愛のない世界
以前、「でしょましょ」について書いたのだが、この曲を聴いていると、いかにこの世界に愛がないかがわかる。
そして、愛のない世界で、誰も彼もが何か悲痛な思いを叫んでいるような気がする。
この曲の中に時々、誰かが叫んでいる音が出てくるのだが、この音は、深い。
この音は、やるせなさというやるせなさが極度に深化した結果のような気がする。
こうなってしまうのは結局、愛がないからだ。愛のない世界で、陰鬱に飲み込まれて、苦しむことになる。
陰鬱しか感じられないときにはもう、切羽詰まったものしか感じられない。なんだか、焦りとも言い難いような、しかし、かといって皮膚感覚をいつも、苦しみに似た痛みで触発するような、そんな切羽詰まった気分だ。
それが結果として、あの曲の中の叫びになるのだと思う。
この世界には、愛が欠けている。
だから自分は将来、愛を表現するつもりだ。
それが果たしてできるのかはわからないものの、きっとこの時代だからこそ、愛を表現しなければならない。
愛のないところに未来はない。だから愛のない世界で、人々は心の中で、悲痛な叫びを発し続けているのだろうと思う。
そして結局、あの「でしょましょ」の世界観になる。
自分もきっと、叫び続けている人間の一人だ。どうにもならない日々の中で、陰鬱の霧に飲み込まれて、叫び続ける。
愛が欠けている。愛されたい。しかし、それは難しい。
これはきっと、一生取り組まなければならない問題だ。
この世に果たして、本物の正しい愛はあるだろうか。その本物の姿に触れることは、できるのだろうか。
陰鬱な気分に浸っているとき、よくそんなことを考えてしまう。