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003 :// 地獄の水なし生活

 反省はしているが、後悔はしていない。

 曲げてはならないものを通した結果だから。


(だるい……体が重い……ああこのまま寝たら家のベッドに戻ってたり…………しないよなぁ……)


 だがもしも、を考えてしまう程度にしんどい。

 一日フルで働いた日なんて、小さな疲労だったのだと思えるほど。


 だるいというか、もう体が動かない。


 召喚された日、そのまま勇者していればどうなっていたか。

 後の祭りだとわかりつつも、どうしても考えてしまっていた。

 あのままブラック王国の社畜勇者をしていれば、最低でもひもじい思いをすることなく生きてはいられたかもしれない。






 あれから3日経つ。


 水なし、飯なし、人っ子一人見つからない森の中。

 杏奈は死がゆっくり歩み寄ってきて、隣で自分の顔を覗きこんでいることをリアルに感じていた。



          ■□



 魔法なのか、謎の光に包まれたと思ったら、いつの間にか森の中にいた。

 柔らかな土に、草木の生々しい臭い。

 攻撃されると思っていた杏奈は、何か飛んでくるどころか人の気配一つすらしないことを確認して腰が抜け、しばらくそこで座りこけていた。


 やがて復活した杏奈は、冷静になれと自分に言い聞かせて、まず自分の鞄を確認した。

 さほど役に立ちそうではないが、持っていた荷物を取り上げられなくてよかった。


 財布、スマートフォン、カードケース、化粧ポーチ、内容物少なめのペンケース、仕事関係の書類が入ったファイル、昨日飲みきらずに捨て忘れていたペットボトルの水が半分。

 この水の存在ばかりは、怠惰な自分に感謝した。

 ほんの僅かでも、ライフラインが確保出来ていないうちは貴重品だ。


 あとは友達から貰って、鞄につけていたスカーフも装備品としてカウントしていいだろう。

 安いプリント品だが、街にでもたどり着くことが出来れば、この異世界なら高額品として金銭と交換して貰えそうだ。


 分かっていたが、今すぐに役に立ちそうなものはない。

 スマホで通話やメッセージも一応試してみたが、アイコンが電波なしと示しているので当然どこにも繋がらなかった。


「だよねー……」


 バッテリー温存のために、電源を落とす。

 今は用途がなくとも、そのうち機会があるかもしれない。


(この水がなくなる前に、水場か街を見つけないと)


 ペットボトル半分とはいえ、水を持っていたのは幸いだった。

 一方で、朝食は家で食べずに会社のデスクで食べる派だったので、既に空腹であるのは本当に不運だ。


 ペットボトルを大事に鞄に入れ、化粧ポーチに入れていた日頃はあまり使わない小さなミラーを手に取る。

 気になっていた額を見れば、見覚えのない黒い何かがついている。


(何これ。いつのまに)


 知らぬ間に正八面体の形をした固い何かが半分、額に埋め込まれていた。

 爪で叩けばカチカチと音がして、質感は石のようだ。


(宝玉って言ってたし、宝石みたいな感じ?)


 異世界転移といえば、チート。

 これがソレではないかと考え、額に集中してみたり叩いてみたりしたが、取れる様子もなければ、何か魔法的なものが起こりそうな雰囲気もない。


(魔法のある世界かー……じゃあ……)


 ふと思いつきで、右手を前に出してみる。


「スッ、ステータスオープン!」


 しーん。


(勇気出して言ってみたのに! 恥っず!)


