旦那様って誰のことですか!?
幼い頃からの許嫁だったアークロイド・デュカス様と婚約したとき、私は十四才だった。
我が家の隣の領地の領主の次男。両家の為にと、親同士で決められた約束。幼すぎて互いに男女の間柄で見ることはなかったけれど、ごく当然のように三歳年上の彼と結婚するレールが定められていた。
それが覆ったのは私が十四、彼が十七の時。正式に婚約してわずか四ヶ月。彼は他に好きな女性ができたといって一方的に婚約破棄を申し出てきた。すったもんだの末、彼は実家から勘当され、領地からも追い出された。今は地方の小さな町でその女性と二人で暮らしているらしい。
十五の時に婚約した相手はお母様の親族の方に紹介された侯爵家の男性。侯爵家の跡取りではなかったが、真面目で誠実な官僚候補だという話だった。
ところが、彼は陰では女遊びが激しい放蕩息子だったらしい。よりにもよって妾館に出入りするところを私のお父様に発見されてしまった。激怒したお父様はその場で婚約破棄を叩きつけてきたそうだ。格上の家の方によくそんなことができたな、お父様も。ちなみにその後、その方は何がどうなったのか、仕事まで失って現在は行方不明だそうだ。私生活はともかく仕事はできる人だったはずなんだけど。
十七の時は公爵家の跡取り息子との結婚話が持ち上がった。たまたま出席していた夜会に彼もいたらしく、そこで見初められたらしい。伯爵家の娘には過ぎた縁談だったし、あまりにも急な話に私は驚いたが、両親は良縁だと大喜びだった。
ところが正式な婚約を結ぶ直前、彼は突如として隣国の王女様と結婚してしまったのだ。こちらには何の連絡もなく、私たちはまったくの他人からその話を聞かされた。
三度の失敗を経て、私は男に期待するのはやめた。むしろ遅かったくらいだ。一度目の失敗で懲りるべきだった。我ながら、自分がいかに鈍くさかったかがよくわかる。
男に頼らず一人で生きていくのだと、ツテを頼って王城に侍女として勤め始めた。王城の侍女ともなれば住む所にも食べる物にも困ることはない。しかも少ないながらもお給料まで出る。一人で生きていくと決めた女にとっては最高の職場だ。
「え?でも、普通は結婚する前の若い女性の経歴に箔を付ける為にする仕事じゃないの?」
こう仰ったのは、現在、私の主となっているセイレーン王国の王妹であるシリスフィア様。
確かに城勤めをしていた、ともなれば礼儀作法は叩き込まれているし、放っておいても教養は学ばされるし、各方面に様々な知り合いはできるし、で、結婚相手としては最高の優良物件となる。普通は引く手あまただ。
「そうですわね、あるいは、城内で将来性のある結婚相手を見つける為、とかですわね」
とは王女付き侍女長のマリエール様。
彼女の言うとおり、若い侍女の中にはさっさと結婚相手を見つけて侍女を辞すことを目標として、仕事もそこそこにせっせと婚活に励んでいる者も多いが。もったいないと思うのだ。せっかく一生続けられる仕事につける幸運を得ているのに。
「男というものは信用がならないものだということは、身に染みてわかりましたので。姫様も近い将来はどこかの公爵家なり王家なりに嫁がれるでしょうが、旦那様となられる方に過剰な期待はしてはいけませんよ!」
「……ちょっと。まだ十五才の姫様の夢や希望を打ち砕くような言動は謹んでちょうだい」
たかが伯爵家の娘である私と違って、姫様は何があっても国の為に嫁がなくてはいけないので、握りこぶしを作って全力で申し上げたらマリエール様に窘められてしまった。
「大丈夫よ。私は生まれたときから政略結婚をすることが決まっているのですから。結婚に夢や希望なんて最初から無いわ」
当の姫様は達観しておられるけれど。
「それよりミリア、貴女はそこまで諦めることはないんじゃない?まだ若いんだから」
いえいえ、とっくに嫁き遅れの年齢ですよ?
