佐久間健新しい仲間
柚葉とは別の話――
伸一には、いつも勝てなかった“あのFZ400”がいた。
峠で何度も遭遇する、黒いレプリカ。
伸一のバイクはツアラー寄り。加速も軽さも、あっちが上だった。
「レプリカだからって…関係ねぇ」
そう言って、伸一は毎晩、練習を重ねた。
フォームを見直し、ラインを詰め、加重移動を体に叩き込む。
そしてある日――
茅ヶ崎・七曲り。
いつもの場所。
いつものFZが、信号の向こうにいた。
赤信号、バイク同士が並ぶ。
視線を交わす。無言で中指――バトル開始!
青になった瞬間、FZが先行!
スムーズなコーナリングで、前を譲らない。
(くそ、また負けるのか――いや、今日は違う)
伸一には、秘密の技があった。
右ヘアピン手前、マンホール。
後輪だけを意図的に乗せて、滑らせる――車体の向きが一瞬で変わる!
「今だッ!!」
アクセル全開!
伸一のバイクがFZのインを突いた。最後のS字、ブレーキングを最小に抑えて――
ゴール、僅差で伸一!
二人はそのまま、峠上の駐車場へ。
ヘルメットを脱ぎ、息を整える。
「…やるな、お前」
「お宅もな」
「俺は、小野寺伸一」
「俺は、佐久間健だ」
初めて交わした名前。それは、ライバルから仲間になる一歩。
夜風が、ふたりの汗とエンジン音をさらっていった。
佐久間とはその後、何度も一緒に峠を走った。
お互いに遠慮はない。追い抜かれたら抜き返す、そんな関係。
けれど、心の底では――
実力を認め合っていた。
ある日の夜、ファミレスで冷えたアイスコーヒーをすすりながら、佐久間が切り出した。
「なあ、伸一――4耐、出てみないか?」
「……え? 鈴鹿サーキットの、あの?」
「そうだよ。4時間耐久レース。知ってるチームから“誰か組める奴探せ”って言われててさ。真っ先に浮かんだのが…お前だった」
一瞬、言葉が出なかった。
でも、胸の奥が熱くなるのを感じた。
伸一はグラスを置き、真っ直ぐに佐久間を見た。
「……わかった。やろうぜ、相棒!」
ふたりの拳が、コツンとぶつかる。
その音は、夢へのスタートの合図だった。
鈴鹿サーキット――ついに到着。
朝焼けに照らされたコースのシルエット。
ピットにはすでに何台ものマシンが運び込まれ、空気はどこかピリついている。
伸一と佐久間は、仲間のハイエースで現地入り。
リアゲートが開くと、銀と青のGSX-Rが現れた。
「おお…これが」
「佐久間スペシャルだ。何がスペシャルかって? それは――乗ってみりゃわかるってやつだよ」
にやりと笑う佐久間。
マシンの仕上がりには、彼の仲間たちも自信満々の様子。
「サス、O/H済み。エンジンはちょっと手ぇ入れてる。ミッションはクロス。あとギア比とセッティング、全部4耐仕様だ」
「マジかよ…プロじゃねーか」
その時、後ろから声がした。
「カッコいいじゃん、それ!」
柚葉がヘルメット片手に笑って立っていた。
「応援、任せてよね!」とピットに入ってきた彼女に、スタッフも思わず目を見張る。
チーム全体に、活気が走る。
ストレッチを始める者、タイヤウォーマーをセットする者、マシンにオイルを差す者――
それぞれが、自分のやるべきことをわかっている。
そしてその中に、伸一と佐久間も混ざっていく。
「いよいよだな」
「おう。ここからが本番だ」
空は青く、アスファルトの匂いが鼻を刺す。
いよいよ、夢が走り出す。
練習走行――開始。
ピットロードからゆっくりとコースイン。
空は快晴、路面はドライ。だけど、伸一の心は落ち着かない。
「……広すぎる」
鈴鹿のコースは、テレビで見るよりも遥かに巨大だった。
1コーナーを抜けてS字、ダンロップからデグナーへ。どこをどう走ればいいのか、わからない。
「速すぎる…!前の連中、どんだけ開けてんだよ…!」
バックストレートでは、あっという間に後続車がミラーの中で迫ってくる。
抜かれるたびにラインを外し、リズムが崩れる。
――ラインが見えない。
――自分の居場所がない。
今まで走ってきた峠とは違う。スピード、視界、ブレーキングポイント、すべてが別世界。
「クソッ…俺、遅すぎるのか?」
ピットに戻ると、佐久間がヘルメット越しに笑っていた。
「な?峠とはわけが違うだろ。サーキットは"流れ"じゃなくて"ライン"で走るんだよ」
「……分かってたつもりだったけどな」
柚葉が近づいて、スポーツドリンクを渡す。
「でも、ちゃんと戻ってきたじゃん。最初はそれだけで十分だよ」
伸一はボトルを受け取り、少しだけ笑った。
「次は…もうちょいマシに走ってやるよ」
数本目の走行を終え、伸一はようやくマシンを降りた。
「……ちょっとずつ、見えてきたかもな」
最初はただ広いだけだったコースが、
だんだんと"一本の線"に変わってきた。
最適な進入角、脱出ライン、そしてアクセルの入れどころ――
頭と体が、少しずつ鈴鹿のリズムに馴染んできている。
ラップタイム、2分40秒。
ピットウォールで佐久間がノートにタイムを書き込みながら、頷いた。
「おお、出たじゃん。最初のタイムとしては上出来だよ。あと10秒詰めれば予選ラインには乗る」
「マジで?」
「マジだ。最初は誰でもビビる。だけど、ラインが分かってきたら、あとは走り込むだけだ」
伸一はヘルメットを脱ぎ、汗を拭った。
