機械になった妹は世界を超える夢を見るか?
学校に着く。
教室に入ると、お姉ちゃんのクラスメイトの人たちからいぶかしんだ視線が送られる。
この視線にも正直慣れてしまった。
お姉ちゃんはというと、宮子、春香と呼ばれる架空の友達と楽しそうに会話している。
クラスメイトの人たちからは「相変わらず気持ち悪い」等の言葉が飛び交う。
私はそんな言葉が聞きたくなかった。
聞きたくなかったので、聞こうとしないと思えばそれらの言葉は私にはまったく聞こえなくなった。
外の言葉――穢れたナイフの雨を完全にシャットアウトできるのだ。
不思議なものだった。
コツさえ掴んでしまえば後は簡単だった。
人間というのはよくできているなぁ、というのが私の感想だった。
授業が始まると、私は授業参観の親さながらに教室の後ろに立ち、お姉ちゃんを見守った。
授業中、お姉ちゃんはずっと携帯を弄っていた。
もちろん、先生はそのことには気づいているが、あえて何も言わない。
医者からも、そう言われたからだ。
お姉ちゃんの社会復帰の為だ、と。
まあ学費はちゃんと払ってるし、他の生徒に迷惑もかけていないので当面の間はこれでいいそうだ。
授業が終わり、周りが騒がしくなる。
そんな騒がしさの中、私は声をかけられた。
「おはよう……愛璃ちゃん」
声の主は、同じクラスメイトの神田直人だった。
気弱そうな見た目をしているが、なにかと私たちの心配をしてくれている男子だ。
「おはようございます、直人さん」
私も挨拶し、会釈する。
「なにか、新しい遊びを見つけたみたいだね」
直人さんはお姉ちゃんを見やりながら言った。
"遊び"とはおそらく今、一生懸命に携帯を弄っていることの話だろう。
「はい、なんにでも夢中になることを見つけるのはいいことです」
私は純粋にそう思っていた。
せめて自分の中の世界の中だけでもなにかに没頭して、楽しくしてくれたらいいなと思う。
「でもあんなに夢中になるなんて……一体なにをしているんだろうね?」
「確かに少し気になりますね……」
……しかし。
「私は家で留守番していることになっているから、学校で姿を見せてはいけないし……直人さん、ちょっと見てきてくれませんか?」
「僕が? まあ……構わないよ。じゃあ見てくるよ」
直人さんはそう言ってしばらくお姉ちゃんの側で携帯を覗き、振り向いたかと思うと眉に皺を寄せ妙にいぶかしんだ表情でこちらに帰って来た。
「どうでした?」
「……なんか、凄い哲学っぽい感じの……難しいサイトの掲示板を見てるみたいだったよ」
よくわからないが、もしかしたらお姉ちゃんの世界では別のものに見えているのかもしれない。
しかし哲学……か。
頭のいいお姉ちゃんのことだから、やっぱりなにをするにも一般人には理解しがたいものになってしまうのは仕方のないことだ。
いつもとは多少違うところが見られたものの、大きな変化はなく一日は過ぎていく。
私はただそれを見ているだけ。
全ての私生活を投げたして、徹底して傍観者となるのだ。
しかしただ見ているだけではおもしろくない。
お姉ちゃんがどうすれば帰ってくるのか、いつもそれを模索しているのだ。
例えば、そう。この世界の成り立ちから模索する。
これは仮定であり思考実験だが、まず反射率100%の鏡を二つ用意して、合わせ鏡とする。
ひとつの鏡の中央に穴を空け、そこから奥を覗き込む(この場合その穴には光の漏れが一切ないと仮定する)。
そこには"鏡に写った自分の目を写した鏡を写した鏡~を写した鏡、とループする鏡"がある。
反射率は100%なので事実上、無限個の目が存在することとなる。
有体に言えば、それは一種のフラクタル構造であり、その全ては大きさは違えど全て同一であるといえる。
しかし、そこで一瞬瞬きをしてみる。