それに。
「何の為に私がここに引き籠もっていると思っていらっしゃるんです?男に会わなくてすむからじゃありませんか」
姫様の住まう部屋は後宮の一室。もともとは先の王妃であられた陛下と姫様の母君が住んでいらした部屋だ。前王妃は亡くなっているので、姫様が成人するか、あるいは嫁がれるかするまでは、彼女が後宮の主となっている。二年前に即位された国王陛下に後宮の本来の主である王妃様は未だいらっしゃらないので。
姫様が嫁がれるのが先か、陛下が王妃様を娶られるのが先か。国の上層部では頭の痛い問題であるらしい。まあ、私のような下っ端侍女には関係ないのだけれど。
そんな場所に私は侍女として上がって以来、一度も外に出ていない。
別に後宮を出てはいけないわけではない。陛下の側室や愛妾はともかく、私は一侍女だ。きちんと手続きさえすれば後宮への出入りは自由だし、仕事が休みの日には城の外にだって遊びに行ける。だが姫様が公務で後宮や城を出るときも、他の侍女たちは姫様に付き従うが私は常にお留守番に名乗りを上げる。それもこれも男性と関わりを持ちたくないから。
「兄様は?男だけど」
「陛下と会わずに済ませられる場所があったら教えていただきたいです」
後宮にいれば陛下以外の男性には会わずにすむが、さすがに陛下はそうはいかない。何しろ、必要さえあれば戒律の厳しい女子修道院の中にさえ入ることができる方なのだ。
とはいえ、陛下は陛下であって男性ではない。少なくとも私にとっては。
「まあ、賢明なる陛下は一介の侍女に手を出すなんて愚かなことはなさらないでしょうし」
侍女が主に見初められて結婚するとか、少女たちが大好きな恋愛小説とかによくある栄華物語だが、本当にそんなことになったら大変な事になる。我が国の国王がそんな愚王だったら、この国はとっくに滅びているだろう。ああ、陛下が物の道理をよく分かっていらっしゃる賢王でよかった。
「そんなこと言ったって、ミリア、貴女、場合によっては王妃にだってなれる家柄じゃない。そもそも侍女をしているのがおかしいと思うわよ」
「侍女職につく女性は大概、子爵以下の家柄の出身ですからね。ミリアは随分と浮いていると思いますよ」
かくいうマリエール様は男爵家のご出身だ。この城内で実力一つで侍女長にまで登りつめた、尊敬すべき才媛なのだ。
横でウンウンと頷いている同僚のエリーやキャロルも同じく子爵家や男爵家といった下級貴族の一員だ。彼女たちもまた、将来の優秀な幹部候補だったりする。
ちなみに男爵と子爵の家格の差はあまりないが、子爵と伯爵の家の格の差は大きい。侍女長とはいえ、貴族社会においては明らかに身分が上の私を呼び捨てにしていいものか、業務指示を出していいものか、最初に私が王女付きに配属されたときは随分葛藤されたという。
浮いてしまうのは仕方ないとして、仕事の待遇に特別扱いはイヤだと他の同僚と同じ扱いにしてもらっているが。
本日の仕事は一段落しているので、姫様を囲んでのお茶会でそんな会話を楽しんでいたところ、突如、部屋の扉が開いた。
この部屋の扉をノックなしに開くことができる者はただ一人。
「シリス、いるか?」
「あら、兄様。どうなさいましたの?」
陛下の登場に私たちは一斉に立ち上がって姿勢を正し、礼をする。
「いや、いい。みんな、そのままで聞いてくれ」
身振りで私たちに座るよう示し、ご自分も姫様の真正面に腰を降ろした。すかさずマリエール様が陛下に新しいカップを用意し、私がお茶を注いだ。
「何ですの?」
陛下が一口お茶を口にして落ち着いたのを見計らって姫様が声をかける。
「シリスに縁談が持ち上がった」
「あら、大変ですわね」
姫様はおっとりと返しているが、事が決まってしまっているのであればのんびりなどしていられない。すぐにでも姫様は嫁ぎ先の国の言葉や文化についての勉強を始めなければいけないし、私たちは先方に持っていくドレスや小物の選別をしなければならない。その間に仕立屋も呼んで婚礼衣装も用意しなくてはいけない。時間はいくらあっても足りない。
私たちにも緊張が走る。
「それで、どちらの国のどなたですの?」
「サルーカ王国の国王であるウィリアード殿だ」
「サルーカですか、遠いですわね……。兄様が私にまでこのお話を持ってきたということは、お断りはできませんわよね~」
「遠いったって隣の隣の国だろうが。馬車で行けば三週間程度だ。……断りたいのか?無理にとは言わないぞ」
「いえ、そうではなく。兄様がお妃様をお迎えするまでは国を離れたくないなと思いまして。色々心配ですし」
姫様の心配はよくわかる。姫様という後宮の要を失った後のことを考えると特に。後宮は裏の政治を司る。裏が乱れれば表も乱れるのだ。いくら陛下が賢王で頑張られても限界はあるし、できれば後宮をしっかりと牛耳れる頼れるお妃様を得てから嫁ぎたいというのが、この国を想う姫様の本音だろう。
「……お前を安心させられるように努力する。行ってくれるか?」
「わかりましたわ。それでお式はいつですか?」
「半年後だが出発は二ヵ月後だ。あちらに到着後、婚礼の儀までにこなさなければいけない行事が山のようにあるそうだ」
「あらまあ、大変。それにしても随分急なお話ですのね」
「まあな」
こうして姫様のお輿入れが正式に発表された。同時に私たちには婚礼準備という喜ばしくも膨大な仕事に忙殺されることになった。
そんななか、姫様は陛下と打ち合わせだ。まごうことなき政略結婚なので、国元と意識のすり合わせしておかなければいけないことは山とある。
「兄様、サルーカに連れていく侍女ですが、何人までよろしいのですか?」
「あちらは十人までだと言っている」
「あら?太っ腹ですわね、普通は一人か二人でしょうに。……でしたら私付きの侍女を全員連れていってもよろしいですか?」
「ミリア以外ならいいぞ」
はい!?思わず仕事の手を止めて陛下を注視してしまった。
陛下に引き留められる理由がわからない。なにしろ優秀なほかの同僚たちと違い、私はごくごく普通の侍女だ。この城に引き留められても害にはならないが、特別役に立つ人材でもない。
こんなこと何の自慢にもならないが、私はコネで入った侍女としてはよくできるほうだと思う、サルーカに連れて行っていただいても『セイレーン王国の恥だ』とは言われない程度には。それでも幼い頃から侍女になるべく猛勉強を嵩ね、厳しい採用試験を通過してきたマリエール様たちには遠くおよばないのだ。
もしかして実家から何か言ってきたのだろうか。私が城勤めをしていることもよくは思っていないし。
「ミリアがダメって、何故ですの?」
「ルーカスがキレる」
……ルーカスって誰!?
