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008 :// 危険と出会い -1-

 ケェゴオオオオン!


 耳をざりざりとかき乱すような、甲高さと低いしゃがれ声の混じる独特な咆哮。

 森中に響き渡るほどの遠吠えが、木々の葉を震わせた。


「おい、キアン。今の……」

「聞いてた。あの変な声……キマイラなんじゃねぇか?」

「嘘だろ!? キマイラはBランク魔獣だぞ!?」

「かなり近いな。マズイぜ」

「逃げよう。ここに留まるのはよくない」

「ああ、荷物をまとめろ。南へ下るぞ」



          ■□



「クロア、朝。起きて」

「うーん……まだ……早いよー……」

「すごい、ヨダレ」

「それはね……夢だよ……。いいオトナが……ヨダレなんて……」


 声をかけてきたシグを見ずに、さりげなく口元を拭い、仕方なく起きる。

 この世界の人々は、日の出と共に起床するのが普通らしい。

 目覚まし時計さえなければ、次の日暮れまで眠り続けることがあるクロアには、とても不向きな世界だ。

 ぽやぽやする頭のまま死人のように外に出て、巨木の裏の切り株に貯めてある水で顔を洗った。


「あれ? リーシアは?」

「青の実、取りに行ったぞ。クロア起きるまでに戻ってくるって走ってったぜ」

「ふーん」


 青の実と呼んでいる果実は、リーシアのお気に入りだ。

 繊維質の実で、味は最初に鼻につんと抜ける刺激の後に、控え目な甘みがじゅわりと広がる不思議な味。

 スパイシーなりんごのような果実で、好き嫌いが分かれるタイプである。

 クロアも最初はイマイチだと思ったが、慣れると逆にその刺激が癖になって今ではリーシアと一緒になってよく食べる。


「朝ごはんはリーシア待ちだねー」

「食い終わったら、今日も探索だからな!」

「わかってるってばー」


 もう少し広い拠点が欲しくなってきたので、最近はラーシスと探索に励んでいる。

 4人になると今の場所は少し手狭なのだ。

 ついでなので、いい拠点を探しつつ使えそうなアイテムも探している。


 この森では、稀に人が落としたものが拾えることがある。

 今まで見つけたものは、布きれと水筒。

 贅沢は言えないが、出来れば刃物を見つけたいものだ。

 刃物さえあれば、かなり出来ることが広がる。


「待ってる間にカゴでも作るかねー」


 最近網の作り方と同じやり方でカゴを作っていた。

 小さなカゴは作ってあるのだが、背負いカゴがあるといいと思って、地道に作っている。

 リーシアが戻るまでヒマを持て余したクロアは、その続きをせっせと始めた。






「……遅い!」


 苛立ちを隠さないラーシスが持っていた枝を地面に叩き付けた。

 腹時計だが、あれから30分近く経った気がする。

 青の実の生えている場所は、往復でも10分あれば充分の印象だ。

 近いからこそ、ラーシスも単独行動を許したのだ。


「……何か、あったの、かな」


 リーシアはほんわかしているから、可愛い野獣でも見つけて追いかけているかもしれない、と想像する。

 しかしクロアが起きるまでに、と言い残して行ったのだから話は違う。

 ほんわか少女は人に迷惑を掛けることを嫌うのだ。


「探しに行こうか」


 不安からか、ラーシスが後ろで舌打ちした。






 青の実の木まで3人でやってきたが、リーシアの姿はなかった。


「オレ、あっち探してくる」

「……僕、あっち」

「あんまり遠くまで行かないようにね」


 クロアも別方向へ歩きだそうとして、草むらの陰に見覚えのあるものを見つけた。

 小さめのカゴ。

 クロアに習ってリーシアが作ったもので、おそらく青の実を入れるために持ってきたのだろう。


 粗雑な作りで商品としては売れないレベルだが、クロアたちにとっては貴重品の部類である。

 これが放り出されているということは、何かしらの緊急状態になったに違いない。


 カゴの落ちていた場所を中心に、周囲の地面を観察する。

 獣の足跡らしきものは見つからない。

 あるのはクロアたち、人間の足跡だけだ。

 嫌な予感がする。


 じっくり見れば、クロアよりも大きい人間の足跡が多数ある。


「まさか人間に襲われた……?」


