020 :// シグの隠してきたこと -2-
川辺に出たあたりで、月明かりではない光が見えた。
大きな岩の上に、ちょこんと座り込むシグの小さな背中があった。
「シグ」
「!!」
声をかけると、びくっと体を震わせてシグが振り返った。
岩から飛び降りて走り出そうとするので、慌ててローブを掴んだ。
「はな、して!」
「落ち着けー」
じたばたともがくシグの頭に、チョップを振り下ろした。
今にも涙が溢れそうな目が大きく見開いて、動きが止まる。
「大丈夫。私はシグが魔族でも人族でも、どっちでもいーよ」
「ぅ……ううう」
ついに耐えきれなくなったようで、ポロポロと堰を切ったように涙が零れた。
徐々に嗚咽が漏れ、シグは声をあげて泣き始めた。
抱きしめてやろうかと思ったが、17歳くらいだと思うとさすがにマズいかと思い直した。
クロアはシグが落ち着くまで背中を撫で続けた。
■□
「どうするの、お兄ちゃん……?」
パチパチと火のはぜる音だけがする中、初めて口を開いたのはリーシアだった。
不安そうに見つめられ、ラーシスは口ごもる。
(どうする……魔族なんかと一緒にいられるわけねーし……)
また沈黙が訪れる。
「……ラーシスとリーシアが、ずっと……最初から一緒にいたんだろ?」
「……そうだよ」
オルウェンが気まずそうに、ラーシスたちを見つめた。
「ずっとその……おかしなこと、なかったのか?」
「おかしなこと……」
はぐらかした言い方だが、単純なラーシスと言えどわかる。
オルウェンはこう言っている。
“襲われそうになったことや、汚らわしい種族の一面を見たことがなかったのか?”という質問だ。
「……ねーよ、そんなの。あったら一緒にいるもんか」
「そもそもどこで出会ったんだ?」
「この森だよ」
ラーシスはシグと出会った日のことを思い出す。
『お兄ちゃん……もう……歩けないよ……』
無表情の父に連れられ、妹のリーシアと馬車に乗り、見知らぬ土地へやってきた。
初めて首都へ連れて行ってくれると言うから、楽しみにしていた。
しかし隣町についた途端、父は見知らぬ大人にラーシスたち兄妹を預け、消えてしまった。
何も、言わずに。
最後に目を合わせることも、なかった。
いいや、ラーシスは目を見たのに。
そらされたのだと、後になって思う。
後になって思えば、首都へ出発する日の母や兄たちも同じように不自然に目を合わせてくれなかった。
その事実に気付いた途端、深い底無しの暗闇に突き落とされたような気分になった。
廃棄処理人に殴られ、蹴られ、抵抗したら縛り上げられてボロボロの汚い馬車に詰め込まれた。
馬車には老人や子供が所狭しと入っていた。
思い出すのは、誰もが知っている話。
働けなくなった老人や子供、罪人は荷馬車に詰め込まれて首都へ送られると、魔法で呪われた地に廃棄される。
信じたくない想像だったが、何日もかけてごみのように運ばれ、狭い部屋に詰め込まれたと思うと、あっという間に森の中だった。
突然ポイと森の中に捨てられた。
そこからは悪夢だった。
廃棄された者同士で最初に捨てられた場にいたら、やがて魔獣に囲まれていた。
鼻息荒いヘルハウンドは、よだれを垂らしながら群れで囲み、じりじりと距離を詰めてくる。
もう何がきっかけだったかは思い出せない。
ただ、隣にいた老婆が、生きたまま魔獣に食われる様を見た。
ラーシスは、無我夢中でリーシアの手を引いて逃げた。
『しっかりしろ、リーシア。あそこ、隠れられそうだ……! 行くぞ』
『うん……』
歩き続けて、逃げ続けて、何もかもを消耗していた。
発見した大きいツタと草が絡まる場所をみつけ、休息地にすることにした。
『なにか、食べれるもん探してくる。オマエはここで隠れてろ』
『お兄ちゃん……こわい……』
『大丈夫だ、近くに魔獣はいねぇ。ガキじゃねーんだから、留守番くらい出来るだろ?』
行かないでとだだをこねるリーシアをなんとか宥め、ひとりで食べ物を探し回った。
しかしラーシスも限界が近く、目の前がふらついた。
父と別れてから何日も、水も食べ物も口にしていなかったのだ。
力なんてあるはずもない。
ラーシスはそこらに生えている草を食べた。
思えば家にいた頃から、こうして野草を食べるばかりで長らくまともなものを食べていない。
だが妹だけは、助けなくては。
その思いだけで限界だった足を無理矢理動かして、食べ物を探しに歩いた。
とぼとぼと歩き回っていると、ふと何か妙なものが落ちていることに気付いた。
最初はボロの袋かと思ったが、よく見れば人間、自分と変わらぬ年頃の子供のようだった。
木の幹にもたれかかるようにして腰掛け、動かない。
死体なのか、あるいは別のなにかかもしれない。
警戒して近付くか悩んでいると、その子供のまわりの草むらがカサカサと動く。
ラーシスは咄嗟に木の陰へと身を隠した。
(アルミラージだ……!)