陛下の周囲に「ルーカス」という名を持つ男性は私が知る限り三人。宰相のルーカス・ウェイラン侯爵、近衛騎士団団長のルーカス・ザクロー次期伯爵、侍従のルーカス・ミッドバルス様。私も姫様の侍女としてお名前だけは把握している。後宮に籠もっているのでお会いしたことはないけれど。
だが、どなたとも私と個人的つながりはないはずだ。
何故、私が姫様に付いてサルーカに行くとそのルーカス様とやらがキレるのかがわからなくて首を捻りながら仕事に手と意識を戻すと、陛下は更なる爆弾を落としてくださった。
「ミリアの夫だ」
「はい!?」
しまった、声を出してしまった。主がどんな話をしていようとも聞かなかったことにして淡々と仕事しなければいけないのに、侍女失格。
だが、幸いにも陛下や姫様には聞こえなかったようだ。頭が真っ白になっている私を他所にお二人の会話は続けられた。
「兄様、仰る意味がわからないのですが」
「ミリアの夫だと言った」
「わ、私、独身です!」
また失態……。主の会話を遮るなんて。今度こそ陛下たちに聞こえてしまったはず。
そもそも独身でなければ侍女はできないはず。……いや、違うか?侍女になるときは独身が条件だが、なった後は……どうだったかな。結婚したら辞める子が圧倒的に多いだけで、辞めなければいけない、というわけではない……?あ、あれ?
「お前、知らなかったのか?ミリアージュ・フォースター伯爵令嬢は一年以上前にルーカス・ザクロー次期伯爵と結婚しているぞ?」
だが、陛下はちらっとこちらを見やったくらいで特にお咎めはなかった。後でマリエール様には叱られるだろうけれど。
「で、ですが、兄様?ミリアはここに来て五年は経ちますが、一度も後宮から出ていませんのよ?」
「シリス、覚えているか?昨年の春頃だったか、ミリアの実家からやたらと『ミリアに休みをやってほしい』という嘆願が来ていただろう?」
そういえば、その頃、私にも実家からやたらと手紙が来ていたな。どうせ仕事を辞めろっていう内容だろうと封も切らずに捨てていたけど。
「え?あ、はい。そういえば。珍しくも日付指定で確かに何度もきてましたわ。……まさか!?」
「そう、そのまさかだ。それが結婚式の日だ」
結婚式なんて、私、してない!思わず首をブンブン振りまくって否定してしまった。ああ、こんな反応、侍女としてだけでなく、貴族の令嬢としても失格……。
それを見た陛下は驚いて尋ねられた。
「シリスは休みをくれなかったのか?」
「私、あげましたわよ、ちゃんと」
疑われた姫様が憮然として答える。
「そうか。で、お前はその日、どうしていたんだ?」
陛下が私に直接お声掛けくださったので、ようやく声を出せることになった。とはいってもお話できることなんて何もないけれど。
「全く覚えておりませんが、おそらくいつものお休みの日と同じく、いただいているお部屋で寝ていたのではないかと」
昨年の春頃、お休みの日に特別なことをした記憶はない。
花嫁抜きで結婚式をしたというのだろうか?……するだろうな、私の両親なら。家の為になら私抜きでも強行しただろう。
書類上の入籍だけならお父様の代理サインで十分可能だし、神殿での宣誓は新郎新婦のどちらか片方が本物であればもう片方は代理でもいいことになっているから私の分はお母様がしたのだろう。
事実上がどうであれ、書類が整ってさえいれば家と家の繋がりは結べるから。
「丸一日、か?」
「はい」
「せっかくのお休みなんだから遊びにいけばいいのに、ミリアってば、いっつも部屋に籠もってしまうのよね」
「外に出るとお金を使ってしまいますし」
何しろ、一人で生きていくつもりだったのだ。貯金はあればあるだけ安心だ、貯めれるうちに貯めておきたい。よけいな出費は抑えなければ。
それが結婚!?夫?何、それ?
混乱する私を見て陛下が一人、思い出したかのように呟かれた。
「そういえば、ルーカスの奴、式は花嫁にすっぽかされたとか言ってたな」
知りませんよ!そんなの!結婚式があったことすら知らなかったんだから仕方ないじゃないですか!