 大体マンガなどでは、こういうことを言えばステータス画面が出てきて、HPやMPなどファンタジー要素が分かったり、なんならチートスキルが判明するものだが。

 悲しいことに、自分には当てはまらなかった。


「じゃあ、ファイア! ファイアーボール!」


 なんとなくありそうな魔法っぽいものを口にしてみるが、これもまた無反応。

 色々とそれっぽいものを試し、ただ恥ずかしい時間だけが過ぎた。


「……魔法のある世界なんて、嘘なんじゃないのー」


 別に周囲に誰もいないが、誤魔化すように呟いて立ち上がった。

 魔法のことも、まずは置いておこう。

 とにかくライフラインの確保だ。

 全く分からない場所に放り出されたので向かうべき方向も分からないが、とにかく歩き出した。



          ■□



 そして3日である。

 喉の渇きは深刻で、体力も厳しくなってきた。


 謎の果実がなる木を見つけ、木登りが出来ないので長い枝を拾い、かなりの時間を掛けて2個ゲットした。

 食べてみると、苦いタイプのスパイシーな風味で余計に喉が渇いた。

 たぶん生で食べるものではない。

 しかし味はともあれ、水分摂取が大事だと思って絞り飲んだが、意味があったのかどうか。


 貴重な食料としてこの木の傍にいるべきか、水場を探すべきかで悩み、結局また歩き出すと来た道も分からなくなった。

 ストックとして謎の実を持ってきたが、固くパサパサした実では大した水分補給にもなっていないようだ。

 いくら太陽の方向を確認していても平坦な森はどこを見ても同じように見えるし、都会育ち、かつサバイバル初心者には難易度が高すぎる。


 酷い空腹で野草と木の枝も食べた。

 もはや美味い不味いは言っていられない。

 食べてはみたものの、腹がふくれるどころか暫くして吐いた。


 深刻な生命の危機だ。


 杏奈の格好はパンツスタイルだが、オフィスカジュアルなので当然森の中を歩くのに不向きだった。

 余計な筋肉を使ってしまって、体力を無駄に消費している気がする。

 そしてもし野生の肉食獣でも出たらと思うと夜もよく眠れず、回復も難しい。


(本当に死ぬかも……)


 疲れ切って、地面に転がった。


 木々の隙間から心地良い木漏れ日が差す。

 遙か遠い上空には、妙にデブな白い鳥が飛んでいく。

 鳥ですら肥えているのに、水一滴にすらあり付けもしない自分を呪った。


 この世界は来てからずっと、ほどよく暖かく湿度も適当だ。

 こんな状況でなければ、最高のお昼寝が約束されたも同然の環境。

 ハンモックで昼寝し、夜はバーベキューの繰り返しをしたくなる心地よさ。

 本当にこの状況が悔やまれる。


「これがもしマンガなら……『勇者召喚されたけど、断ったら餓死した』……? 流行るかよ、クソが……餓死する勇者とか……」


 神様的なものからの救いもない。

 チートもわからない。

 美少女もイケメンも見つからない。


「はぁー……勇者召喚するんなら……10年くらい前に申告してこいよぉ……」


 こんなことになるのなら、受験勉強も頑張らなくてよかったし、仕事もきつい正社員などやらずにコンビニバイトとかでよかった。

 勇者召喚されるとわかってれば、もっと楽しい人生を歩めたのに。

 こんな死に方するならば、金は貯めずに世界旅行したり、毎日夕飯は高級料理店で昼食はラーメン屋巡りとか、怠惰で罪深い生活もできたのに。


「……この世界を呪って……死んでやる……。

 次生まれた時は……人類滅ぼす……最凶の魔王になってやるからな……。絶対……ゆるさねーから……。なんとか王国、絶対滅ぼす……」


 締め付けられるような頭の痛みに、重すぎる瞼。

 今度こそ、意識を失ったら本当に戻って来られない気がした。

 その瞼を閉じかけた、時。


 眼前に何かの圧を感じ、杏奈はうっすら目を開けた。

 ぼやける視界に、白い何か。


『こっち』


 そう聞こえた気がした。


「…………え……?」


 白い何かが目の前から消え、慌てて起き上がる。

 きょろきょろと見回すと、少し先で白い何かが浮いていて、右手の木の陰に入っていくのが見えた。

 手のひらくらいの、うさぎのようなサイズの何か。

 遠いうえに頭も働かなくて、わからない。


「ちょっ……待……っ……」


 ———まさか妖精とか神とか?