草むらから、アルミラージが1匹出てきた。
小さなウサギ型の魔獣で、ラーシスの膝下程度の体高だが顎の力が強力で、例え1匹だろうが油断すれば易々と食い殺されてしまうと聞く。
よくいる魔獣なので、育った村まわりでもよく被害があって何度も話を聞いていた。
アルミラージが、子供を見ている。
『…………いいよ』
子供が、喋った。
距離があるのに、静かな森では妙にしっかり耳に届いた。
『……食べる……?』
次に聞こえた言葉に、ラーシスは心臓を打ち抜かれたような気分だった。
『いいよ……もう、つかれた……』
なにがか分からないけれど、とてもショックで。
その衝撃は徐々に怒りへと変わった。
子供はアルミラージに、自らを差し出すように手を伸ばす。
『やっと、終わる』
気付けば、ラーシスは走り出していた。
『何してんだよ!! 燃えろ、【火】!!』
手の中の小さな火を振り回して、アルミラージを威嚇する。
子供の手を掴み、走り出した。
『だ、れ? なに?』
『うるせー! そういうのやめろよ、ムカつくんだよ!!』
何が、と言われると、ラーシス自身にもわからなかった。
自分は魔獣から必死に逃げ、草を食べ飢えを凌いで、一生懸命なのに。
簡単に放り出してしまう、この子供の行動がとても気に入らなかった。
時折石を投げて威嚇し、必死に子供を引いて逃げた。
限界を超えて逃げて、息絶え絶えで思考も足も止まった頃にはアルミラージはいなくなっていた。
群れでなくて、よかった。
安心感と疲労で、ラーシスと子供は崩れるように地面に転がった。
『……こうやんだよ。わかったか?』
『…………なに、が?』
ラーシスも何のことかよくわからなかった。
たぶん、魔獣に襲われたら逃げるものだと言いたかった気がする。
簡単に諦めるなと言いたかった気がする。
『オマエ、名前は? オレはラーシス』
『…………シ……グ……』
『シグな。しょーもねーヤツだな。もうあんなこと、すんなよ。なんかムカつくから』
『……わかん、ない、けど…………うん……』
最初のシグは喋るのもぎこちなかったが、合流した子供3人が仲良くなるのに時間はかからなかった。
「じゃあラーシスが拾ってきたってことなのか」
「拾ったってゆーか……なんか気付いたらそうなってただけだ」
考え込むように顎に手を当てるオルウェン。
リーシアも過去を思い出しているのか、ぼんやりと遠くを見つめている。
その2人の間を抜けて、ベルガミュアが焚き火のもとに置いてあったクロアの分の果実を拾い上げる。
そしていつもの無表情のまま、かぶりつく。
「……ベルガミュアは他人事過ぎないか?」
「捨てるかどうか、決まりました? 私はどちらでもいいです」
「オマエ……捨てるって」
オルウェンが呆れて言うと、ベルガミュアは不思議そうに小さく首を傾げた。
「気に入ったら、価値があれば、拾う。気に入らない、不要になったら、捨てる。そういう話をしてるんでしょう?」
「ペットじゃねーん……だ……」
言いかけて、気付いてしまった。
自分たちが、そういう考えをしてしまっていたことに。
「…………クソッ!!」
胸の奥がかゆくてもどかしい。
足下の石を拾って、焚き火に力一杯投げつけた。
とても腹立たしい。
何に怒っているのかもわからないが、とにかくむしゃくしゃした。
(なんかムカつく……! なにが? オレは……)
リーシアを見て。
オルウェンを見て。
ベルガミュアを見て。
怒りの矛先は、シグと自分自身だと理解した。
■□
「落ち着いた?」
「……うん」