すると陛下が大きく溜息をついた。
「で、お前の夫が『いい加減に妻を返せ』と言ってきている」
「あ、あの、陛下?私、本当に結婚していますの?」
陛下の言葉を疑うなど、貴族の一員としてもってのほかだが、事が事だけに信じられないのだ。
つうか、当の本人が知らないってどういうことだ。
「書類上はそうなっているぞ」
三度も結婚に失敗した嫁かず後家、ならぬ嫁けず後家になった女を嫁にしたいなんて物好きがいるとは夢にも思わなかった……。
「ルーカス・ザクロー次期伯爵ってどんな方なの?」
とりあえずその物好きの情報を集めたほうがいいだろうかと、陛下が姫様を連れて執務室に戻られた後、エリーたちに聞いてみた。
「ミリア、知らないの!?」
「知らないわ。陛下の近衛騎士団で団長をしていらっしゃるというくらいしか」
伯爵家の跡取りで近衛騎士団で団長をしていらっしゃるというくらいなので優秀な方なのだろう。言い寄る女に不自由はしていないはず。それなのに何故、私なのか。もしかしてものすごい醜悪な男なのか?あるいは性格が悪いとか。それでほかに嫁の来手がいないとか?
だが。
「結構な美丈夫よね」
「紳士だと評判だしね、侍女仲間でも人気があるわよ」
この言葉でその可能性は消えた。余計に訳がわからない。
まあ、家同士で何か約定でもあるのかもしれないけど。伯爵家同士なら家格も釣り合うし。
「うらやましいわ~。あんな方が旦那様だなんて」
「将来性もばっちりだしね」
私はちっとも嬉しくない、むしろイヤな予感しかない。
「で、ミリア、どうするの?」
「どうしましょうね、私としてはこのまま姫様の嫁ぎ先にくっついて行くのが一番いいと思うのだけど」
「なんでっ!?」
そんなの決まっているじゃないか。
「当の本人である私が知らなかったのよ?そもそも貴女達二人の反応から察するにルーカス様は既婚者だということも周囲に知られていないということよね?」
コクコクと頷くキャロルに自分の考えに確信が持てた。城内の噂話に詳しいキャロルが知らなかったということは、このことは秘されていたと考えていい。
貴族の男性にとって結婚しているか否かはとても重要な問題だ。既婚者になってようやく一人前だと認識される風潮さえある。
にもかかわらず、結婚したことを公言していないということは。
「私に妻としての役割は期待されていないということでしょう。もしかしたら別荘あたりに結婚できない、身分の低い女性でも囲っているのかもしれないわね」
形だけでも結婚しなければ父親である伯爵が許さなかったということだろう。
それには後宮に籠もっている私はうってつけだった。顔を合わせることもなければ愛人に手出しされる心配もないし。ただそれだけだ。
「で、でも、陛下に『妻を返せ』と言っておられるのでしょう?」
「一応、次期伯爵夫人ですからね。城勤めしているというのは体裁が悪いのでしょうね」
身分の高い女性ほど労働を蔑むものだから。妻が働いているというのは夫が不甲斐ない証拠でもあることだし。
「城勤めを辞めさせて実家に戻ったら、そのままどこかに監禁コースでしょうね」
「監禁!?まさか!」
「で、でもそもそも次期伯爵が結婚していること自体が周囲に知られていないのに、体裁も何も」
「結婚式をしたということは少なくとも親族は知っているわ、どんなに小規模な結婚式にしたとしてもお付き合いの関係上招待しないわけにはいかない相手もいるでしょうし。それに婚姻届け等の書類を提出しているのだから、それを処理した担当官も知っているはず」
結婚式をすっぽかしたことで「親族や友人の前で恥をかかされた」恨みもあるだろうからタダではすむまい。
「ザクロー伯爵邸の地下牢あたりが有力かしら」
あまりに離れた場所だと見張りも容易ではないし「次期伯爵夫人」の名前が必要になったときに困る。一番いいのは病気療養の為とか名うった軟禁用の別邸あたりだけど、そんなものが伯爵領に存在するかまではわからないし。
さあ、どうやって逃げようかな。
地下牢行きを免れるのに一番いいのはサルーカにお供することだけど。
「陛下のあのお言葉からすると、私、正式な形で姫様にサルーカまで連れていっていただくわけにはいかないわよね……」
陛下が「ミリアはダメだ」とはっきり仰ったのだ。いくら姫様でも逆らえない。滅多にない姫様の我が儘だと許してはもらえ……ないだろうな、やっぱり。
となると一度、お勤めを辞してあちらの国で雇っていただくか、姫様についていくのは諦めてこのまま後宮に留まるか。どちらがいいだろうか。
「うん、決めた」
やれるだけやってみよう。
「ちょっと、ミリア?脳内で話を詰めないでちょうだい」
「とりあえず、旦那様に会ってみたら?監禁されると決まったわけではないでしょう?考え過ぎかもしれないんだし」
「そうよ、案外いい人かもしれないわよ?」
