十八番目の側室
ある晴れた昼下がり、とある帝国の王城に一台の馬車が到着した。
真っ白な外装に華やかな花柄模様、乙女なら一度は乗ってみたいと思うであろう馬車から、一人の少女が降り立つ。
「もうすぐ到着されますね。」
「何がだ?」
城のある一室で、黙々と書類処理を行う一人の若者はこの国の帝王である。側近の言葉に耳を傾けつつも、手を休める事はせず仕事を熟す。
「何がって…貴方の側室ですよ。まさかお忘れで?」
呆れたように溜息を付き、白い目で王を見つめると王は漸く顔を上げた。
「今日だったのか。すっかり忘れていた。」
「貴方って人は…いくら興味がなくても、仮にもこの国の王の側室になられるお方。お忘れにならないで下さい。」
「今更だ。最早側室など必要ない。」
新しく自分の妻になる女性が来るにも関わらず、王は気に留める様子はない。その姿に側近は盛大に溜息を付き首を左右に振る。
「確かに今更ですが、今度の側室様は外交を行うにとって必要な方なのですよ。何しろ、今までどの国にも属さなかった…」
話し終わる前に、突如部屋の扉が叩かれる。側近がちらりと時計を見て、誰が来たか予想しつつ入室の許可を出す。
「入れ。」「失礼致します。御側室様をお迎えに出た兵が到着致しました。御側室様は謁見の間でお待ち頂いております。」
「わかった、下がれ。」
「失礼致しました。」
扉が閉まると同時に王は立ち上がり、身支度をする。それを手伝うように側近はコートを羽織るのを手伝う。ふと机の上に散らばった書類を見て、
「机の上は整理しなくてもよろしいので?」
「構わん、すぐに戻る。」
「…左様で…」
自分の妻なる方に会うというのに、冷めていると思った側近だが無理もないかと考える。何しろ王の側室は十七人もいるのだから。今回嫁ぐ事になった側室を入れて、十八人目となる。 王となればこのくらいの側室の数は当然といえば当然なのだが、如何せん新しく来る側室には外交意外はなんの意味もないのだ。
「行くぞ。」
「御意。」
扉を開け、王の斜め後ろに付き添うように側近が歩く。時折廊下で出会う侍女や護衛兵が、王の存在を知るや否や頭を下げ、即座に道を開ける。
「相変わらず慕われて御出て。」
「厭味か。」
「まさか。敬服しているのですよ、我が主は皆に慕われていて羨ましいとね。」
「厭味にしか聞こえん。」
話しているうちに目的の謁見の間に到着し、警備兵が敬礼した後ゆっくりと扉が開かれる。王が玉席に座り側室の合図と共に、もう一つの扉が開かれた。 しかし現れたのは二名の兵のみ。
「御側室様はどうした?」
側近が問うと、急に兵は土下座をし、
「申し訳ございません!」
必死に謝罪しながら、頭を床にぶつける。
「何があった、申せ。」
「…は、この度お迎えに上がりました御側室様が、城内で行方不明になりました。申し訳ございません!」
王の低い声に怯えながらも伝えると、直ぐさままた頭を床にぶつける。
「城内でだと?詳しく申せ。」
「はい。確かに城内にお連れ致しましたが、王宮に入る手続きをしてする僅かな時間に、御側室様はいなくなって仕舞われたのです。大変申し訳ございません!この度の不祥事の責任は全て私にあります。罪は全て私がっ。」
「隊長っ!罪は目を離してしまった俺達にあります。陛下、罰は私に。」
詳細を聞き、王と側近は互いに目を合わせる。兵の言った事が本当だとすると、側室はこの城で行方不明になったという事。それは犯人が外部ではなく、城の者だという確率が高い。
「いったい誰が。」
「そうですね、考えられるのは三つ。他の御側室様が嫉妬して誘拐した、又は御側室様の存在をよく思わない権力者によって誘拐された。それとも…」
「なんだ?」
横目で王を見て言い淀む側近に、王は眉間に皺を寄せる。焦らすように考えるそぶりをするのに苛つき、早く申せと命令した。
「御側室様自身が逃げ出したとも考えられます。」
「…どういう事だ?」
側近の言った事に不愉快に感じ取った王は、更に皺を寄せる。側室自身が逃げ出すなどと、未だ曾てなかったのだ。有り得ないというような視線で側近を睨みつけた。
