玲子と彰彦
煙草が止まらない。
約束の時間まで後五分もない。
九条は一本吸い終わってはもう一本火をつけていた。
すでに30分前にはこの喫茶店についた九条の席の灰皿は吸いがらが五、六本たまっていた。
九条は入り口に背を向けて座っていた。
カランカランというドアが開く音がした。心臓が鳴った。九条は後ろを見れなかった。
いらっしゃいませ〜と店員の明るい声がした。
「一名様ですか?」
「いえ、待ち合わせなんで・・・。」
こつこつとヒールが床を踏む音が九条の方へと近づいてきた。
そして九条の横を通り過ぎ、向かい側に座った。
「お待たせしました。」
九条の目の前に現れたのは18の子供がいるとは思えない大人の女性だ。
「玲子・・・。」
鼓動が早くなる。18年間探しつづけて求めつづけていた女性が今、目の前にいるのだ。信じられない。
九条の頭の中は18年前にタイムスリップしていた。愛の事など記憶の奥隅に追いやり、今は玲子と会えた喜びでいっぱいだった。九条は玲子を見た。
玲子は九条とはうって変わって冷静な表情を浮かべている。それは怒りにも似た顔だ。その玲子の口が開く。
「どういう事なの・・・?」
その声はとても冷めていて、厳しかった。明らかに九条に敵意を持った言い方だった。
「愛とはどういう関係なの?」
九条は何も言えないでいる。今はそんな話どうだっていいんだ。俺はお前に会えた事が幸せで仕方が無い。そんな話は後にして、今は二人の時間を大切にしたいんだ・・・
そこまで考えてはっとした。どうでも言い話をしに来たわけじゃない。大切な話だ。玲子と俺の娘の話・・・
「付き合って・・・るの?」
言いたくない事を無理矢理口にした感じだった。玲子の目はNOという返事を期待している様だった。
九条は低い声で「ああ」と答えた。さすがに玲子を見る事が出来なかった。
玲子は眩暈がしそうなのを押さえて話を続けようとした。しかし九条が先に言葉を発した。
「もう会わない。」
それを聞いて安心したのか少し玲子の表情が和らいだ。
「今、玲子と会って再確認した。やっぱり俺は玲子が忘れられない。」
玲子は驚いた顔つきになった。玲子と九条は元は恋人でもなんでも無く、言わばセックスフレンドだったのだ。お互い暇なときや寂しいときに体を重ねた。名前と携帯番号しか知らない。どこに住んでいるのか、普段何をしているのか何も知らない。心に空いた小さな穴を見かけだけ埋め合うようなただそれだけの関係だったのだ。玲子にとっては・・・ それが九条は違った。九条はこの18年間玲子を想わぬ日は無かった。愛に好意を持ったのも元は玲子に似ていたからだ。
「ずっと、会いたかったんだ・・・玲子に。」
テーブルの上に置かれていた玲子の手に自分の手を重ねた・・・
お風呂から上がると不思議な事が起こっていた。九条から電話があったみたいなのだが電話には出ていないのに出た事になっていた。誰かが着信がうるさかったから勝手に出たのだろうか・・・?とりあえず九条に電話してみたが今度は話中らしかった。何分後かにまた電話をかけたが、まだ話中だったので諦めてその日は寝ることにした。
次の日、起きるとすでに午前十一時をまわっていた。それに驚いた愛は飛び起きてた。
が、今日も特に予定などなかったことに気づくと再び布団を頭から被った。携帯を見た。
九条からの連絡はないようだ。
少し不機嫌な顔になりながら布団から這い出し、着替えを探した。
着替えが終わると愛は部屋を出て階段を降りた。
「おはよ〜」
といいながらキッチンに顔を出したが、いつも家にいるはずの母親が今日はいない。
リビングにもいなかった。代わりに弟がいた。
「あれ。あんた学校は?」