「いいえ、私は自分の身がかわいいので、自ら危険に近づく気はないわ」
書類上だけの結婚でよかったと安堵するとともに、男なんて信用できないというのは間違っていなかったと再認識したのだった。
姫様の婚礼が正式発表されて一ヶ月。
国中がお祭り騒ぎの中、私たち侍女が婚礼準備に忙殺されていたある日、実家から久しぶりに手紙が届いた。どうせいつもの「仕事を辞めて帰ってこい」だろうとその場でゴミ箱に捨てようとしたのだが、先日の騒ぎを思い出したので「もしかしたら私の旦那様とやらについても何か書かれているかも」と思いとどまって封を開けてみた。
だが、手紙に書かれていた言葉は考えていたことと少しばかり違っていた。
曰く。
「早く仕事を辞めて次期伯爵夫人としての義務を果たしなさい。ルーカス様も困っておられます」
……えーっと、これは家の仕事が溜まっているからなんとかしろ、ということだろうか。
あの後、キャロルが色々調べてくれて、ルーカス様は騎士団への入団と同時にご実家を出て一人暮らしをしておられるということを教えてくれたし。
「騎士団の寮ではなく、一人暮らし?」
「ええ」
「使用人はいらっしゃるのでしょう?」
「いないそうよ。本当にお一人で生活されているみたい」
伯爵子息のうえ、近衛騎士団の団長までされているのに使用人を雇うお金がないとも思えない。何か訳でもあるのだろうか。
「それで当時、特別待遇だとかなり問題になったそうよ」
それはそうだろう。独身の騎士が団の寮で生活するのは、ほぼ義務に等しい。現在はいらっしゃらないが王子殿下でさえ、騎士になったら寮生活を強いられると聞く。有事の際には深夜でもすぐさま駆けつけられるように、とのことらしい。それが入団当初から一人?
「後で、実は陛下からの密命があったために、任務の関係上で寮に入れなかったと判明したそうだけどね。その密命を完了させた報奨として現在でも寮への入寮が免れているんだって」
で、そのまま団長にまで登りつめてしまった為に、もはや誰も突っ込めない、と。これは要するに家事要員として期待されているということなのだろうか。だとすれば最低限、地下牢行きだけは免れるだろうけれど。
でも私だって家事ができるかと言われれば「できます」と胸を張って言えるほどではないんだけど。何しろ元々が伯爵家のお嬢様育ちなので。
侍女になって掃除と洗濯は仕事の一環として何とかできるようになったが、料理は城では専門の料理人の仕事なので未だにやったことがない。役に立つとは思えないんだけどなあ……。
なのに。
「ミリア、兄様が『ミリアをクビにする』って言ってきたんだけど」
「はい!?」
突然のクビ宣告。いきなり将来案が一つ消えました。
私の主は姫様だが、城で働く者にとって雇い主は陛下だ。よって罷免権限は陛下にある。だから姫様のこの発言は間違ってはいないのだが。
だが、そんな簡単にクビにはできないはずだ。そんなことが簡単できると陛下の気分一つで大量の侍従や侍女があっというまに職を失ってしまうので。
「わ、私、何かしでかしました?」
もちろん犯罪を犯せば、それがどんな軽犯罪であっても一発でクビだが、思い当たるフシはない。
「何もしてないわよ。だからこそ問題なんだけど。私も抵抗したんだけどね」
「そんな……」
溜息とともに姫様がお教えくださったことによると、なんでも私の実家と近衛騎士団長の圧力が半端なくなってきたらしい。そんなものに屈する陛下ではないし、全部突っぱねてくださっていたらしいんだけど、再三の要求がウザいのはどうしようもない。
「クビにするということはミリアに犯罪歴をでっちあげなきゃいけないし、それはミリアの名誉に関わるでしょ?だから本当はミリアに自ら辞職して欲しいんですって。退職金は弾むそうよ。どうする?」
「私、できれば姫様についてサルーカに行きたいです!」
「そうよねえ、私だってできればミリアも連れて行きたいんだけど……」
一応、第一希望を主張してみたが、姫様の表情と陛下の宣言からそれが適わないことは解っている。せめて城に残れればという希望もクビ宣言で潰えてしまった。
だから、私がここで抵抗しても間に挟まれた姫様がつらいだけだ。何より私の所為で陛下の執務に影響が出ているとなると、これ以上城にいても陛下や他の皆様にご迷惑かけるだけだ。下手したら実家ごと取り潰しなのに、うちの親もよくやるわ。
しかたなく辞職の道を選ぶことにした。
「お世話になりました……」
「守ってやれなくてすまない……」
「いえっ、陛下の所為ではございません!私のほうこそ実家の両親がご迷惑をおかけしました」
荷物をまとめて城を辞す日、姫様に挨拶に伺ったら陛下がいらしていた。しかもしょぼんとした表情で謝られてしまった。慌ててこちらも頭を下げる。
せめて姫様が王城を出発されるまではお世話させていただきたかった……!
