母親
「どうした?」
九条の呼びかけにはっとして顔を上げた。
今日は約束の土曜日。
二人は九条の乗ってきた車に乗っている。
やはり九条は金持ちなのか、高そうな外車に乗っている。
シートの座り心地がなんとも言えない。
カーステレオからは九条の趣味かジャズっぽい音楽が流れている。
待ちに待っていた九条とのデートの日だが、こないだの洋平とのことがあり素直に喜べない。
最終的には別れる事になったが、あの怒りにも似た洋平の悲しい顔が脳裏に焼き付いて離れない。その顔を見たとき、この人はこんなにも自分を愛してくれているんだと思い知らされた。そんな洋平を裏切る形になってしまって、罪悪感がこみ上げてくる。
人の気持ちほど当てにならない物はない。
だからいけないことをしたとは思っていないが、自分のしたことでああも相手を変えてしまうことに対して恐怖を感じた。
煙草の臭いがした。
気づくといつの間にか九条が煙草をすっていた。
煙草から出る煙は全開にしてある窓から逃げるように出ていく。
窓は空いているが風が少なく、車内はすぐに煙草の臭いが充満した。九条のにおい・・・
愛の好きなにおいだ。
「またでかけてんの?愛は。」
愛の母親は、ソファーに横になってテーブルの上にあるもらい物のクッキーをつまみながら言った。
「うん。最近よく遊び行くよな〜。デートじゃないの?」
弟もクッキーに手を伸ばしながら言った。
「てか最近姉ちゃんおかしくない?こないだはなんか泣いたみたいな目で帰ってきたし。」
「う〜ん、まぁ年頃ですから。彼となんかあったんじゃないの?」
「そうかなぁ。なんか隠してる感じなんだよねぇ。最近。」
「ふぅん・・・」
思い当たらなくもない。
最近帰ってくるときはいつも思い詰めたような顔をしている。
親の口出すところではないと思い、特に気にしていなかったが弟が気にするくらいだ、何か相当辛いことがあったのかもしれない。今日、帰ってきたら少し話を聞いてみよう。母親はそう考えた。
「・・・なんか告げ口みたいでやだけど、姉ちゃん煙草吸ってない?ここんとこいっつも煙草くさいんだよね。彼氏が吸ってるのかもしれないけど。」
と、気まずそうに言った。
「まさか〜。」
そんなわけないと軽く流した。
最後の一つのクッキーを食べ、立ち上がった。
そろそろ夕飯の買い物に行く時間だ。
上着を着、キッチンにあるテーブルの上に置いてあった財布を持って外へ出た。
車庫に止まっている車に乗った。
エンジンをかけ、CDを入れた。
ピアノの音が流れる。
それに重なり、ドラムのリズムとサックスのメロディーが入る。
明るい曲感だがゆっくりなテンポで、どこか寂しげな曲だ。
母親はジャズが好きだ。若い頃から聞く音楽はジャズだった。
車を発進させる。
今日はいい天気だ。
それだけで気分がいい。
今日はいつもの近場のスーパーではなく、少し遠いが大きなデパートに買い物に行こう。
そう決めた。音楽のボリュームを上げた。アクセルも少し強めにふんだ。
今日の夕飯は何にしようか考えながら、母親は買い物をしていた。デパ地下での買い物は久しぶりだ。さっき父親からメールが入り、今日は残業で遅くなるから夕飯はいらないということだった。愛も夕飯は外で食べてくるだろう。そう思い、出来合いの総菜屋に目が行った。今日は弟と二人にだけなるからわざわざ作るのも面倒だ。それに、もうすぐ愛の誕生日だ。今日デパートに来たのには愛の誕生日プレゼントの下見というのもある。なので、惣菜をさっさと買ってしまい、冷蔵庫になっているコインロッカーに入れて、上の階へと上がっていった。
二階は財布やバッグの売り場だった。去年は洋服をあげたから、今年は財布かバッグがいいかなと、そのフロアをぐるぐるしていた。
ふと、財布に目が行き、その棚の財布を手にとって見ていた。すると、反対側から愛の声がした気がした。耳を澄ませて聞いてみた。やはり愛だ。驚いて一瞬その場で固まってしまったが、誰と一緒にいるのか気になり、その場から少し離れたところから覗くことにした。こそこそ隠れなくてもいいような気もするが、恐らく一緒にいるのは彼氏だろう。親に彼氏といるところを見られるのは愛なら嫌がると思い、直接声をかけようとはしなかった。
遠くから見てみると、相手の男の方は丁度後ろ向きで、顔は全くわからなかったが、格好からして高校生には見えない。どうみても二十後半以上だ。愛は彼氏は受験生と言っていた。だからてっきり愛と同い年かと思っていたが、今母親の目にしている男は明らかに社会人だ。どういう経緯でで知り合ったのか・・・
しばらくすると、二人は今までいた場所の反対側の棚に移動した。これで男の顔が見える。しかし、向かい合わせになってしまった為、母親は身を隠しながらそ−っと見ることしか出来ない。そしてやっと男の顔を見ることが出来た。その瞬間母親の顔から血の気が引いた。何故!?どうして!?なんで愛が・・・ 動かなくなったかと思えば次は急に手足が震え出した。何かの間違いだ。そう思いたかった。頭の中は真っ白になってしまった。
「彰彦・・・」
そう呟いた・・・