伝わらない言葉、繋がる想い
ゲームセンターに着いた私はさっそく店長に呼び止められた。
「またあんたらか……」
「ええ、それ相応の代金は支払っているからいいんですよね?」
店長の男は呆れ、あきらかにお姉ちゃんを変な目で見ながらそう言った。
私は表情を変えることなく、あっけらかんとした風を装ってみせた。
「ち……――の言いつけがなけりゃ、こんな二人……いや、一人か。――してやるのによぉ……」
なにやらブツブツと言いながら店長はゲームセンターの奥へと消えていく。
正直言うと店長は見た目も素行もとても怖いのであまり会いたくない。
今でも両手足が震えているくらいだ。
それでも、あんなに怖そうな人が私たちを追い払えないのはわけがあった。
実は私には毎日24時間365日、鈴付きをサポートする"ヘルパー"として勤労した分が国から給料として支払われているのだ。
それは私用に使っていいとのことなので、お姉ちゃんがここを利用するのを断られないように店長に少々のお金を払って黙っていてもらっているのだ。
ただ、お金を払っているとはいえあまり大きな態度でいるとひどい目に合わされるかもしれない。
怖いことや痛いことは嫌だし、なによりお姉ちゃんがどんな目に合うかわからない。
だからこれからはもう少し大人しくしていようと思う。
ゲームセンターに入るとたちまち騒がしい音楽と人の声が私の耳を刺激した。
大勢の人で賑わう中を、車椅子を押しながら悠々と人ごみの中央を突っ切るのはなかなか勇気のいることだったが、視線を下に落とし、周りの人の視線と交わらないようにすることでそれは達成できた。
お姉ちゃんの目当てのゲーム筐体は奥のほうにある。
ゲーム筐体とはいってもそれは電源の切られた、真っ黒な画面しか映っていない筐体だ。
まあ、お姉ちゃんの世界ではそれがどういったものに見えているのかはわからないが、お姉ちゃん自身はとても楽しそうなのできっと他のものに見えているのだろう。
私はそんなお姉ちゃんの後ろで、ただ見ているだけ。
今だって、そう。手を伸ばせば触れられるのだ。だが触れてはいけない。触れてはならないのだ。
今、私があなたに触れたらどうなるのだろう?
見えない?違うものに見える?
いずれにせよ、これ以上認識のズレを起こしてお姉ちゃんの病気を悪化させてはいけない。
触れられるのに、触れられない距離。
私とお姉ちゃんを隔てる世界の境界線が私を阻む。
どうしてあなたはみんなの違う?
どうしてあなたは違うものを見る?
どうして……どうして、そんなに楽しそうな顔をする?
ただ立ち尽くし、見ているだけの時間は過ぎていく。もうそろそろ帰る時間だ。
お姉ちゃんの分はもちろん、お兄ちゃんの分の晩御飯を作らないといけない。
私は車椅子を押し、また視線を落としながら店を出て行った。
「ただいまー」
夏といえどもすこしあたりが暗くなる時間、お姉ちゃんと私は家に帰宅した。
車椅子からお姉ちゃんをおろすと、私はさっそくキッチンへ先回りする。
朝、早起きして用意しておいたから揚げをレンジの中にいれあっためる。
「お帰りなさい、お姉ちゃん」
「ただいまIRIA」
お姉ちゃんはすっかり夕飯時の匂いにつられ思わずキッチンに顔を出してきた。
「今日のご飯はなに?」
「はい、今日はから揚げですよ」
二人で食事するにはとても食べきれないような、不自然な量のから揚げがキッチンに並べてある。
お姉ちゃんが食べ終わった後、お兄ちゃんにも食べさせてあげるためだ。
「っていうか凄い量……いまに始まったことじゃないけど。……そう、IRIAはなぜかいつも料理をたくさん作る。まあ食べてみたら結局いつの間にか完食しているのだが」
やっぱり不思議に見られていたみたい。しかし、お兄ちゃんが食べている分がなくなっているということは、いつの間にか完食しているという認識になっていたのか。
話をしている間にレンジの音がピーっと鳴った。
どうやらから揚げが完成したようだ。
「はい、出来上がりです」
そうして私は食器をテーブルに運ぶ。
お姉ちゃんはいつも手伝おうとするのだが、腕が一つしかないのにそんなことさせられない。
ましてや"無い筈の腕があると思ってる"お姉ちゃんはどんな矛盾を起こした動きをするのかわからない。
そんなわけで、とりあえずお姉ちゃんの背中を軽く押しながらテーブルに着かせる。
「いただきまーす」
「はい、どうぞ」
お姉ちゃんが食事を食べ始めると私はいつも隣に座って食事の手伝いをする。
自分で食べられるから、といわれたらいつも
「私の仕事ですから」
と、譲ってあげない。
私はヘルパーで、お姉ちゃんの妹なのだ。ここはだけは頑固にいかせてもらう。
「まあ、そんな日常にもすっかり慣れてしまったので私はもうなにも言わない」
……?
今、お姉ちゃんは何か言っていただろうか?