けれどこれ以上先延ばしして、両親が陛下や重臣の方々にご迷惑をかけるのを見逃すわけにはいかない。
「それでミリア、これからどうするの?」
「サルーカに行って、どこかでバイトしながら城勤めのチャンスを待ちます。どうしようもなくなったら、どこか山奥の女子修道院に行きます」
幸い今まで貯めたお金がある。退職金もありえないほど弾んでくださった。贅沢しなければ一、二年くらいは生活できるのだ。どこかでバイトしながらチャンスを待とう。
コネも何もない国で私が姫様の側にお仕えするには、一般公募の採用試験を待つしかない。しかも外国人。可能性はゼロではないがかなり厳しいのは事実だ。だから修道院行きの確率は八割といったところだろうか。今から覚悟を決めておかなくては。
女子修道院での生活は厳しいだろうけれど、衣食住は保証されているし男性の出入りは基本的に禁止されているので、後宮の次に安全なところだ。城勤めより簡単に入れるし。
ただ後宮と違って女性は出入り自由だからお母様が頻繁に会いにきそうなところが難だけど。お勤めの一環で街に布教活動に出ることもあるので、そこで男性と接触する可能性が高くて旦那様とやらに拉致監禁される未来が否定できないことも問題だけど。
妻が自分が生きているうちに修道女になるっていうのも貴族男性にとっては屈辱だからなあ……。
宗教施設に特攻かけることは重罪だからさすがにしないだろうけど、外に出るときは気をつけよう。なにしろ相手は近衛騎士団の団長だ。武力でこられたら勝ち目はない。
けれど。
「しゅ、修道院!?」
「ミリア!?何もそこまでしなくても」
陛下と姫様に驚かれてしまった。そんなに驚くようなことでしょうか?
「ルーカスのところに戻るんじゃないのか!?お前の夫だろう?」
「夫と言われましても、私、その方のこと何も存じ上げませんし」
彼のところに行ってもご迷惑でしかないと思うのだ。
「せ、せめてもうちょっと考えなおせ!な?」
修道院だけは思い直すように何度も説得されたが、私の固い決意に諦めたのか、ついには認めてくださった。
「そうか。せめてもの詫びとしてサルーカ国王に侍女の推薦状を書いてやるから、ちょっと待て」
「いえっ、そんな、これ以上ご面倒をお掛けするわけにはっ」
「いや、余がふがいなかった所為だから」
慌てふためいた私を他所にそう言って陛下は慌しく部屋を出ていかれた。しばらくしてバタバタと大きな音を立てて戻ってきた陛下は、なんと国王印の押された正式な推薦状を持ってきてくださった。
「ありがとうございます」
「いや、悪いな……」
思いもよらないことに感激して涙混じりに感謝の言葉を奏上すると、どういう訳か歯切れ悪く謝られてしまった。何故?
「気をつけてね。サルーカでミリアに会えるのを楽しみにしているわ」
「はいっ。姫様の結婚式をお手伝いするには間に合わないでしょうが、絶対に一般参賀には参加しますので。婚礼衣装を身に纏われた姫様とサルーカ国王陛下がバルコニーに並んで挨拶される姿を楽しみにしております」
「ええ、絶対よ」
そうして後宮の門まで見送りに来てくれた姫様と同僚たちと別れた途端。
「きゃあぁぁぁぁっ!」
何者かに浚われた、というか馬車の中に引っ張りこまれた。
「な、なに!?」
「久しぶりだね、奥さん」
知らない男の人に抱きしめられている!?
「だ、誰ですか?」
「おや、自分の旦那様が分からない?」
は?旦那様って、ルーカス様?本当に?
何でこんなところに。
「陛下に貴女がこのままサルーカに行くつもりらしいと聞かされて焦ったよ。しかも修道院に入る覚悟までできているって?僕を捨てるつもりかな?」
げ。どうして知っているんだろう。
ま、まさかさっきの陛下の謝罪はこの所為?陛下が教えたの?あのわずかな時間に?
「さ、家に帰ろうか」
「い、いえっ、そういうわけにはっ」
「何で?」
両親からの手紙を読む限り、私が結婚したこと自体はどうやら事実らしい。だけど、この人が本当に私の旦那様かどうかなんて私には判断がつかないんだってば!偽物だったら立派な誘拐だ。
「いやっ!離してください!」
ジタバタと暴れてみたが、しっかりと抱え込まれてビクともしない。
「ダメ。帰るよ」
そのまま馬車は扉を閉めて走りだした。
「というか、本当に僕がわからない?」
くるりと体を反転させられて初めて自称・旦那様の顔を正面から見た。狭い馬車の中で器用な人だ。
あ、あれ?この人、どこかで……。
「わかった?」
「……ルーお兄ちゃん?」
じーっと顔を見ていると何となく、顔立ちに見覚えが。何より右目の下にあるこの二つ並んだ黒子は……。
「あ、覚えてたか。よかった」
やっぱり。
誘拐犯は私の最初の婚約者だったアーク様の友人だった。幼い頃、彼の家に行くと時々一緒に遊んでくれたお兄ちゃんたちの一人。そういえば彼も「ルーカス」だった、家名は知らなかったけど。
「え?え?何で?」
「だから僕が君の旦那さんなんだよ」
パニクってしまった私を宥めるように背中をさすって落ち着かせる。
「だって近衛騎士団の団長って!」
「うん、そうだよ。はい、団長の印」
そう言って近衛騎士団の制服の襟元に付けられた小さな印章を指し示された。そこには確かに代々の近衛騎士団団長に受け継がれてきた聖獣の模様が刻印されていた。
だ、だけどね?
