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第二章 記憶④

 本格的に梅雨前線が張り巡らされる予報を眺めながら、乃ノ美はヒカリにメールを打つ。

 (今日は絶対にへまらないでよ)

 送信ボタンを押してから、乃ノ美は窓に目をやる。

 雨が降るような空には見えない。真っ青な空がそこにはあった。

 

 ヒカリの返信はいつだって早い。

 (わかった)

 「味気ない奴」

 

 携帯を耳に押し当てる自分が鏡に映り、乃ノ美は一回舌打ちをし、電話を切って待ち合わせ場所へと向かう。

 すべては順調に進んでいるのに、乃ノ美の心は晴れずにいる。

 もしかして世梨花の記憶は、もうとっくに戻っているのではないかと、脳裏をかすめて行く。何かがおかしいのだ。ヒカリの写真を見せた時、世梨花は何も言わずにいた。二人は病室で会っている。それを仕組んだのは自分なのだから、もう少し違った反応を待っていたのに、初めて知るような態度が、乃ノ美には気に入らなかった。


 高層ビルが立ち並ぶ中、ひときわ高くそびえ立っているホテルを見上げ、乃ノ美は躊躇する世梨花の背を押し、中へと入って行く。


エレベーターホール前、沢山の人だかりを縫って亮子が、満面の笑みで二人に手を振る。その後ろから、スーツ姿のヒカリが顔を覗かせるのを、乃ノ美は確認してから、大げさな声を上げ、仲間に加わる。

 「りょう、約束通り連れて来たわよ」

 「良かった。来てくれなかったら、どうしようかと思っちゃったわよ」

 乃ノ美はヒカリに目配せをする。


 会話を弾ませた集団がエレベーターに乗り込み、始終笑みを絶やさないが、視線は世梨花の元にあった。

  

 数名と歓談している亮子を、乃ノ美は盗み見る。

 引けを取らないスタイルと、整った顔立ち、もしかしたら世梨花より勝っているんじゃないかと思う。仕事を持っている身とはいえ、学力もそこそこあった。

 確かに、お世話になった先生の御勇退という立派な理由はあるが、それほど慕っていた教師でもなかったはず。

 ヒカリが視界の端に映る。

しかし……、乃ノ美は呆れるように会場を見まわす。

 どういう手を使ったのか、そこは世梨花と瑞希が披露宴を行う予定の会場だった。 

 「シェリー」

 ひときわ賑やかな歓声が上がり、あっという間に二人は数名に囲まれてしまうが、タイミングよく亮子に呼ばれ、乃ノ美はその場を世梨花を一人残し、離れる。

 強引に仲間に加えられた世梨花が、苦笑しながら会話に合わせている姿は、実に滑稽で気分が良い。これだけでも乃ノ美は十分満足だが、急にこんな話を持ち掛けてきた亮子の真意が読めずにいた。


 元担任だった佐田山と歓談をしていた亮子は、くだらない会話に参加させるためにだけ、乃ノ美を呼びつけたのだ。自分の功績を褒められ、のろける亮子に話を合わせる傍ら、乃ノ美は、無情に話を振りかけられている世梨花に気を取られ、ほとんど話が耳に入ってはいなかった。

 おそらく亮子の差し金だろうと、察しはつく。

 女は恐ろしい生き物。あんなにも高校時代仲良くつるんでいたのに、弱みを見せた途端、あの有様だ。

 矢のように降り注がれる質問に、ただ顔をひきつらせている世梨花を黙って見ていられなくなった乃ノ美が、一歩進み出ようとした時だった。

 「ピカ?」

 「何よ、椎野」

 「少し、休んだ方が良い」

 そう言ってヒカリが、世梨花の腕を取り、会場から連れ出して行くのを見て、乃ノ美の心は凍りつく。

 「姫宮さん、どうかした?」

 「ううん、何でもない。しかし亮子、凄いわね。よくこんな会場手配、出来たわね」

 顔を覗き込まれた乃ノ美は、慌てて笑顔を繕う。

 「ちょっとした知り合いがいるのよ」

 「そうなんだ」

 亮子の勝ち誇ったような笑みを見て、乃ノ美は首を傾げる。

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