藤沢誠司
鈴鹿サーキット、1985年秋。
5万人を超える観客の熱気が、アスファルトを震わせていた。エンジンの咆哮、旗の揺れる音、歓声と興奮が入り混じる中、俺はフレディ・スペンサーのすぐ後ろにつけていた。夢のような位置だった。
ケニー・ロバーツはすでに引退していた。時代は変わりつつあったが、俺の中にはまだあの頃の熱が残っていた。運も味方してくれた。フレディのマシンがトラブルを起こし、ピットでのロスがあった。1分という永遠のような隙間。そのおかげで、俺はトップを狙える場所にいた。
残り2周、スプーンカーブの入り口で、フレディは音もなく俺を抜いた。彼にとって、俺の存在など取るに足らないものだったのかもしれない。マシンはまるで意志を持っているかのように、滑らかにコーナーを駆け抜けていった。
「勝てるかもしれない」
そう思った。バックストレートで差はあるが、130Rでインに入れれば、チャンスはある。無理は承知だった。だが、俺は突っ込んだ。インに飛び込んだ瞬間、スペースはなかった。
前輪が芝を噛んだ。バイクが跳ねる。身体が宙を舞う。
世界が回転し、地面が迫り、そしてすべてが暗転した。
気がついたとき、白い天井が視界に広がっていた。足が変な方向を向いていた。医師は静かに言った。
「全治6ヶ月。そして、復帰は難しいでしょう」
その言葉が、すべてだった。俺のレース人生は、そこで終わった。
実家の福井に戻り、毎日をパチンコ屋で過ごした。最初は空虚だったが、次第に勝ち方も覚え、そこそこ稼げるようになった。5年が経ち、気づけば身体はすっかり回復していた。
「また、走りたい」
そう思ったときには、すでにNSR250を購入していた。草レースに出場し、勝ちまくった。風を切る感覚、タイヤが地面をつかむ感触。すべてが蘇った。
ワークスチームから再び声がかかった。だが、結果は出なかった。マシンに乗れていなかった。時代は変わっていた。電子デバイスが介入し、滑りも、フロントアップも、ホイールスピンも、マシンが制御する時代になっていた。
再び引退し、今度はテストライダーとして生きることを選んだ。
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あれから25年が経ち、2010年を迎えた。
俺は小さなバイク屋を営んでいる。若いライダーたちのマシンを整備しながら、彼らの瞳の奥に、かつての自分を見る。
時代は変わっても、バイクに向かう心は変わらない。あのスプーンコーナーで倒れた俺の夢は、いま、別の形で生き続けている。