この人、勉強は得意だったけど、剣、というか運動の類はさっぱりだったはずだ。いつもみんなが走り回って遊んでいるのを横目に木陰で一人、本を読んでいた記憶しかない。幼くて年上の男の子たちの遊びについていけない私は、彼に時々絵本を読んでもらっていた。
いや、私の記憶もかなり幼い頃のものなので、あれから猛特訓して今は剣も得意なのかもしれないけれど。
「あのね、ミリア。近衛騎士団の団長って別に剣ができなくてもいいんだよ?」
は!?剣ができなくてどうやって陛下を守るんだ。
「陛下を守る方法は剣だけじゃない。そりゃ、最低限は剣の修行もするけどね」
理屈ではそうですが。別に槍でも弓でもいいんだろうけど、どっちにしても武術じゃなかろうか。この人の得意分野とは思えない。
「僕の専門は薬草学だ。簡単に言ってしまえば毒薬の研究」
毒殺からの護衛ですか……。らしいと言えばらしいですが。それって近衛の仕事?どちらかと言えば御典医とかの仕事じゃない?
「医者の仕事は陛下に何かあってからだから。何かある前に防ぐのが僕の仕事」
「……」
「ちなみに料理人の方が味覚や嗅覚は優れているから、そういうのを防ぐには彼らのほうが向いているんだろうけれど。料理人たちが毒草とかの細かい知識を身につけてしまうと、陛下の毎日の食事がかなりスリリングになるだろ?だから彼らにはあえてそっち方面の教育はしないんだ。代わりに僕ら騎士の仕事として割り振られるわけ」
なるほど。
「というわけで理解してくれた?じゃ、帰ろうね」
「……どこにでしょう?」
「どこって、僕たちの愛の家に決まっているじゃない」
今夜は待ちに待った初夜だよ~とか浮かれているルーカス様に身の危険を感じた。逃れようとジタバタ暴れると拘束する腕の力が強くなる。この人、武闘派じゃないはずなのに、何でこんなに力が強いの!?
「ミリア、馬車の中で暴れると危険だよ」
「だったら放してくださいっ!」
「放したら逃げるだろ?」
「当たり前です!」
「ミリアが過去の経験から男を信用していないことは聞かされているけどね、旦那様くらいは信用しようよ」
余計に信用できんわっ!
言い返そうとした私に、ルーカス様は唐突に話はじめた。
「あのね。ミリアとアークが別れたとき、僕、すっごく嬉しかったんだよね」
人の不幸を喜ぶってどういう了見だ。しかも古傷を抉りやがって。
思わず振り向いて睨みつけてしまった。
「怒らないでよ。僕、昔からミリアの事が好きだったんだけど、初めて会ったときにはミリアとアークはもう事実上婚約していて。さすがに友人の婚約者を寝取るわけにはいかなかったから諦めようとしたんだよね、一応」
そんな昔から好きでいてくれたなんて。
ちょっとばかり胸がきゅんとしてしまった。
だが、ときめくには早すぎたようだ。笑顔で続けられた話に私は言葉を失った。
「でも結局諦めきれなかったから、アークには別の女をけしかけてみた」
「……はい?」
「うん、だからね?アークロイドをルーシーに近づけたのは僕なの。煽って煽ってアークがルーシーを好きになるように誘導してみた。いやー、思った以上にうまくいったよね」
「……」
ルーシーってのはアーク様が好きになったとか言ってた女性のことですか?会ったことないから、どんな人なのかも知らないけど。
「で、アークを片づけてようやくミリアに結婚を申し込めるようになったのに、速攻でミリアのお父上は例の男と婚約を決めただろ?あの男が遊び人なのは知っていたから義父上をうまく誘導して、奴の女遊びの現場にはち合わせるようにしてやったんだ」
「……」
「ついでにミリアと婚約しておきながら他の女にも手を出していたことが許せなかったから、奴の周辺を徹底的に洗ってみたら国庫の横領をしている気配があったんだよね。どうもその妾館の一人につぎ込んでいたらしいんだけど。だから証拠を揃えて陛下に密告して秘密裏に国外永久追放にしてもらった」
僕、いいことしたよねっと笑うルーカス様を素直に称賛できない気がするのは何故だろうか。間違いなく貴族として騎士として正しい行いのはずなのに。
「それなのに義父上にミリアとの婚姻を申し込んだ矢先に侯爵子息に見初められたとかで断わられちゃったし。身分社会だから制度上仕方ないとはいえ、悔しかったから、惚れっぽいと評判の隣国の王女がちょうど遊学に来ていたから上手く丸め込んで奴に会わせるように画策してみた。そうしたら、難なく惚れ込んでくれてさあ」
「……」
後はミリアの知っているとおりだよ、と微笑んだ。
……。
つまり、何か?これまでの私の不幸はこの人の所為ってこと!?
恐っ!この人恐っ!!普通、そこまでやるか!?