鏡に映った目も閉じるのだが、像が写る速度は光の速さを超えられないため、こちらが目を開いた時、無限個先の目は閉じているはずである。
このように、全てが同一と仮定された中でも真は偽である場合が想定されることがある。
なぜこうなったのか? それは先ほども出てきたとおり、全ての事象は光速を超えることができないからである。
それぞれの鏡に映った目が閉じるのはほんの一瞬のズレがあり、微々たるものでもそれはいずれ人間の目でも観測できるようなズレになる。
これは今朝お姉ちゃんが言っていた"テセウスの船"と同じ。
一枚目の鏡は"同時に目を閉じた"。そして二枚目も同時であるといえる。
そして三枚、四枚目となってもそれは変わらない。
だが無限先の鏡は、もはや同時に目を閉じてなどいない。
いわば高速で倒れていくドミノ倒しだと思えばいい。
"一枚前の鏡の目が閉じる前に、現在の鏡の目が閉じることは決してない"ということだ。
しかし、同時である、同時ではないという二つの答えがあったとして、その違いの境界線は果たして何枚目の鏡にあるのだろうか?
もしもその鏡を見つけることができたなら、それが意識・認識の境界線。
白と黒の間、正と負の間、1と0の間、そして……お姉ちゃんの世界と、私の世界の間。
こいつを証明することができれば、どうなる?
二つの事象は溶け合い、一つになるのだろうか。
お姉ちゃんを、救い出すことができるのだろうか?
……いや、これは妄言か。
そもそもいつからの鏡が同時でなくなったか、などというのは観測した人物の主観で決められる。
いわば"一人一人に見えている世界は違う"のだ。
私は哲学者などではない。
立証されないものではお姉ちゃんは救えない。
他にも方法は無くもない。
例えば、群速度と呼ばれる速度が光速を超えることが観測されている。
この群速度は情報の伝達の速度を意味するものであり、光速の3倍の速度を観測した事例もあるらしい。
イメージとしては、AとB、二人の人間がそれぞれ宇宙空間におり、二人は数光年を超える位置に居たとする。
この時Aはとてつもない長さの棒を持っており、それはBの位置まで届いている。
そしてAが棒を引っ張れば、Bは動いた棒を見て、"Aが生きており、棒を引っ張った"という事象を光より速く観測することができる。
このような異例な情報伝達方法があるのなら同じ考えで、この世界と隣り合った別の世界の境界線を超えることができるのでは?
それにはまず先ほどの例のような長い棒に代わる"私からお姉ちゃんに届いているなにか"が必要だ。
まず思い浮かんだのは、言葉。
いや……言葉はそのまま伝わらない。
たとえどんな言葉を投げかけようとも、お姉ちゃんにたどり着く時には別の言葉となってしまっている。
もっと直接的に伝わるもの……。
……痛み、とか?
いや、お姉ちゃんに暴力をふるうつもりか?
というか、仮に痛みは現実世界と同じだとしてもそれがなんだというのだ?
ただお姉ちゃんは痛いだけじゃないのか?
駄目だ……棒は見つかったけど、それが動くことが何を意味するかがお姉ちゃんにはわからない。いや、まあ"殴られた→痛い→そうかここは別の世界だったんだな"ということを理解しろというほうが無茶な相談だけど。
……と、そんなことを考えていると今日の授業はもう終わっていたようだ。
次々と生徒たちが教室から鞄を持って出て行く。
「では、今日もあそこに行きますか?」
私はお姉ちゃんの車椅子を押して教室から出ながら聞こえていないだろうが、一応話しかけてみる。
「さあて……放課後はなにをしようかなあ……?」
お姉ちゃんはそう呟くが、目的の場所は既にわかっている。
私はそれから何も言わずに、野中FRT……ゲームセンターへと向かった。