 ぼそりと呟くと、ラーシスが駆けてきた。


「全然見つからねーよ! アイツどこ行ったんだ」

「……ラーシス。もしかしたら私たち以外の人間がいて、何かあったかも」


 クロアが持っていなかったカゴを手にしているのを見て、ラーシスも察したようだ。

 不安に表情が歪んでいる。


「クロア……! ラーシス……!」


 シグが慌てた様子で戻ってきた。


「リーシア、いた」

「無事だったか!?」

「大人に、捕まってる、みたい」


 嫌な予感が的中してしまった。


 シグに促されるままに、ラーシスとついていく。

 出来るだけ音を立てないように、ゆっくりとだ。


 先頭を行くシグがあるところでしゃがみ込み、こちらを振り向いた。

 クロアたちも頷いて、しゃがむ。

 そのままじりじりと進んで、シグが指差した草むらの先を覗き込む。


 少しばかり開けたところに、男たちが座り込んでいる。

 数は5人。

 周囲にテントや寝床などの固定するようなものはない。

 肩から提げたままの鞄や、斧を持ったままのところを見ると、移動中の休憩のような雰囲気だ。

 一人を除いて、どの男も日焼けしてガタイがいい。


 一人だけナヨッとした、疲れたサラリーマンみたいな男の隣で、リーシアが膝を抱えていた。

 よく見れば腕ごと胴回りがロープで縛られ、ロープの先をその疲れた男が握っているようだ。


「リーむぶ」


 ラーシスの口を押さえ、飛び出して行きそうな体を肩から押さえつけた。

 あぶない。


 幸いにもラーシスの言いかけた声は会話とかぶって聞こえなかったようで、男たちが動く様子はない。

 手振りで撤退を伝え、3人で静かに移動した。

 ラーシスは若干抵抗を見せたので、クロアが無理やり引きずるようにして連れていった。

 もう声は届かないだろうというところまで移動して、ラーシスの口を覆っていた手を放す。


「何すんだよ!」

「それはこっちの言葉。全員を危険に晒す気? 驚いたアイツらの誰かが、咄嗟にリーシアを傷つけたらどーするのさ」


 歯がゆいようで、ラーシスはもにょもにょと口を動かす。


「確認だけど。もしかして、アイツらが前に言ってた奴ら?」

「……ああ。見覚えある。青髪のヤツ。シグも前に見ただろ?」


 こくこくと頷くシグ。


『人を捕まえては魔獣狩りのオトリに使ってる』

『子供を殴ったり蹴ったりするのを、見たことがある』


 クロアはラーシスと出会った時に言っていた言葉を思い返した。


「説得して返してもらうのは、さすがに無理?」

「無理だろ。全員捕まえられんのがオチだな」


 シグも強く頷く。

 ただの子供を縛り上げているような連中だから、やはり平和的解決は諦めるしかなさそうだ。


 出来る限り早く救出しなければならないが、人数も負けていて、一人当たりの戦闘力も違うだろう。

 おまけにあちらは武器持ちだ。

 リーシアを助けるには、トリッキーな動きで奴らを出し抜いてくしかない。


 クロアは思考をめぐらせて、うなる。


「なにか作戦を考えよっか……」



          ■□



 それから、各々作戦通りの配置についた。


 クロアは草むらに身を隠しながら、胸に手を置いた。

 日本で生まれ、暴力沙汰など関わることもなく生きてきた。

 況してや死ぬかもしれない状況など、想像すらしたことがない。

 だが目の前にある危険は現実だ。

 心臓の音がうるさい。

 しかし、覚悟を決めなければ。


 作戦を決めた時の会話を思い出す。


『分かった、けどよ……これじゃあ運が悪かったら、誰かがまた捕まっちまうんじゃ……』

『そうなる可能性はあるね。人数も体格も負けてる相手に、無傷で全員が助かることはないと思うよ』

『いいのか……? オレは妹を必ず助ける! けどオマエらは……』

『ラーシスたちがいなければ、私が捕まってただろうからね。恩を返すつもりだよ。シグはやめていいと思うけど』

『ううん。リーシア、優しい。傷ついて、ほしくない。僕も、やる』

『……オマエら……。ありがとう』


 まだ子供なのに、ラーシスもシグもしっかりと覚悟を決めていた。

 ならば大人である自分も、負けていられない。


 ふう、と一つ大きく息を吐いた。


(———しゃァ! やるぞ!)