 わずかな期待を抱き、軋む足で追いかける。

 白いかたまりは見えたり隠れたりしながら、ふよふよとどこかへ進んでいく。


 疲労のあまりに走り切れず、走りと歩きの中間になる。

 白いかたまりはまるで道案内でもするように、速度の遅い杏奈に合わせて時折止まっては、またふよふよと飛んでいく。


「待って…………てば…………」


 大きめの木の間を抜けると、急に光が目を差してきた。

 ぎゅっと閉じた目が慣れてくると。


「あ……」


 森が開け、水が流れていた。

 それが川であることを認識した瞬間、杏奈は走り出した。

 夢中で水をすくい上げ、それすらも億劫になって顔を水面につけ、吸い込むようにして飲む。


「ゲホッゲッホッ」


 勢いよく飲み過ぎて咽せる。

 髪の毛も顎も濡らしながら、満腹になるまで水をひたすら飲み続けた。






「……煮沸もなしに飲んでしまうとは……。いやでも仕方ないよね……あの世見えかけてたし……」


 満たされてその場に横になった杏奈は、腹を下して死ぬ別エンディングを想像した。

 餓死エンドも嫌だが、孤独腹痛エンドも嫌だ。


 とりあえずこの川が三途の川でなくてよかった。

 異世界に三途の川があってたまるかと思うが。


 水が手に入ったのだから、次に欲しいものは火だ。


 これについては森をさまよい出してからすぐに考えていた。

 杏奈は枯れ葉と小枝、大きめの枝を集めてきて、川の隣に焚き火っぽく纏めた。

 焚き火の経験がないので、あくまでイメージに基づくものである。


 次に、鞄から空になったペットボトル、スマホ、書類を1枚取り出した。

 まずペットボトルに水を汲む。

 そして会議資料だった書類に風で飛ばぬよう小石を乗せる。


「……お願いします……私に火を……!」


 別に神など信じていないが、困ったときだけ神は存在する。

 ペットボトルの水で集光し、書類の黒塗りのところに当てる。

 ついでにスマホの裏の鏡面で光の反射を作り、申し訳程度に光を増やす。

 そのまま動きを止めて、じっと待つ。


 同じ体勢で、腕がぷるぷるする。

 やはりレンズでないからダメだったか、と諦めかけた時、白い煙が立ち始めた。


「わ、わー!!」


 大成功だ。


 興奮したまま火種を枯れ葉に乗せ、ふうふうと息を吹きかける。

 煙が増えてきたところで、鞄からクリアファイルを出してさらに風を送った。


 しばらくして。

 徐々に火は広がり、しっかり焚き火を作ることが出来た。


「私天才!」


 喜びのあまり変なテンションになってきた。


「ヨーシ! あとは魚だ!」


 変なテンションのままに、そこらで拾った尖りのある木の枝を手に川へ入っていった。






 大変な時間が掛かった。

 魚というものは、素早いのだ。

 魚獲りの経験がない杏奈は何度となく魚を逃がすことを繰り返し、すっかり空は赤く染まってきている。


 長期戦の結果、小さめの魚をなんとか2匹ゲットできた。

 満腹にはならないだろうが、やっと飢えを凌ぐことができる。


 もっと欲しいが、残念ながら体力の限界だ。

 だが目の前に川があるのだから、また明日穫ればいいだけのこと。

 今の自分には希望があるので、全く落ち込むどころか魚の味に期待で胸がいっぱいだ。


 早々にヨダレを垂らしながら、日が暮れる前にと串刺しにした魚を火であぶり始める。

 寄生虫が怖いので、念のため内臓は石で抉っておいた。


 今か今かと焼けるのをそわそわと待つ。

 視線だけで魚に穴が開きそうだ。


(そういえば、あの白いのって何だったんだろう……)


 火に焼かれる魚を眺めて、ふと思い出す。


 今思うと幻覚か、ゴミでも見間違えて追いかけていたような気がしてくるが、無事に川にたどりつけた奇跡を考えると、何かの意思を感じる。


 本当に妖精だったのかもしれない。

 ここは異世界なのだから。


 今さらきょろきょろと周りを見回すが、それらしき影は見当たらない。


(また会えるかな……?)