「何しろ、今回お越しに頂いた御側室様は十八番目。しかも陛下には、既に御正室様との間に御世継ぎが生まれ、最早我が国は安泰。そんな国に嫁いだとしても、居場所などないと感じるのは自然の道理。私でしたら逃げ出したいですね。」
にっこりと微笑む側近に頭を悩ませる。言っている事は正しいので言い返せないでいた。
「兵を増員し城内を隈なく探せ。妃の安全を最優先にし、抵抗する者は捕らえよ。お前達の処分は追って通達する。」
「はっ。」
兵が敬礼し、謁見の間を出る。見届けた後、王は玉席を下りると側近に近付く。
「行くぞ。」
「どちらに?」
「決まっている、妃を捜しに行く。」
「おや、興味がなかったのでは?」
「…貴様な…」
「冗談です、付いて回ります。」
側近に絡むだけ疲れるのはわかっているので、王は何も言わず謁見の間を出た。王に冗談などが言える者は少なく、特に側近は王の古い知り合いであり、心許せる存在である。しかしそんな事を言えば図に乗るので決して言わないが。
城内を歩いているうちに、王は窓の外に目を向け立ち止まる。外には美しい庭園が広がり、庭園の中心に建てられた温室には珍しい花が咲き誇っている。
「陛下?」
「庭園に行く。」
いきなり立ち止まったかと思うと急に進路変更。庭園に出る為の出口に向かう王に、側近は慌てて後を追う。
「何故庭園に?」
「兵は王宮に入る手続きをしている間に妃はいなくなったと言った。外になにか手掛かりがあるやも知れん。」
「成る程。闇雲に捜すより可能性はあるかも知れませんね。」
庭園に出ると、各方面から兵士の声が飛び交う。上から見れば小さく見えても、実際の庭園は城の倍はある。先々代の女王が大の花好きで、城内の空いている場所全てに花を植えさせた挙げ句、使われていない塔を壊し庭園を広げたのだ。 はっきり行って無駄。 使われてないとはいっても、歴史ある建物を意図も簡単に破壊し、庭園を広げるなんて馬鹿馬鹿しいと王は思っている。塔の解体の費用、庭園の増築の費用及び持続させる為の費用。どれだけの金が掛かったと思っているのだか。
「して陛下。もし側室様自身が逃げ出したとしたらどうするおつもりで?」
「なに?」
「妃の安全が最優先だと言われましたが、側室様が抵抗しては兵士も手が出せませんよ。」
溜息が止まらない。だから女は嫌いなんだと王は小さく呟く。
貴族や王族の女性の楽しみといえば、自分を着飾る事。趣味は刺繍や踊り、音楽や宝石集め。どれも金が掛かる物ばかり。 自分が一番綺麗だと思い込み、権力がある者に媚び諂う。自分の思い通りにいかなければ子供のように癇癪を起こす。
どちらかと言えば王は女性嫌いである。そんな王にも心許せる女性が出来た。九番目の側室である。
彼女の父親は平民の出で、一代で貴族にまで上り積めた強者。悪く言えば成り上がり。しかし、彼女の父親は悪行などせず己の力のみではい上がり、王は男爵の爵位を与えた。
階級こそは五等爵の最下位だが、平民が爵位を貰えるなんて奇跡に近い。喜びの礼を言われた時、隣にいた彼女を見た王は体に衝撃が走った。
濃い化粧も香水も付けない素朴な彼女。柔らかい笑みで王に頭を下げる姿に、胸が締め付けられた。直ぐさま彼女を側室に欲しいと父親に願うと、渋々ではあるが承諾してくれて、彼女を自分の側室に入れたのである。
側室になってからも彼女の性格は変わる事なく、王を影で支え癒してくれた。今の王があるのは彼女の存在は大きい。それまでの王は味方にも敵にも厳しく、常に命を狙われている状態だった。しかし彼女が側室になってからというもの、周囲に目を配るようになったのだ。おかげであからさまな殺意や反抗はなくなり、王と各官僚や貴族との交流は深くなった。
側近がいうに彼女様々である。
「王の跡継ぎも生めず、王の心は別の側室に。傷心のあまり自殺なんて事はないでしょうが、暫くの間は側室様の傍にいてあげて下さいね。」
「…わかった。」
王にとってみればただの側室の一人に過ぎないが、新しく来た側室に非がある訳でもなく、この先の国の外交にとって彼女の存在は必要不可欠。大事にしなければならない。
