レオナは今日も婚期を逃す
「レオナ嬢、どうか私と結婚して欲しい」
わっと色めき立つ夜会会場の中心で、まさに今プロポーズをされたレオナは、はにかみながらカナリア獣人族一美しい金の髪をそっといじる。
しかし、そんな二人の間に、レオナにそっくりな女性が割って入った。
「結婚? 許すはずありませんわ! 卑しいアオサギ風情が!」
女性は思いきりアオサギ獣人の男性の頬を引っぱたくと、レオナの手を取り出口へと歩き出す。
「待ってルドミラ、断るにしても、流石に無礼すぎるわ」
「無礼なのはあっちよ! カナリアの血族と知って求婚してくるなんて! お姉さま、ご自分の価値をちゃんと理解してます?」
響きわたるルドミラの怒声に、すっかり夜会は最悪の雰囲気に。
ルドミラはドレスを翻しレオナに向き直ると、深呼吸をした後、突然高らかに歌い出した。
見事だった。
それはもう、見事だとしか言えない歌声だった。
それまで遠巻きに巻き込まれないようにしていた人達も、その歌声に釣られて寄ってくる程だ。
その歌声はまるで、聞いただけで光景が見えるような、その場で実際に起こっていることのような錯覚に陥る。
少女の恋を歌った歌だが、まさに今、みんなの目の前でその少女は恋に落ち、彼の気を引くため目一杯のおしゃれや小物などを整える、なんとも甘酸っぱい爽やかな姿を見せているよう。
さあ、もうすぐ曲の一番盛り上がる所だ、という時に、何故かルドミラはピタリと歌うのをやめてしまった。
そして、なんとも自信に満ちあふた笑顔で、レオナに続きを促した。
先ほどのアオサギ獣人が視界に映るせいで、どうにも気まずく今すぐにでも帰りたいレオナは、思いきりため息をつくと、渋々歌い出す。
浮かない表情からは想像も出来ない、先ほどのルドミラの歌が霞んでしまうようなレオナの歌声に、聞いていた人達が一歩後退る。
ふっと視線を上げたレオナの目に、先ほどのアオサギ獣人が項垂れ去って行くのが見えた。
ほんとひと節、盛り上がりの途中で歌を止め、レオナは出口へと歩き出してしまった。
「これで分かったかしら。私たちの一族に求婚するなら、せめてキビタキ、オオルリ、コマドリ辺りにしてちょうだい」
去り際の高笑いすら美しいルドミラに、会場内はまたシーンと気まずい雰囲気になってしまった。
⭐
(さすがアオサギの方、とてもスタイルが良かったわ……)
自室でそんな事を考えながら、レオナはため息をつく。
歌声は国の宝、王族に続いてその声の血統を重視するカナリア獣人の一族。
たとえ本人が歌声なんてどうでも良いと思っていても、回りが許してくれない。
レオナは、今月に入ってから何人袖にしてしまったかと思うと、気が滅入る一方だ。
何度目かのため息をつくと、扉がノックされた。
入って来たのは、家令のローガンだった。
オオルリ獣人のローガンは、もう少し若く身分も釣り合うなら、姉妹のどちらかの婿になれたのにと言われている。
幼い頃から一緒に過ごしているレオナにとって、ローガンは祖父のようなものだ。
「レオナ様、求婚の手紙がまた山ほど届いてございます」
「で、その山ほどの中で、皆が許してくれそうな人はいた?」
「いいえ」
途端、二つのため息が重なった。
「キビタキ、オオルリ、コマドリの獣人は少ないですからな。知っている限り、その一族にレオナ様と同年代の御子息はいなかったかと」
「そうなのよ。そうなのにね」
両親もルドミラも、口を開けば「レオナにはキビタキ、オオルリ、コマドリ」一辺倒。
稀代の歌声のレオナに釣り合う人を探していると最初は思っていたが、ここまで来ると結婚を阻止しているのでは無いかとさえ思えてくる。
「ローガンの奥様って、確か……」
「ええ、アオサギです。私も勿論反対されましたが、少ないオオルリの血が断絶するよりはマシだろうと押し切りました。まぁ、そのせいで追い出されてしまいましたが」
上品に笑い小さく咳払いをした後、ローガンは手紙の束をテーブルに置き、退室していった。
釣られて笑ってしまったレオナは、少しすっきりした気持ちで、まとめられた手紙の束をほどく。
何度も見た名前が多く、申し訳なさが募る。
「ローガンの息子さん達、ローガンに似て綺麗な蒼い瞳に、奥様に似たスラッと美しいスタイルなのよね。歌声はやっぱりローガンが一番だけど、他の種族の特徴が綺麗に出てて凄いわ」
手紙の送り主を次々確かめながら、そんな事を呟いていると、一通初めて見る不思議な名前があった。
近年他国から流れてきた、新しい貴族。確か声も素晴らしいという噂を聞いたことがある。
純粋にどんな人か会ってみたくなったレオナは、ささっと返事を書くと、ローガンを探しに部屋を飛び出していった。
⭐
「だってお友達になりたかったんだもん」