 スタートはクロア。

 この心の叫びとともに、叫ぶ。


 草むらの中で、手を前方に向けて。


「『滴れ【(ウォーター)】』!!」


 滝のような大量の水が、男たちに降り注いだ。

 これだけ暴発した魔法ならば、何が起きたか瞬時に判断出来まい。


 予定としては、クロアの魔法で注意を引いた隙にラーシスがロープを持つ男を攻撃し、リーシアを救出する。

 これと同時に別の場所に隠れていたシグが、一番隙の大きい奴を木の棒で全力で殴る。


「痛ぇ!!」

「ぐあっ!!」


 男の野太い悲鳴が聞こえたところで、クロアは再度叫ぶ。


「もっかい『滴れ【(ウォーター)】』!!」


 これでまた目くらましが出来ただろう。

 クロアは男たちに背を向け、全力で逃げ始める。

 今頃全員がバラバラの方向に逃げているはず。


「んだコラ、止まれェ!!」


 怒号が背中を追ってくる。

 バレた。

 分かっていた展開だが、冷や汗が額を垂れていく。


 チラリと首だけで振り返る。

 男が2人、追いかけてきている。

 ということは、ラーシスたちとシグに1人ずつ追跡がついたのだろう。

 さっと視線で探れば、シグの背を追う男が見える。


「『滴れ【(ウォーター)】』!!」


 走りをとめないまま、シグを追う男に滝をお見舞いしてやる。

 速く走れないシグがすこしでも助かる可能性が上がるように。

 練習した甲斐あって、少し遠くへ魔法を撃つことが出来るようになって本当によかった。


 遠くで男が激しく咽せる音が聞こえたので、上手くいったようだ。

 シグの無事を祈りつつ、こちらも何とかしなければならない。

 クロアは足を止め、素早く手を男たちに向ける。


「『凍えろ【(アイス)】』!」


 クロアを追ってくる男たちとの間に巨大な氷山が生まれ、立ちはだかる。


「なんだこりゃあ、氷か!?」

「逃すな! 追え!」


 実はこっそり練習を始めていた、氷魔法。

 巨大な氷山が生まれるだけなので実戦には不向きだと考えていたが、逃げるために敵の障害にするには充分だ。


「『凍えろ【(アイス)】』!」


 氷を避けて追ってくる男に、また魔法を放つ。

壁の如く高く聳える氷が、クロアと男の間を阻む。

 少しずつでも距離が開ければ、勝てるはずだ。


 とにかく、走る。


「『凍えろ【(アイス)】』!」


 走る。


「『凍えろ【(アイス)】』!!」


 魔法を使い続けると体力を失うらしい、が。

 それ以上に、呼吸が苦しい。

 この時ばかりは、体力不足の自分が恨めしかった。


 でも男の片方は見えなくなった。

 あと1人、撒くまで頑張ればいい。


 そう思った時だった。


 重くなった足が、木から伸びる根に引っかかった。

 浮かぶ体。

 咄嗟に前に出る手。

 終わった、と思った時には体が地面に落ちていた。

 体のそこら中が地面を擦って痛む。


 もう森の道には慣れたと思っていたが、自分が思い込んでいただけだった。


「ッッの女ァ!」


 浴びせられた怒声と共に、脇腹に痛みが走る。

 また浮かんで、ひっくり返る体。


 追いつかれ、蹴り上げられて息が止まる。


「手間かけさせてくれやがって!!」


 再度足を腹にねじ込まれ、呼吸と唾が口から飛び出た。

 息が詰まって、上手く動けない。


 だが、負けてられない。


「どうしてくれようか、この女ァ」


 青髪の男がしゃがみこみ、クロアの胸元を掴もうと手を伸ばした時。

 クロアは地面についていた手を握り締め、土を掴むと男の顔に投げつけた。


「テメェ!!」


 一瞬生まれる隙。

 しかし慌てた男が振った斧が、左の太股を切りつけるのが早かった。


 噴き出す血。

 熱い、と思ったのは一瞬だった。


 だがクロアは止まらなかった。

 右手を軸にして飛び上がるように立つ。

 そして、全力で蹴り上げた。


「ッグオオ!!」


 クロアの右足は男の股間を真っ直ぐ捕らえた。

 男は腰を丸めて叫ぶ。


 とにかく逃げなければ。


 一目散に駆け出すクロア。

 逃げ先に、撒いたはずの別の男を見つけ、瞬時に方向を切り替えて走りだす。


 たぶん人生の中でこんな動きをしたことは初めてだ。

 火事場の馬鹿力とは、判断力や反射速度も含まれるのか、なんて頭の片隅で思った。


 走るが、思ったよりも速度が出ない。

 先程よりも、明らかに遅い。

 そう思ってから違和感に気付いて、足を見た。


 温かい血が左足を真っ赤に染めていた。


 そのことに気付くと、途端に力が入らなくなった。


(あ、超痛い)


 呼吸が苦しい。

 足が痛い、というよりも重くて動かない。

 これ以上走るのも、厳しい。


 クロアは草むらに入り、草むらから草むらへと移動した。

 葉や枝が刺さって痛いが、止まるわけにはいかない。

 足から血が垂れるので、隠れる前に痕跡を誤魔化さなければ。


 いくつも草むらを超えると1メートルほどの低い崖のような段差があった。

 回り込んで、その段差の下の草むらに倒れるように隠れた。

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