「何しろ側室様は、どの国にも属さなかった遊牧の民の長の娘。遊牧の民は各国の情報を持ち、男達の戦闘能力は凄まじいと聞きます。貿易で高値で売られてる薬の殆どは、遊牧の民が作っているという噂。くれぐれも、側室様を御泣かせになられないで下さいね。」
「言われなくてもわかっている、口煩いぞ。」
「これは失礼を。」
軽く会釈し詫びを入れるが、王は絶対に心にも思っていないと感じた。
暫く歩き捜したが側室の姿はなく、日が傾きかけた頃。王は休憩にと、庭園で一番高い木に寄り掛かる。
王の座を継いでからというもの、慌ただしい日々が続き、今日のように庭園を歩き回る事などなかった。馬鹿馬鹿しいと思っていたが、隅々まで手入れが行き届いている庭園は、近くで見ればその美しさに見惚れる程だ。
実際に見てみなければわからなかったこと。側室もまた同じ。名ばかりの妻であろうと、我が国に単身で嫁いで来たのだ。愛を与える事は出来ないが、せめて側室が住みやすいようにしてやらねばと思った。
「…大切にはする。」
「陛下?」
「無下にはしない。」
「………明日は雨ですね。困りましたね、武術大会の準備があるのですが。」
「貴様……」
自分で労れと言っていたのに、優しさを見せれば気持ち悪いとでも言いたげな目で王を見る側近。いい加減腹が立ち、文句を言おうと木から離れようとした時、
「ああーーーーっ!!」
「!?」
甲高い悲鳴と共に、突然上空からの衝撃で王は潰れた。側近はというと、あまりの出来事に動く事が出来ず固まっている。
「…ったー。まさか下に人がいるなんて…腰打っちゃった。あっ、ねぇ、大丈夫?」
王の上に落ちてきたのは年若き少女。自分の下敷きにしてしまった王の心配をして、慌てて背中から下りる。
王はというと、自分の身に何が起きたか理解出来ず、目の前の少女に釘付けになっていた。
「ねぇ、大丈夫?」
「…貴様、何者だ?何故木の上にいた?」
首を傾げながら心配そうに見つめる少女に、我に返った王は剣を抜く。いくら少女とはいっても、どこかの国に雇われた刺客かもしれない。鋭い目で尋問しようとするが、
「元気そうだね、よかった。怪我させちゃったらどうしようかと思っちゃった。ムシャムシャ…」
「…は?」
笑いながら手に持っていた果物を食べ始める姿に、呆然とする二人。
「そ、それ食用じゃ…ないですよ?」
「え?美味しいよこれ。こんな美味しい果物食べたことない。」
「……そうですか。」
満面の笑みで美味しそうに食べる少女に何も言えず、側近は苦笑い。
少女が食べているのは、コロミルという名前の甘い香りがする果物。貴族達はコロミルの果汁から香水を作り、香りを楽しむだけで食べようとはしない。毒がある訳ではないのだが、何しろ見た目が不気味なのだ。群青と紅色の縞模様に、ぬめり気がある触り心地が気持ち悪い。女性ならまず食べないであろう。
「………」
あまりの食べっぷりに、凝視していた王に何を勘違いしたのか、
「食べたいの?はいっ」
「ぐっ!!」
返事を待たずに、無理矢理口の中にコロミルを突っ込む。最初は吐き出そうとしたが、口の中に広がる甘い果汁と果肉がそれを許さない。
「…うまい。」
「でしょ!!こんな美味しい果物がいっぱいなってるなんて凄いよね、お城は。」
「貴様、何者だ?」
至福の笑みで食べる姿に刺客の影など見えず、城の者にも見えない少女に訝しく感じた。侍女の格好でもこの国の住民の服装でもない。何処かの民族衣装を纏った…
「民族衣装?」
「私?名前はチェレッチア・グダサン。今日この国に嫁いで来たばかりなの。」
これが、ベイグラディア帝国十二第目帝王、カシム・ウル・グラッセと十八番目の側室との出会いである。
二人の傍で必死に笑いを堪えている側近カギルド。王の驚愕した表情と、気難しい王を先程尻の下敷きにした場面を思い出し、笑いが込み上げてきたのだ。
しかしこの側室、チェレッチアの登場により、平穏だったカギルドの胃を悩ませる種になるとは、この時誰も想像しなかった。
突発的に書いてしまいました。基本のんびり更新です。
カシムの周りにはいなかった存在。お転婆な感じのチェレッチアがカシムを振り回す様子が書けたらいいなーと思います。
読んで下さりありがとうございました。一応続く予定です。