ナナ
ドランカー。
今、世界を騒がせている怪病であり、その解明が急がれている。
症状は、過度の妄想思考による現実逃避。重度の精神疾患。
俺の両親はドランカーのことを解明する研究員だった。両親は研究ゆえに家に帰ってくることは少なく、俺は妹と二人で平凡な毎日を暮らしていた。
息子である俺はというと、なんでもない学生生活の毎日。……だったはずなんだ。
ある日、両親がドランカーを患ってしまった。
とても研究を続けられる状態ではなくなってしまったので、病院へと搬送された。
残された俺と妹の二人は、平凡な毎日を暮らせなくなってしまった。
両親が働けなくなってしまったので、まずお金が無い。
最初のうちはなにもせずとも貯蓄があったのだが、収入が無ければいずれ崩壊する。
「二人で学校を辞めて、働こう」
そう、提案するつもりだったんだ。
普通の生活をするためには、そうするしかないから。
でも、俺がその話を切り出そうとする直前に妹が言ったんだ。
「私はドランカープロジェクトの研究員になりたい」
ドランカープロジェクトの研究員。
ブランド中のブランドの職業。
かつて両親の職業であった研究員に、妹はなりたいといった。
どうして?
俺は聞いてみた。
ドランカーが発症する原因は分かっていないが、発症確立はドランカーを研究している研究員に多いそうだ。
それに、研究員になるには常人には計り知れないほどの学力が必要らしい。
国が有するドランカーについての研究者養成学校。
その学校を卒業しないといけないのだが、養成学校は毎年5人しか入ることができない。
入学するには何千人という天才から5人という枠を奪い取らねばならない。
気が遠くなるような勉強が必要だろう。
正直、人生を楽しめたもんじゃないと思う。
それなのに、何故?
そこまでしてどうして研究員になりたいのだろう。
すると妹は言った。
「お父さんとお母さんを、助けたい」
……そうか。ただ、助けたいだけなんだ。
高収入だとか、ブランドとかでなく、ただ病気の両親を救いたいだけ。
偉いな、お前は。
俺は今まで研究ばっかりでまったく構ってくれなかった両親を憎んでさえいたというのに。
それを、助けたいだって?自分の人生を潰してまで?
そんなの、理不尽だ。
「ただでさえ俺達から普通の生活を奪ったのはあいつらなのに、それを救うために自分の人生を諦めるのか?」
少々キツイ言い方になったが、俺は思ったことをはっきりといった。
人並みとは言わない。ちょっとでも幸せに暮らしてほしいんだ。
そんな、勉強の毎日で苦しい思いをしてほしくないんだ。
すると妹はこんなことを言ったんだ。
「奪ったのはお母さんやお父さんじゃない、悪魔の病気ドランカーだ。私がそいつをやっつける」
確かに、そうだけど……。
両親だって、なりたくてなったわけじゃない。それもわかってる。
最大の原因の発端がドランカーだってこともわかる。
でも……。
……。
……いや、それが妹の望むことならば叶えてやりたい。
妹が両親のために人生を賭けるというなら、俺はお前の夢のために人生を賭けよう。
学校を辞めるのは俺だけで十分だ。
中退がなんだ。
仕事なんてなんだってやってやる。
――――。
――。
妹が、ドランカーになった。
学校で虐められていたらしい。それでも、学校内のことに関して俺はなにをすることもできなかった。
妹が通っていたのは学力は普通の高校だった。
そう、ドランカーになることは諦めたのだ。
最初こそ頑張っていたのだが、精神をボロボロにする程の勉強、勉強勉強勉強の毎日。
趣味など持っての他、ドランカーに関する知識以外を得ることなどまったくせず、世間のことを知ることもなかった。……耐えることが、できなかった。
嘔吐をするのは一日に一度や二度ではなかった。
医者からも、このままでは死んでしまう、と。
見かねた俺は妹に「頑張らなくていい」と言った。
壊れかけた妹は笑顔を見せてくれた。だからその時はそれが正解だと思っていた。
普通の高校に入り、やっと妹は悪夢から解放され普通の女の子として過ごすことができるんだと思っていた。
でも、人とまったく接触することなく過ごしてた妹はまったく空気に馴染めず、友達を作ることができなかった。
だから、学校ではまるで息をするかのように勉強をしてしまっていた。
小さな頃から、ずっと勉強をしていた……もう勉強するのが癖のようになっていた。
教室の窓の外に閉じ込められたり、椅子に接着剤を塗りたくられる、遠征旅行での遊園地で一人置きざりにされる等……。
そうとう辛かったのだと思う。
時々虐められたことを思い出しては、頭が痛い、火花がパチパチするみたいに痛むと、そう言っていた。
……忘れられることができないのだろう。そんな発作が起こるたび、俺は側にいてやることくらいしかできなかった。
ドランカーになったのは過度なストレスを受けたことが原因かもしれない、と医者は言っていた。
勉強の毎日でのストレス、そしてそんな毎日を送ったせいで虐められ、そのストレスで……。
……最初の選択が間違っていたのだ。
勉強なんてさせず、楽しく過ごさせていればよかったのに。
もし時間を戻せるなら、俺はあの時の俺を止めたい。
そうすればこんなことにならずにすんだのに……。
そんなことを考えながら、アパートのベランダから空を見つめる。
この空の色さえ、きっとドランカー達からしたら別の色に見えているのだろうな……。
今は晴れてるけど、あいつらの世界では雪とか降ってたりして。
「……そんなことも、ありえるんだよな。ドランカーの人たちには」
誰に言うでもなく、俺はそんなことを呟いていた。
……そんな時。
「……雪?」
雪が降ってきた。
馬鹿な、今は夏だぞ?まさか俺もドランカーに?
手を伸ばし、雪の一つを捕まえる。
……冷たくない。
よく見てみると、それは紙で作られたものであった。
そうか雪ではなく紙吹雪だったのか。
ホッと一安心をする。それと同時に、ある疑問も沸いてくる。
降ってきた雪は人工物だとわかった。つまり今この瞬間、上から降らせている人物がいるはずだ。
「……ちょっと見てくるか」
俺は玄関から外に出ると、アパートの屋上を目指した。
なにしろ雪と間違えるくらい降ってきた紙吹雪の量は異常だったのだ。
そんなことをする暇人がどんな人物なのか、気になるじゃないか。
暗く狭い階段を上り、屋上へのドアを開ける。
そこには、妹そっくりの車椅子に乗った少女がいた。
「……君は……?」
「私は被験者No.7……"ナナ"」