もなく献身的にしてくださいました。妹尾グループを任されるお方だと、私は今でも思っています」

 「あいつには無理です。そんなに強くない」

 「そんなことは」

 「俺には分かるんです。ずっと見て来たから。あなただってそうでしょ」

 淋しそうに微笑む一颯の視線が瑞樹へ向けられる。

 「憎しみは、人を強くする。彼は、私にとってそんな対象でしかなかった。何でも持っていて、何の不自由もなく育てられたお坊ちゃん。金でものを言わせ、鼻持ちならない男。私の人生と全く真逆に生きている彼、瑞樹が、私はどうにも好きになれなかった。ある日、私の考えは変わったんです。利用できるものなら、何でも利用してやろうって」

 「だから、妹尾さんと母親との関係を乃ノ美にそっと教えたんですね」

 苦笑する一颯に、ヒカリはまっすぐ目線を合わす。

 「あなたには参りますね。その通りです。世梨花さんが父親に抱かれているを、瑞樹に教えたのも、この私です」

 「そして、事件は起きてしまった」

 「その通りです。乃ノ美さんは実に良い動きをしてくれました」

 「それは、世梨花に対しての愛ですか」

 目を見開く一颯だったが、すぐに笑みに変わる。 

 ヒカリは、ドア越しに見える乃ノ美たちへ視線を戻す。


 --数日後。

 

 風が少し冷たかったが、気持ちがよく感じ、乃ノ美は後ろを振り返り、ゆっくり歩きヒカリの名を呼ぶ。

 大きく膨らんだ乃ノ美のお腹の子は、8カ月に入っていた。

 二人は、気晴らしの為、温泉地を訪れていた。

 「ねぇ、宿へ行く前に行きたいところがあるの。行っても良い?」

 ヒカリが首を傾げる。

 「ロープウエイ、好きなんだよね」

 案内板を眺め話す乃ノ美を呆れた顔で、ヒカリはダメと言う。

 「何で?」

 「お前な、腹の子のことも考えろ」

 「あら、安定期だし。あれも立派な交通手段だよ」

 「だけど、心配だからダメ」

 お腹に子供を宿してから乃ノ美は一つ、気が付いたことがある。

 ヒカリがやたら心配性だってことだ。

 「はいはい」

 「返事は一回」

 タクシーに乗った乃ノ美が、行先を告げると、わずかにヒカリの顔色が変わる。


 無理して買ってしまった家のローンを払うため、会社に内緒でヒカリは深夜のバイトをし始めていた。

 先に降りたったのは、乃ノ美の方だった。

 子供が生まれる前に、二人きりでのんびりしようと切り出したのは、ヒカリの方だった。瑞樹との関係を疑ってしまった罪滅ぼしの意味もあったが、やはり母親のように慕われる乃ノ美を目の当たりにさせられ、複雑な心境になってしまったのも事実。

 時間がないヒカリは、直前までどこへ行くのかさえ知らずにいた。

 すべて乃ノ美に委ねてしまっていた。

 料金を支払い、降り立ったヒカリは旅館の佇まいを見て、眉を顰める。

 「うん、思った通り。悪くない。ね、ヒカリ」

 ヒカリの表情を見て、乃ノ美は首を傾げる。

 「どうかしたの?」

 「いや」

 「そう。今日はゆっくり温泉に浸かりましょうね」

 お腹の子に話し掛けると、乃ノ美はロビーへと入って行く。

 その次の瞬間、乃ノ美は目を見開き、ヒカリを見る。

 「世梨花っ」

 思わず叫んでしまった声に、仲居が顔を強張らせる。

 「あなた、こんな所に居たの?」

 「乃ノ美さん、お久しぶりです」

 「お久しぶりじゃないわよ。私がどれほど心配したと思うの」

 その言葉は、半分は本心で半分は偽りだった。

 確かにいなくなったと知った当時、乃ノ美は気をもみ、身体はまだ自由がきかず、繋がらない携帯を鳴らし続けることしか出来なかった。繋がらない電話を握る一方、片時も離れようとしないヒカリを、気が気でない思いで見つめていた。 

 「いつからなの?」

 部屋に案内された乃ノ美に聞かれ、世梨花はお茶を注ぎながら小さく微笑む。

 「もう3年が経ちます」

 「じゃあ、いなくなってしまってから、ずっとここに?」

 「ええ。以前、こちらに住んでいたことがあったものですから」

 「てことは、記憶、戻ったの?」

 一瞬、動きを止めた世梨花は、明るい笑みで、そうじゃありません。母が教えてくれたんです。それで、どんなところかと思って訪れて、それっきり、気に入ってしまって」

 世梨花はそう答えながらお茶を組み、差し出す。

 驚きを顕わにする乃ノ美と違って、ヒカリは冷静そのものだった。備え付けの椅子に腰かけ、外を眺めたまま、二人の話に耳を傾けていた。

 「それよりも、おめでとうございます」

 「え?」

 「御結婚、されたのですね。お腹の子は、何か月ですか?」

 「ああ、ありがとう。8カ月に入ったばかり」

 「それじゃ重いでしょ」

 「ええ、もう腰が痛くて。毎晩ピカに揉んでもらっているの」

 「それは御馳走様です」

 ようやく高校時代のように笑い合った二人を見て、ヒカリも自ずと笑みを溢す。

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