ゲームをしていた弟はその呼びかけで初めて愛が家にいることに気づいたらしい。
「姉ちゃんいたんだ。俺今日熱あって休み〜。」
「はぁ?熱あるならちゃんと寝てなさいよ。お母さんに怒られるわよ。」
呆れながら言った。
「い〜のい〜の。お母さん何時に帰るか分からないって言ってたからきっと遅くなるし。」
「どっか行ったの?」
「うん、特に何にも言ってかなかったけど。」
そう言うと再びゲームに集中しはじめた。
いつもなら出かけるときは必ず誰とどこに行くかを言って行く母親にしては珍しいと思った。
が、あまり気にせずに何か食べ物はないかと冷蔵庫を開けた。
特に何もない。
少し寂しい気分になりながら食パンを一枚焼いてイチゴジャムをつけて食べた。
さて、今日は何をしよう。
一日中家でゴロゴロしているのも嫌だ。
だが一人で外に出かけるのもおっくうだ。
それに病人もいることだ。今日は家にいよう。そう思った。
弟とゲームをしていたらいつの間にか午後一時を過ぎていた。
ゲームに熱中しすぎて時間を全く気にしていなかった。
昼ご飯でも作ろうかとキッチンに向かった時、母親の玲子が帰ってきた。
「あ、お母さんお帰り。どこ行ってたの?」
玲子は疲れてぐったりした様子で椅子に腰掛けた。
「ちょっとね、友達と会ってたの。」
「ふぅん。ご飯作ろうと思ったんだけどどうする?」
「あぁ、ありがとう。でもなんかお母さんちょっと食欲なくて・・・。夕方までねてていいかしら?」
と言って頭痛がするのかこめかみを軽く押さえた。
「うん。別にいいよ。」
「ごめんね。じゃあ休ませてもらうわ。」
玲子は立ち上がると鞄を置きっぱなしにしたまま階段を上がっていった。
愛はちゃくちゃくと昼ご飯の準備を始めた。
しばらくすると玲子の携帯の音がした。
鞄からあさると登録されていない番号からだった。
切られてしまうといけないのでとりあえず電話に出た。
「もしもし。玲子?」
男性だった。
父親と祖父以外の男の人で、母親のことを玲子と呼んでいる人は初めてだった。
「あの、すいません。母に代わりますのでちょっと待ってて下さい。」
そう言うと急に電話を切られた。愛はびっくりして玲子の携帯を見た。
間違い電話だろうか。
にしても失礼な奴だ。
間違えたならすいませんの一言くらい言ったらどうだ。
愛は玲子の携帯を鞄に戻した。再び支度を始めようとしたところで手が止まった。
間違い電話なわけないだろう。
向こうははっきりと母の名を言っていた。
玲子なんてよくありがちな名前だがそんな偶然は重ならないだろう。
というとやはりさっきの電話は母に用があったのだろう。
しかし、愛が出ただけで切られてしまった。
特に相手が間違い電話だと勘違いしてしまうような言い方はしていないはずだ。なのにどうしてだろうか。
今度は愛の携帯が鳴った。九条からのメールだった。
『昨日は電話できなくてごめん。今日も忙しくて連絡できそうもないんだ。』
そのメールを見て何かひっかかるものがあった。
「九条・・・?」
いや、そんなことはありえない。あってほしくない。あってはならないのだ。
もう一度玲子の携帯を取り出してさっきかかってきた番号を見た。
そして自分の携帯で九条の番号を表示した。
「・・・。」
手が震えた。
どうゆうことだ。
もう一度両方を比べてみた。
何度見ても二つの番号は同じだった。
さっきの声は九条だったのだ。でも何故あたしが出たら切ったのだろうか。そして何故九条は母のことを玲子と呼ぶのか・・・
まさか、今日母親が会っていたのは友達なんかではなく、九条ではないのか。
まぁ九条が友達ということもあるかもしれないが。
愛は玲子と九条に不信感を募らせていった・・・