手紙を書いた翌日、早馬で届けられたその手紙を手に、とある貴族が息を切らせてレオナに謝罪に来た。
地面に頭を擦りつけん勢いで謝罪を繰り返す母親と、少しムッとした、レオナと同じくらいの令嬢。
見事な翡翠色の髪がさわさわと風に揺れ、春だなぁなどと、レオナは一人とんちんかんな感想を抱いていた。
「申し訳ございません! 娘がとんでもない失礼を……!」
むくれるウグイス獣人令嬢の隣で、母親はひたすら謝り続ける。
これには流石にレオナの両親も、笑い話のように寛容に対応している。
しかし、この世の終わりのような母親の雰囲気に、次第に困り果ててしまった。
「ねえ、えーと……お茶、しない? 私、お友達いないから、凄く凄く嬉しいのだけれど……」
ぽろっとレオナがそんな事を言うと、ウグイス獣人令嬢はぱっと顔を輝かせた。
「嬉しい! 私もこっちに来てからお友達がいなかったの! 騙すようなお手紙ごめんなさい。でも、夜会でひと目見てから、絶対にお友達になりたかったの!」
レオナとウグイス獣人令嬢の言葉に、少し気まずそうな両親と母親は、お互いあらためて自己紹介を始めていた。
「まさか手紙出した日に来てくれるとは思わなかったから、まだ準備できていないのだけど、待っててくれる?」
「なら、外でお茶しない? あ、貴族の女の子ってダメなんだっけ」
微笑ましそうな両親とは対照的に、卒倒しそうな母親を尻目に、レオナはキラキラと目を輝かせていく。
「お外でお茶! したいわ! お父様、ダメ?」
「ははっ! ローガンをつけよう」
娘の色恋以外には比較的寛容な父親は、レオナの新しい友達の為に、テキパキと指示を飛ばす。
有能な父親の指揮の下、瞬く間に外出準備が整ってしまった。
「じゃあお母さん、夕飯までには帰るから!」
令嬢は半分抜け殻になった母親に手を振り、馬車に乗り込む。
「んふふ……いってきます」
外出用のドレスに着替えたレオナも、両親に軽く挨拶し、ささっと馬車に乗り込んでいく。
二人が乗り込んだのを確認すると、ローガン自ら御者台に飛び乗り、手綱を握る。
「流行りの甘味なら、このじじにお任せ下され」
「楽しそうね、ローガン」
本当の娘や孫と出かけるように生き生きするローガンに、レオナの心はじんわりと暖かくなった。
小さな筒状のタルト生地に、カスタードをこれでもかと流し込んだフラン・パティシエ。
それに豪快にナイフをいれ、これまた豪快に口に運ぶウグイス獣人のマイラは、目を蕩けさせ何度目かの恍惚の声を上げる。
人目も気にしない天真爛漫さに、レオナも釣られてニコニコしっぱなしだ。
「この国のお菓子大好きー! 生地のサクサクした食感にとろっと濃厚なカスタード! たまらないわー!」
「ローガン、本当に良いお店知ってたわね。友達と来れて良かった」
レオナも一口お菓子を頬張りながら、外の馬車で待機しているであろうローガンを思う。
「私、この国のしきたりとか常識って全然分からないのだけれど、そんなに良い人って見付からないものなのね」
突然そんな事を言ってきたマイラに、レオナは危うく吹き出しかけた。
しかし、必死に咳払いをしながら立て直そうとするレオナに、マイラは更に追撃していく。
「歌声主義の血統ね……私たちウグイスも、歌声には自信はある血筋だけど、それは歌を教わる先生によるものね」
「教わる先生による? 確かに、先生は必要かも知れないけど……」
ウグイスの話になったぞと、レオナはここぞとばかりに聞き返していく。
「そうよぉ? 妹は良い先生を見付けられたから、ウグイスの名に恥じない歌声だけれど、私の時は縁が無くて、イマイチなのよ」
そう言うや、マイラは人目も気にせず故郷の歌を歌い始めた。
不思議な音色で、巧拙は良く分からないが、レオナは不思議と好きな歌だった。
初めて聴く歌だが、優しく分かりやすい旋律。レオナも友達といると言う安心感からか、聞いたばかりの歌を一緒になって歌い出す。
途端に静まりかえる店内に驚いたマイラだったが、同時にカナリアが気軽に自分と一緒に歌ってくれた事が嬉しかった。
「レオナが先生だったら良かったのにー!」
「今からじゃダメなの?」
「最初に教わった歌い方を直せないのがウグイスなの……」
この世の終わりかと思う程落ち込むマイラに、レオナは種族ごと不思議な性質があるんだなと、今更ながらに驚いていた。
「私も歌が上手くなれる可能性のある種族じゃ無くて、不思議な声色の種族とか、奇抜な冠羽の種族とかになりたかった」
ポツリとこぼしたマイラの言葉に、レオナは少し悲しそうに眉を下げた。
「マイラがマイラで、私は嬉しいわ。奇抜な冠羽のマイラは、少し気になるけど」
レオナの言葉にほんのり微笑んだマイラだったが、何かをひらめいたのか、突然輝かしい笑顔を浮かべた勢いよく立ち上がった。