顔には疲労と、そして…確かな手応えがにじんでいた。
「……いけるかもな、俺」
背後から柚葉の声が届いた。
「うん、絶対いけるよ。目、変わってきたもん」
伸一は照れくさそうに笑い、ピットのマシンに目をやる。
夢の舞台は、すぐそこだ。
鈴鹿を走ってから、何かが変わった。
茅ヶ崎・七曲り。
夜の峠に響く、怒涛の4ストサウンド。
伸一は、柚葉のGSX-Rを借りて走っていた。
もちろん、サーキット仕様に近づけるためスリックタイヤ装着。
――グリップの感覚が、峠とは別物だった。
「……おいおい、どこまで寝かせんだよ、これ」
マシンの限界を探りながら、何度もアプローチを変える。
吸い付くような旋回、ビタッと張り付くトラクション。
もう、地元じゃ誰にも負けなかった。
そんなある晩、FZの爆音が後方から迫ってくる。
「お前も来たか、佐久間!」
佐久間もまた、自前のFZにスリックタイヤ。
街乗りバイクを完全に狂気の仕様へと変えていた。
「お前と走ると、バイクが楽しいんだよ!」
ふたりは七曲を攻めまくる。
周囲からは「もうキチガイの域」とまで囁かれた。
でも――
それでも、鈴鹿では“速いやつ”なんて腐るほどいる。
4耐に出る連中は、レースキャリア数年~十年クラス。
バイクも本格マシン、セッティングもピットワークも桁違い。
伸一は帰り道、ヘルメットの中で思った。
(峠で速くても、あそこじゃただの“新人”だ)
だけど、その思いは――むしろ燃料だった。
「ぶっちぎってやるよ、あの舞台で」
柚葉のマシン、佐久間の走り、そして自分の信念。
全部ぶつけて、夢の舞台に立つんだ。
鈴鹿サーキット・予選当日。
曇り空、路面はドライ。
ピットの空気はいつも以上に重く、そして熱かった。
「……緊張してる?」
柚葉が伸一に声をかける。
「バレた?」
「バレバレ。けど、今日のお前、悪くない顔してる」
コースインの時間。
まずは伸一が先に走る。
最初のラップは様子見。
けど、次の周回から全開――
2分31秒フラット。
ピットに戻った瞬間、チームの誰かが拳を突き上げた。
「いけるぞ!十分通過タイムだ!」
続いて佐久間のアタック。
ひたすら正確、ひたすら冷静。コーナーごとの脱出スピードが、見ててわかるほど違う。
そして――
2分30秒。
「やるじゃねぇか、相棒」
「お前が先に出してなきゃ、ビビってたかもな」
ふたりは笑い合い、グータッチ。
――予選通過。
ピット全体が歓声に包まれた。
メカニックたちは手を取り合い、柚葉は思わず涙を浮かべながら笑った。
「本当に……ここまで来たんだね」
でも、伸一の表情は穏やかだった。
「ここからがスタートだよ。俺たちの“4時間”が、これから始まる」
遠くでスタートラインが、静かに待っていた。
鈴鹿を走ってから、何かが変わった。
茅ヶ崎・七曲り。
夜の峠に響く、怒涛の4ストサウンド。
伸一は、柚葉のGSX-Rを借りて走っていた。
もちろん、サーキット仕様に近づけるためスリックタイヤ装着。
――グリップの感覚が、峠とは別物だった。
「……おいおい、どこまで寝かせんだよ、これ」
マシンの限界を探りながら、何度もアプローチを変える。
吸い付くような旋回、ビタッと張り付くトラクション。
もう、地元じゃ誰にも負けなかった。
そんなある晩、FZの爆音が後方から迫ってくる。
「お前も来たか、佐久間!」
佐久間もまた、自前のFZにスリックタイヤ。
街乗りバイクを完全に狂気の仕様へと変えていた。
「お前と走ると、バイクが楽しいんだよ!」
ふたりは七曲を攻めまくる。
周囲からは「もうキチガイの域」とまで囁かれた。
でも――
それでも、鈴鹿では“速いやつ”なんて腐るほどいる。
4耐に出る連中は、レースキャリア数年~十年クラス。
バイクも本格マシン、セッティングもピットワークも桁違い。
伸一は帰り道、ヘルメットの中で思った。
(峠で速くても、あそこじゃただの“新人”だ)
だけど、その思いは――むしろ燃料だった。
「ぶっちぎってやるよ、あの舞台で」
柚葉のマシン、佐久間の走り、そして自分の信念。
全部ぶつけて、夢の舞台に立つんだ。
鈴鹿サーキット・予選当日。
曇り空、路面はドライ。
ピットの空気はいつも以上に重く、そして熱かった。
「……緊張してる?」
柚葉が伸一に声をかける。
「バレた?」
「バレバレ。けど、今日のお前、悪くない顔してる」
コースインの時間。
まずは伸一が先に走る。
最初のラップは様子見。
けど、次の周回から全開――
2分31秒フラット。
ピットに戻った瞬間、チームの誰かが拳を突き上げた。
「いけるぞ!十分通過タイムだ!」
続いて佐久間のアタック。
ひたすら正確、ひたすら冷静。コーナーごとの脱出スピードが、見ててわかるほど違う。
そして――
2分30秒。
「やるじゃねぇか、相棒」
「お前が先に出してなきゃ、ビビってたかもな」
ふたりは笑い合い、グータッチ。
――予選通過。
ピット全体が歓声に包まれた。
メカニックたちは手を取り合い、柚葉は思わず涙を浮かべながら笑った。
「本当に……ここまで来たんだね」
でも、伸一の表情は穏やかだった。
「ここからがスタートだよ。俺たちの“4時間”が、これから始まる」
遠くでスタートラインが、静かに待っていた。