「そんな紆余曲折を経てようやくミリアと結婚できることになったのに当の本人は勝手に後宮に入ってしまうし。しかも五年も帰ってこないしさあ。よっぽど嫌われているのかと、僕、柄にもなく落ち込んだよ?」
「……」
「義父上のところには一年かけて通って結婚のお許しをいただいたけど、ミリアにも直接プロポーズしたかったんだ。だけど三年待ったけど一度も後宮から出てこなかっただろう?これはもう既成事実から先に作ってしまおうと思って結婚式を強行したんだ」
すっぽかされたけどね、まさか結婚式のことを知らなかったとは思わなかったよ、と苦笑した。
たぶん、親からの手紙には書いてあったんだろうけど、どうせ内容はいつもと同じだと読まずに捨ててましたからね。
だが、それにしたって疑問は残る。
「……私のことはともかく、ルーカス様が既婚者だと知られていない理由は?」
「本当は結婚した時点で『ミリアは僕のものだ』ってことも含めて、さっさと公表してしまいたかったんだけど。義父上が『本人には顔を合わせた状態で自分の口から伝えたいから』って言うから、事情を知っている人にも口止めして黙っててもらったんだよ。結局、陛下の口からバレちゃったけど」
……さいですか。
私がいくら手紙をもらっても、ずっと後宮から出ようとしなかったから、お父様と顔を合わせる機会がなくて知ることがなかったということか。
「だけど僕は嬉しかったよ。書類上だけの結婚だったとはいえ、これでミリアを誰にも奪われずにすむからね」
どこか暗い喜びが透けて見える表情に、知らず背筋を寒気が走る。とんでもない人に捕まった気がするのは気のせいではないはず。
「でも君がいつまでも帰ってこないから色々と欲求不満でさ~。陛下にも何度も直訴して、ようやく手に入れたんだ。もう離さないよ。サルーカにも、どこにもやらない」
もはや恐怖で震えはじめた私の顔をのぞき込んで、にこやかに宣言した。
「逃げても無駄だよ。僕、逃げ道は全部塞ぐからね。何なら仕事の知識を総動員してミリアに薬を盛って逃げられなくしちゃうかも」
できればそんなことしたくないから逃げるなんて考えないんだよ、と諭すように囁かれたが。
けれど口は笑っているのに目は全く笑っていない。これは本気だ。下手なことをすると本当に薬を盛られて地下牢あたりに閉じこめられる。
何も言われずともそれがわかってしまった私は、青褪めて震えながら観念するほかなかった。
「わ、わかりました……」
この人を好きになれるかどうかはわからないけれど。
「いや、好きになってもらうよ?どうやってでも」
「人の心の内を読まないでくださいっ!!って、何をする気ですか!?」
「内緒」
ふふふふ、という含み笑いに恐怖が倍増する。
惚れ薬でも仕込む気ですか!?
……姫様、申し訳ありません。サルーカでお会いする約束は果たせそうにありません……。
思わずサルーカの方角に向かって合掌した。姫様はまだセイレーンにいらっしゃるけれど。
「だーいじょーぶ、陛下も姫様もミリアがサルーカに行けるはずないって知っているから」
「なっ!?なんでですか!?」
「僕、お二人に『ミリアは僕なしでは家から出しません』って伝えてあるもの」
「はあ!?」
「ミリアが家の外に出られるのは僕が一緒の時だけだよ。大丈夫、買い物だったら一緒に行くし、夜会とかはなるべく出席できるように仕事を調節するからね」
そんなことを言いながらも、家に監禁なんてしないよ、としれっと宣う。
監禁の定義がだいぶ違う気がする……。
「二人っきりになりたかったから、この家には他に誰もいないけど苦労はさせないよ!ご飯もちゃんと作ってあげるし、掃除も洗濯も僕がやるし。騎士団の新人の世話とかで慣れているから子供ができても大丈夫だよ。ミリアが家でしなきゃいけないことと言ったら僕と愛し合うことだけ!」
「そういう問題じゃありません!」
「次にミリアが外に出れるのは姫様がサルーカに出発する前の送別の夜会かな。正直、色っぽく装ったミリアの姿を他の男に晒したくはないけど、それだけは一応は出ておかないとマズいだろうし。家に帰ったら仕立屋を呼んでドレス作ろうね。どんなドレスが形にしようか?色は何がいい?」
人の話を聞いていない……。
そうこうしているうちに、いつの間にか家とやらに到着していた。馬車の扉が開かれた途端、有無を言わさずそのまま抱き抱えられて寝室に直行させられた。
「僕のことキライ?」
「……キライではありませんが」
好きでもない。というか、そういう対象に考えたこともない、というのが正しいか。
が、ルーカス様的には「キライじゃない」なら十分らしい。にっこり笑った顔にさっきまでの恐怖を一瞬忘れてうっかりときめいてしまったのが敗因だった。
「じゃ、大丈夫だよね」
「何がですか!え?あっ!ちょっとっ!」
その後、私は二週間以上、本当に姫様の送別の夜会まで家から出してもらえなかった。
ご挨拶に伺った際、陛下と姫様と、傍に控える元同僚たちの生温い視線が痛かったのは言うまでもない。