 もしも会えたら、お礼をしなければ。


 魚もそろそろ焼けただろう。

 1匹の枝を取り、ふうふうして噛みついた。


 熱い。柔らかな身。塩味のない淡泊な味。じゅわりと広がる淡い脂。そして残っていた内臓の苦み。口の中に刺さる骨。

 なにもかもが染み渡る。

 3日ぶりの食事は目が覚めるような美味しさで、杏奈は心の中で、この世全ての魚に感謝の平伏をした。

 もう一生、魚のこと神って呼ぶと心に誓う。


 あっという間に1匹を平らげ、もう一匹に手を伸ばす。


「何やってんだよオマエ!」


 突然の人間の声に、杏奈は垂直に飛び上がった。


「へ!?」


 突然現れた人影が、川に入って水をすくっては焚き火にかけ、消火しようとしている。

 驚いたが貴重な火を失うわけんは行かないと、人影の腕を掴む。


「何すんの!?」


 人影は、まだ幼さの残る少年で、雰囲気は中学に入ったか入ってないかくらいの歳の頃だ。


「こんなとこで焚き火なんかしたら、アイツらが来ちまうだろ! ここはオレらの縄張りが近いんだ! やるならもっと遠くでやれよな!」

「アイツらって何? てかヤメロ!」


 掴んだ手は素っ気なく振りほどかれ、焚き火にまた水が掛けられてしまう。


「あぁーーー」


 消えていく火の命。

 杏奈の気持ちも消沈していく。


「あぁ…………」


 完全に鎮火した。

 それを確認して動きをとめた少年は、やっと顔をこちらに向ける。


「この辺、嫌なヤツらがいんだよ。5人くらいのオッサンの集団だ」


 ボサボサの赤い髪の毛の隙間から覗く、ムスッとした表情。

 やっと説明を始めたみたいだが、今の杏奈は人生の希望を失った悲しみが強すぎてそれどころではない。


「…………オッサンの……集団……?」

「人を捕まえては魔獣狩りのオトリに使ってるんだ。日頃も酷い扱いしてて」

「……まじゅうがりの……オトリ……」


 聞き慣れない言葉の羅列。

 火が消えていく悲しみに飲まれすぎて、杏奈はオウム返しすることしか出来ない。


「子供を殴ったり蹴ったりすんの、見たことがあんだ」

「なぐったり……けったり……」

「見つかったら何されるかわかんねーぞ。オマエもな」

「……つまり……私もやべーよ、ってこと……?」

「……別に興味ねーけど」


 言い方はぶっきらぼうで鬱陶しいとでも言いたげだが、どうやら杏奈のことも心配に含めてくれている様子。

 色々なショックがあったが、杏奈は警戒を緩めた。


「……うーん……わかった。とりあえず事情知らなくてゴメン」

「わかったらさっさと移動しろよ! 迷惑だ!」

「ちょっと待て」


 森に帰ろうとする少年の肩を掴み、引き留める。


「キミ、家は? 村とかこの辺にあるの?」

「んなもんあるわけねーだろ! 廃棄地にいんのなんか、ゴミだけだろ」

「廃棄地?」

「いや、オマエだって捨てられたんだろ? 冒険者にも見えねーし」

「いやなんというか、うーん、すごーく遠いとこから突然こう、ポッと湧いてでたような存在で……何も知らないし、わからなくてさ……?」


 あからさまに何を言ってるんだコイツ、という顔をされた。

 異世界から来ましたなんて言ったら露骨に怪しまれると思ったせいで、結局歯切れの悪い怪しい感じになってしまった。


「お願い! 色々話聞かせて! ここがどこで何が起きたのかも分からないんだよお!」


 とにかくここに来て初めて出会った人間。

 逃すわけにはいかない。

 杏奈は少年の腕をがっしり掴んで縋りついた。


「うるせー、放せよ! 信頼できっか!」

「見ての通り非力なんだよお! それに足下を見ろよお!」


 杏奈に促され、少年が下を向く。

 少年の足下にはぐちゃぐちゃになった杏奈の神、もとい魚の姿があった。


「その魚だって3日ぶりの食事だったんだよお! 初めてだけど、頑張って獲ったんだよお!

 焚火してたのは悪かったかもしれないけど、ダメになった魚の詫びくらいしてよお! お腹すいたんだよお!!

 つらいよお!! ここどこなの!! 街は!! メシは!?」


 25歳と言い出せなくなるほどの、情けないおんおんとした泣き叫び。

 言っているうちにこの数日のつらさ、孤独、様々なものが堰を切ってしまったのか、涙も出てきた。

 でも仕方ない。

 子供頼りが恥ずかしくとも、背に腹はかえられないのだ。


「…………」


 少年が引いている。

 見るからにうわぁ、という顔をしている。


 だが構わない。


 例えドン引きされようが、今なら土下座も喜んでする。

 靴だって舐められる。

 何もわからない異世界で、意味もなく野垂れ死ぬよりマシだ。


「……しかたねーな…………今夜だけだぞ。ついてこい」

「えっ……いいの!?」

「いややっぱやめ」

「ありがとう!!!! 出世払いになるけど、絶対に恩は返すからあ!!」

「…………」


 納得というより、泣きつく杏奈が鬱陶しくなったような返事だった。

 死ぬほどお礼を言いまくり、またウザがられながら少年についていった。






 少年について森の中を進むと、程なくして大きな木に辿りついた。

 樹齢何千年ともつかぬ大きな木には、根元に大きなウロがある。

 ここが少年の住処のようだ。


「あっ! お帰りお兄ちゃ……ん?」


 ウロから少年と歳が変わらぬ少女が出てきて、杏奈を見つめきょとんとしている。


(妹)


 さらにその後ろのウロのフチから、別の少年も顔を半分覗かせた。

 髪色と顔立ちが違うので、兄弟ではなさそうに見える。


 どうやら彼らは3人の子供グループのようだ。


(なるほど、オレ“ら”の縄張りだもんなー)


 とりあえず少年が、ウロの中に入ることを許してくれた。

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