"もうなにも言わない"……か。
「こんなことを繰り返していたら私は料理はおろか食事の仕方まで忘れてしまうかもしれない」
「それはおおげさですよ、お姉ちゃん」
「おおげさといえば、こんな食事自体がおおげさだとおもうんだよねえ……。私は食事中、まったく手をあげることなく終始IRIAに"あーん"してもらうのだ。恥ずかしいというかみっともない感じもする」
……そうか、知らない間に迷惑をかけてたんだ。
やっぱりこういうことはただのおせっかい……なのかな。
でも、それは私の「仕事ですから、でしょ?」
私の思考にかぶさるようにお姉ちゃんは言葉を続けた。
わかってしまうのだろうか、私の沈んだ表情が……。
でも、お姉ちゃんは嬉しそうだった。
これはもっとお世話してもいい……ってことだよね?
「わかっているのでしたらじっとしていてください。はい、あーん」
「いつもの日常では私がIRIAのイニシアチブを奪っているのに食事の時だけこの始末だ。このままやられたい放題なのも癪なので反撃してやることにした。そういやIRIA、私の出した宿題わかった?」
宿題とは、今朝いっていた私とお姉ちゃんの違いの話のことだろう。
その答えをみちびけたのかどうかを、いま問われているのだ。
……私の気持ちは、いつでも沈んだまま。
必死に言いたいことも、触りたい時も、全部我慢しなければならない。
この際、認識のズレというリスクを背負ってでも、本当のことを言ったほうがいいのでは?
言ってあげたい。こっちに帰してあげたい。
だから……私はこう答えることにした。
「ないのです」
ただ、一言だけそう告げる。
「あー……IRIAさん? ないのです、とは?」
意味が伝わらず、聞き返される。
もういちど、今度はより鮮明に伝わるように説明する。
「ですから、私たちに違いはないのです」
「えっと……つまり私とIRIAは一緒ってこと? あのね……いくらなんでも違いはあるでしょ」
確かに、にわかには信じられない話だ。
お姉ちゃんからしてみれば、一緒に過ごしていたロボットが実は人間だ、などといわれているのだ。
「まずあんたは食事しないでしょ」
「できない理由があるのです」
そう、お姉ちゃんの前で食事をしようものならその瞬間に認識の強制力が働き、お姉ちゃんの病気は悪化してしまう。
だから極力お姉ちゃんの前では食事をしないようにしていたのだ。ロボットのようにつとめるために。
「そんなシステムを積んでいないからでしょ」
システム?食事をするシステム、ということ?
そんなものは必要ない。私は人間なのだから。
「違います」
「なにが違うの」
「違うのです」
「だから何が」
「お姉ちゃんにはわからないことです」
もういい。やはり説明してもわからないようだ。
違う世界の私が、なにを言おうともその言葉はまっすぐ伝わらない。
「はあ? なにそれ、否定をするなら説明をしてよ」
……わからないなら教えてやる。
強制力がなんだというのだ?そんなもの、捻じ曲げて捻じ曲げて捻じ曲げて……そうしてしまえば私の言葉は届くのではないのだろうか。
そう思った私は、真実を伝えることにした。
「私はロボットじゃない、人間だからです」
「ほら、そうやってすぐノイズを出す」
「ノイズなどだしていません」
伝わらないはずはないのだ。
私の言葉は世界に存在するのだ。
絶対に伝わるのだ。
「きっと演算処理に失敗したのね、今日はもうシャットダウンしなさい」
演算処理なんかしてない、シャットダウンなんかできない。
私はロボットなんかじゃない。
どうして……どうしてわかってくれないの……。
「違うんだよ!」
「だからなにが」
「私は人間で、お姉ちゃんの妹なんだよっ……」
「だからなにが!」
「ひっ……く……」
お姉ちゃんはなにも聞こえない。
私が見えない。
怖い。私という存在を認識されないことが怖い。
私がロボットじゃないって……証明してくれないことが怖い。
「ごめんIRIA……私はあなたを下に見ているとかそんなんじゃなくてただあなたならどう答えるか興味がわいただけだったの」
「いえ……お姉ちゃんは謝らなくていいのです。まだ不完全である私の不始末だから……」
そうだ、私はなにをやっている?
こんなことをしていてはお姉ちゃんの病気は悪化していくだけだというのに。
「言葉を選ぶって大変だなあ……私の思ってることがそのまま伝わればいいのに」
お姉ちゃんは悲しそうな顔をしてそんなことを言った。
お姉ちゃんの中ではロボットであるはずの、私に。
思っていることがそのまま伝わればいいのに……か。
「伝わっているよ」
私は笑顔で言った。
お姉ちゃんの思っていることはずっと口にでているんだから。こんなに優しいお姉ちゃんの気持ちなのだから。それは世界が違えども、ノイズが混じることなく伝わる。優しさはそのまま私に伝わる。
「お姉ちゃんの思いはいつでも丸聞こえだよ」
「そうか、そうだったね」
「……うんっ」
嬉しくて、ただ私のことも気にかけてくれるのだと。
そう思われているだけで私は嬉しくて、笑って、お姉ちゃんと笑顔でいられるのだ。