もうすっかり夜になってしまったが、川辺のここは月明かりでほんのり明るい。
シグは岩に腰掛け、クロアもその隣に座っていた。
ニャスタたちはライトになるのをやめ、同じように岩場のうしろに3体そろってちょんと静かに腰掛けている。
彼らなりに空気を読んでるのかもしれない。
「なんで逃げたのか、聞いていい?」
「…………嫌われ、たく、なかった……」
「人族は魔族を嫌悪してるもんねー」
そういえば、人殺しは宗教的に忌避されるものなのに、魔族は汚れているから殺してもいいと前に聞いた。
クロアとしては矛盾していて馬鹿らしいと思うが、彼らにとっては生まれた時からずっとそう聞かされてきた“真実”。
簡単に埋まる溝でもないだろう。
「シグは魔族なの?」
「……遠い、ご先祖さまが、魔族、だった、って。父親も、母親も、人族。だれも、ツノない。ボクだけ」
「先祖返りってヤツか」
故郷でもあった現象だ。
突然変異的に、何代も前の先祖の特徴を持った子供が生まれることがある。
髪色や瞳の色などがよくある話だが、珍しい話では尻尾が生えるとテレビで見たことがあった。
「じゃあシグはどうしたい? みんなのとこに戻りたいか、そうでもないか」
「いつも通り、に、戻りたい、よ……でも」
「みんながもう元通りにならない、って?」
「……うん……」
シグの気持ちが確認出来た。
クロアはぽんぽんとシグの頭を軽く叩いた。
「私はさ、元通りになると思うんだよね」
「……ムリ、だよ……」
「そうとも限らんでしょ。オトナ同士だったら厳しかったかもしれないけどさ。キミら子供なんだから、まだ可能性あるよ」
大人になればなるほど、自分の中の真実を覆すのも難しいし、意地を張りがちだ。
でも彼らなら、大丈夫な気がする。
シグを追いかける前の反応を思うと、可能性はあると思う。
「シグは口ベタだけど、優しいことみんな知ってる。嫌なヤツだったら命懸けでリーシアを助けにいかないよ。
それが理解出来ないほどのバカは、私たちの中にいないと思うな。問題は、あいつらが固定概念を打ち破れるか」
クロアは立ち上がって、手を差し出した。
「とりあえず一度気持ちを全部伝えてみない? それでダメだったらまた考えよーよ」
「………………」
「一緒にいられない、ムリって言われたら、その時諦める。でよくない? 何も聞かずに勝手に決めつけるよりもさ」
不安そうに揺れるシグの瞳。
「……拒絶されたら、2人で暮らそっかー」
「そんな、だってクロアは……」
「また振り出しに戻るって感じだけど、私はそれでもいいよ」
長い沈黙。
だいぶ長い時を経て、シグは立ち上がった。
■□
クロアが出てからもう何時間も経ったと思うが、拠点に戻ると変わらず皆が焚き火を囲んでいた。
変わった点といえば、ベルガミュアがクロアの座っていたあたりにいる。
シグはクロアの背後に隠れるようについてきた。
皆がクロアたちが戻ってきたことに気付き、そして背後のシグにも気が付いた。
するとラーシスが立ち上がり、ツカツカとシグへにじり寄った。
ラーシスはシグをにらみつけ、シグは目を合わせられずそらしてしまう。
長い沈黙が続いた。
「………オマエ、」
やがて沈黙を破ったのはラーシスだった。
「今までずっと、オレらを騙してたのか?」
「ち、ちがう……! 騙して、なんて……。言え、なかった……!」
シグの言葉にラーシスが眉を寄せた、が。
「はじめて!」
シグが精一杯声をあげて、ラーシスは息を呑んだ。
こんなに大きな声を出したのは初めて見るので、クロアもびっくりした。
「はじめて、出来た……ともだち、だった、から……!