「私、レオナの良い人見付けられるかも!」
⭐
翌日、質素な服装の二人は、街の広場に居た。
ローガンを必死に必死に必死に説き伏せ、どうにか許可を貰った。
露店が多い広場に、レオナはキョロキョロとしっぱなしだ。
そんなレオナを、マイラは悪戯っ子のような笑みで連れ回しては、串焼きや果実水などを買い食いしていく。
「ねぇマイラ、初めての事が多すぎて、楽しくて後ろめたくて楽しくて、動悸が凄いわ……」
「まだまだよ! 目的はこれからじゃない。それに、まだ見たいお店半分も見てないんだから、とことん付き合って貰うわよ!」
「んふふ……。あのね、私今度コンサートがあるの。是非招待するわ。そしてステージに呼ぶから一緒に歌いましょうね……」
「仕返しが規格外ね?」
そんな他愛も無い会話をしながら、二人は目的の場所へ。
大道芸人が多く集まった通りは、露店公園よりも賑やかで活気があり、悪く言えばごみごみとしていた。
曲に合わせて愉快に踊るヤマシギ獣人や、精緻な細工小物を実演販売しているヤマガラ獣人など、種族の特徴を生かして商いをする多種多様な人が居た。
勿論、種族に関係なく個人的に得意な事をしている人も居るが、レオナはもうそんな事どうでも良くなっていた。
「凄い! 凄いわ! マイラあれ見て!」
片っ端から全ての大道芸人の元へ駆け寄っていくレオナに、流石にここを教えたマイラも止めに入る。
「ここでお財布空っぽにする気?」
ツバメ獣人の高速手芸を眺めていたレオナを引っ張り、早足で奥へと進む。
「だって楽しくて。ここは誰でも商売しても良いの? 今私が突然歌っても良いって事?」
「誰でもいつでも突然でもなんでも良いところよ! でも、レオナはちゃんとコンサートホールで歌って。歌う場所がちゃんとある人は、ここは他の人に譲ってあげて。基本的に、平民の場所なんだから」
そうねと、レオナは照れくさそうに笑った。
通りを奥へと進むにつれ、芸の腕前も上がっていく。
確かに、これは入り口付近で考えなしに散財している場合ではないと、レオナは少しズレた納得の仕方をしていた。
「レオナ、ほら見てあの人」
マイラに腕を引かれ顔を上げると、賑やかに観客に囲まれた男がいた。
不思議な模様の長い冠羽が特徴的な獣人なのは分かるが、あまり詳しくないレオナには、なんの種族か分からない。
マイラの顔を伺うと、マイラただただニコニコと男が芸を披露するのを待っていた。
男は水を飲み少し咳払いすると、にこやかに観客に軽く頭を下げた。
そして、顔を上げるや、レオナも良く知る恋の歌を歌い出した。
「えっ……」
レオナが息を飲んだのを横目で見たマイラは、にっこり笑うとぐっと両手を握りしめた。
男の口から発せられたのは、女の声。
朗らかな女の声で歌い出したと思ったら、今度はあどけない少年の声。次はしわがれた老爺で、更に青年、艶っぽい女に少女など、多種多様な声色で歌い続けていく。
そして声だけで無く、歌の善し悪しも使う声によって変えていた。
「彼はコトドリよ。歌真似が得意な種族なの。凄いわよね、喉どうなってるのかしら……って、レオナ?」
レオナはふらりと男の前に歩み出ると、滑らかなカーテシーを見せた。
不思議そうに眺める観客の真ん中で、レオナは男に合わせて歌い出した。
「カナリアだ」「なんでこんなところに」とザワつく観客に、レオナはニコニコと歌いながら近付いて行き、さっき見たばかりのヤマシギ獣人の踊りを真似したりする。
コンサートを開けば即時完売。チケットのお値段も悪夢を見そうな目を疑うもの。
そんなカナリアが無料で歌声を披露しているばかりか、何故か見ているこちらが泣きそうになる残念な踊りを踊っている。
「しょうが無いわね」
呆れたように呟くと、マイラは軽快なステップを踏みながら、レオナの隣で歌い出す。
「今度はウグイスだ」「うーんイマイチ」そんな観客の声に逐一睨み返すマイラに、みんなの顔に笑顔が浮かぶ。
負けじと男もとっておきの声真似で応戦しながら、滑らかなダンスを見せる。
誰からとも無く笑い合う三人に、歌と踊りは観客にまで広がっていく。
「マイラ、マイラ」
通りを巻き込んだ歌と踊り。レオナは残念なステップを踏みながらマイラに耳打ちをする。
「『血が断絶するよりはマシでしょ』って押し切るのと、私が家出するの、どっちが手っ取り早いかな? ルドミラが居るし、良いよね?」
レオナの後ろで、歌いながらレオナを見詰める男をチラリと確認したマイラは、とびきり良い笑顔で耳打ちしかえす。
「それよりも、彼の名前を聞くのが先じゃない? その最強の脅しはそれからよ」
ぱっと顔を輝かせたレオナは、歌い終わるや、すぐに男の元へと駆けていった。