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ひと夏の魔法  作者: 夢宮
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あなたの都へ

大学生最初の夏休み、里見は実家に里帰りしていた。

午前中は畳床でゴロゴロと過ごし、午後は母の手伝いや散歩で時間を費やす。

山々に囲まれた此処らにはスーパーさえなく、

何かしようとなれば町まで出ないといけなかった。

ある日の午後、

里見はふと寝ていた身を起こして階段を駆け下りた。

「母さん、今日は紫呉さんとこ行ってくる」

キッチンから母の声がした。

「あんた連絡はしてあるの?」

玄関で靴を履きながら「うん」と返すと、短パンにTシャツ姿のまま家を出た。

「遅くなるんじゃないわよ」

という叫びを背中で聞いた。

天候は申し分ない晴れ。暑い中をずんずん歩く。

だだっ広い田んぼ道を抜け、ざわざわと川が騒ぐ小さな橋を渡り、

ひっそりとした林道を過ぎて辿り着いたのは古い建物だ。

白い壁は黄ばんでいて、本来正方形の外形はやや傾いている。

中はうず高く積まれた本、ガラクタみたいな骨董品で溢れていた。

里見がそれらをぐるぐる見回していると、

突然ドタドタと地響きが鳴った。

「いらっしゃい」

隅の階段から嬉々とした顔の紫呉が現れた。

「ノックくらいしてくれればいいのに」

「しても気づかないでしょう、紫呉さんは」

床に転がった瓶やらなにやらを避けながら二階に上げてもらう。

そこも同様のあり様だったが、かろうじて

部屋の中央に脚の欠けた机が置かれていた。

里見が椅子に座って視線を巡らせていると、

「そんな風に楽しそうに見てくれるのは、里見ちゃんだけだよ」

一旦引っ込んだ紫呉が茶器を持って戻ってきた。

「用途がわかんないけど、物珍しいものは好きよ、私」

紅茶が注がれ、わいわいと談笑が始まった。

大学はどんな感じ?

勉強はどう?

下宿は大変?

友達は出来たの?

紫呉の問いに里見は次々答えた。

だが、最後の問いにはぐっと息を詰まらせてカップを下げてしまう。

「まだダメなのかい?」

答える代わりに、里見はぎゅっとカップをもつ手に力を入れた。

「全然ではないよ。挨拶ならちゃんと返せるようになったし、目があってもあからさまに避けたり、ビクついたりしなくなった……でも、いつも一緒にいるようなことは…」

小、中学の六年間いじめにあった。

高校に上がるときには人と接することが怖くなって…。

自分から周りを避けるようになった。

それは大学に入ってからも変わらない。

「一人が嫌ってわけじゃないの……ってかむしろ楽だし」

「里見ちゃん」

じりっと睨まれる。

だがすぐに紫呉は息を吐いた。

「まぁいいか。なにも今すぐに解決しないといけないことじゃないし、時間もかかる問題だよね」

里見は微笑して紫呉を見た。

何かを飲み込んだような表情に、紫呉が自分を気遣ってくれたのだとわかる。

紫呉は里見の嫌がる話は絶対にしない。

気遣い、思い、慈しみ、いつだって大切にしてくれる。

一緒にいられる存在、自分が自分でいられる存在。

多くなくていい。

でもあと少し、そういった人が増えたら…とも思う。

突然、紫呉が立ち上がった。

「ちょっと来て。見せたいものがあるから」

そうしてやや引っ張られるように連れていかれたのは、家の地下室。

地下へと続く階段を降り、紫呉が電気をつける。埃っぽい。

一室に通され、少し待っててと告げられる。

「すぐ戻る。あ、でも左の棚にあるものには触れないでね…危ないから」

どこか含みを秘めた微笑で去る。

里見は部屋を振り返った。

棚から崩れ落ちたらしい分厚い本の山、実験機具や計量器がいたるところに散乱している。部屋の半分は完全に埋没していた。

「うわ、ひど…」

人はいいのに身の回りはお粗末な紫呉も、ここまでくると相当だ。

しばらくじっと待っていた里見だが、ふと左の棚が気になった。

近づく。キラリと何かが光った。埃を吹いてみると、それはブローチだとわかった。

「……綺麗」

ずいぶん古そうだ。

だが、真ん中にはめ込まれた蒼い宝石が眩いばかりの光を帯びている。

里見は不思議な感情に駆られた。

そっと触れたその瞬間___里見は光の渦に飲み込まれた。


気がつくと、真っ白な空間にいた。

静かだ。

自分の微かな息遣いさえ聞き取れる。

里見はその空虚感に身を震わせた。

気が動転していた。なにが起こり、どうなっているのか、考える余裕がまるでなかった。

白い闇に灯りがともる。

すると何かの力が働いて、目の前に四つのカードが浮かび上がった。

それぞれに違う絵が書かれている。


“あなたが望む世界を与えよう__ただし、選べるのは一つだけだ__”


すぐには反応出来なかったが、やがて眉をひそめた里見は呟いた。

「…世界を選ぶ?」

里見の混乱に構わず声は言った。


“あなたが幸せになれる世界__”


里見は目の前に浮かぶカードに視線を移した。


“赤の紋章は__勇気と祝福の世界

蒼の紋章は__安らぎと神秘の世界

紫の紋章は__美と楽の世界

橙の紋章は__太陽と実りの世界

あなたは、どの世界を選ぶ?”


里見は迷った。

まだ頭の中は渦のように回っていたが、これは自分が幸せになれる世界を選べるということらしい。

今よりずっといい世界__。

もう何も苦しまない。

何も引きずることはなくなる。

大きなものを失って、否応なく変わるものがあるのを知った。

辛かった。

ここには自分を救ってくれる人はいないのだと。

でも……。

里見が前を見た時、何かが聞こえたような気がした。

その声に導かれるようにして手を伸ばす。触れる。

触れたところから波紋がカードに広がり、

里見は、目をつぶって新たな入り口に身を投じた。


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