ずっと、閉じ込められて、出して、もらえなくて……。
ラーシスの、ことも、リーシアのことも、好きだから……嫌われるの、怖くって……!」
またポロポロと涙が溢れるシグ。
「ごめん……ずっと本当の、こと、言わなくて、ごめん……」
シグが、頭を下げた瞬間。
バチッと音がして、シグが横に倒れ込んだ。
「ラー……!」
ラーシスが、シグの左頬を殴ったのだった。
咄嗟にクロアは止めようと動きそうになるが、自分で自分を抑えた。
「オレはずっと!」
ラーシスは握り締めた拳をふるふると振るわせていた。
「オマエのこと、友達だと思ってるし! オレがオマエを嫌うなんて、勝手に決めんな!! オレのことは、オレが決めんだよ!!」
倒れ込んだまま見上げるシグにラーシスはずんずんと詰め寄って、服の胸元を両手で掴みあげた。
なされるがまま、立たされるシグ。
「ちゃんと言えよ! ちゃんと立てよ! ムカつくんだよ!!」
怒鳴り終わると、ラーシスはシグの右手を掴み、その手を丸めさせる。
そして無言で自分の左頬を何度も指差した。
(お前も殴れって言ってる?)
言葉にしない割には強く主張するラーシス。
クロアはそわそわする自分を抑えて、じっと見守った。
「だから! こうやんだよ、やれ!」
痺れを切らしたラーシスが、怒りのままに叫ぶ。
シグは自分の丸められた右手を見つめ、ラーシスを見つめ、やがてむっと眉根を寄せた。
———バヂッ!
シグがラーシスの頬を殴った。
想像よりすごい威力で、地面に転がるラーシス。
ラーシスの殴打より幾分音が低かった気がする。
金属の手枷があるのだ、シグの方が重いのは当然である。
ラーシスは思っていたより痛かったことに驚いたのか、目を白黒させながら殴られた頬をさすっている。
(なんだろこれ……喧嘩両成敗みたいなこと?)
クロアも正しく状況を理解出来ているのかわからず、困惑した。
ラーシスはまだ変な顔をしているが、不満は消えたのか納得したような顔だ。
気まずいというより、どうしよう、みたいな変な雰囲気になる。
「…………ごめんね、シグ!!」
不意に、リーシアが突然動き出した。
シグの首に抱きついて、勢いのままシグを押し倒した。
リーシアはそのままわんわんと泣き出して、皆が目を丸くした。
「さっきは、びっくりしちゃって……。ごめん……ごめんね! シグはシグだから、これからも一緒にいて!」
一番びっくりした顔のシグは、押し倒されたまま固まっている。
「自分だって殺されそうだったのに、助けにきてくれたシグが、悪いやつなわけないもん!」
固まったままのシグの目から、涙がこぼれた。
「シグはずっと友達だよ!」
「早くメシ食えよな、もう冷めちまったよ」
「うん……うん……!」
立ち直ったラーシスが、焚き火の前に座り直した。
シグは笑って、両腕で涙を拭きまくった。
「……青春だね-」
安堵して、ふうと溜息を吐いた。
どうなることかと思った。
「心配させて……」
ふと見ると、オルウェンがもらい泣きしてズビズビと鼻をすすっていた。
「オルウェンこそビビってたくせに。大丈夫なの?」
「見た目にこだわるなって……のは、その……まあ、反省した」
もらい泣きのくせに誰よりも泣いているし、鼻水まで垂らしている。
(なんだ、思った以上に丸くおさまったな。
オルウェンも大丈夫そうだし、ベルガミュアはどっちでもよさそうだし。一件落着だな)
ベルガミュアはいつもの無表情でイモをかじっていた。
クロアも食事がまだだったことを思い出し、焚き火の前に腰掛けた。
その後クロアの分の食事が全てベルガミュアの腹に収まったと気付き、今日イチの大戦争になりかけた。




