第四章 疑惑⑦
警察署まで迎えに来ていた乃ノ美を見て、ヒカリが嬉しそうに微笑む。
言葉はなかった。
強く抱きしめられた乃ノ美が、おかえりというと、ただいまとヒカリは唇を寄せた。
突然、容疑が晴れてヒカリは釈放されたのだ。
覚悟を決めた乃ノ美は数日、妹尾家の屋敷で過ごしていたがある日、いつになく真面目な顔をした瑞樹が、車いすを押す乃ノ美の手を止めさせた。
まだらに取り戻す正気。
一颯から話は聞いていた。
そのほんのわずかな瞬間に、一颯はいろいろな手続きを済ませ、何とか妹尾グループを存続させている。並大抵な事ではない。ずっと付っきりでそのチャンスを狙うのはかなり難しい。だからこそ、乃ノ美の存在が必要である。
凛とした顔をした瑞樹に見詰められ、乃ノ美は心を震わせる。
今なら、ヒカリのことを頼めるかもしれない。
乃ノ美が口を開くより先に、瑞樹が思いがけない言葉を発する。
一瞬の間ができ、乃ノ美は訊き返す。
「きみはこの家にふさわしくない」
半信半疑で見つめる乃ノ美に、瑞樹は小さく笑って、車いすから立ち上がった瑞樹が乃ノ美を抱き寄せる。
「きみを巻き込んでしまって、すまない。後のことは、僕が何とかするから。あそこからなら、誰にも見られずに出て行ける。さぁお行き」
驚いている乃ノ美の背を、瑞樹が押す。
「妹尾さん」
「振り向いちゃだめだ。引き留めたくなってしまう。もう充分だ」
「いつから」
「少しだけど、これを持って行きなさい」
瑞樹は数枚の札を乃ノ美に握らせた。
「さぁ早く」
出て行ってしまう乃ノ美を目を細め見ている瑞樹の横へ、そっと近寄ってきた一颯が話しかける。
「本当に良いのか」
「ああ。あの人も十分苦しんだろうから。それに僕が愛する人は、たった一人だけだからね」
「仕方ないなぁ」
「すまん」
一颯はやれやれと頭を振りながら、瑞樹を屋敷へと連れ戻して行く。
しばらくの抱擁の後、二人で住んでいる部屋とは違う方角へと電車を乗り継ぎ、一軒の家の前に居た。
きょとんとしている乃ノ美を見て、ヒカリはにやりとする。
「ここが、俺たち、親子のお城」
驚く乃ノ美の手を引き、中へ入ったヒカリは得意満面で、どうよ。と胸を張って見せる。
「いつの間に?」
「ずっと考えていたんだ。宙ぶらりんなのが、乃ノ美の不安に繋がっているんじゃないかって。まぁ少々高い買い物だったけど、一応、前に乃ノ美が話していた物件に近いものを探したんだけど」
ヒカリには珍しく、媚びるようなまなざしだった。
乃ノ美は思わず吹き出してしまう。
「あのね、こういう大事なものを買う時は、相談してよ」
「相談しようがないでしょ。何度も連絡したのに、お前、全然取り合ってくれなかっただから」
痛いところを突かれ、乃ノ美はしぼむようにごめんと謝る。
「いいよ。許してやる。その代わり」
「その代り、何よ」
「頼むから、俺を信じてくれ」
信じていないわけではなかった。
「それはちが……」
乃ノ美は唇を奪れ、言葉は遮られる。
「もうそれ以上、苦しまなくていい」
ヒカリの優しさが、ささくれてしまった乃ノ美の心にそっと寄り添い、そのひと月後、小さな教会で式を挙げた。




