5話
「ゴフッ⋯⋯!」
「エル!?」
俺が慌てて正面に回りこむと、せきこんだエルの口から、大量の血があふれ出した。
なんで⋯⋯っ!?
「その矢には、血を吐き出させる作用がある菌をつけたんだ。残念ながら、直接妖力を奪うことはできないから、とりあえずラムダの動きを封じられる方法を、ってね。⋯⋯まぁ、」
エルの体にノイズがかかって、黒猫の姿になる。
そうか、人間の姿だと血が流れすぎると死ぬ可能性があるけど、エル本来の姿なら、弱ることはあっても死にはしないのか。
いやでも、さすがのエルでも、この出血量じゃ全く動けない⋯⋯!
エルから流れた血は、もうすぐ向かいの道まで到達しそうだ。
そんなエルを、デルタは冷たく見下ろしている。
「そこまでしなくてもよかったかな。本当、弱くなったね、ラムダ」
なんの感情も宿さないその瞳から逃れるように、俺はエルを抱える。
そして、エルがおぼれないように、店の近くにあったプラスチックケースの上に、そっと寝かせた。
デルタは明らかに俺より強い。
目的はなんだ? 俺か?
だったとしても、俺一人じゃ絶対に勝てない。
俺は、使い魔であるエルにだってボコボコにされる。
エルが七柱最弱だなんて、今でも信じられない。
そのエルだって、ラムダには勝てない。
じゃあ俺にもムリだ。
⋯⋯でも。
ムリだからなんだっていうんだ。
俺が逃げたら、エルもアルトも、どうなるか分からない。
俺を追ってきてくれるだけならまだいいけど、今の状態のエルとアルトを消すくらい、きっとデルタなら一瞬だ。それから俺を追ったって、すぐ。
それなら俺に、逃げるなんて選択肢は、ない。
「もう終わった?」
「っ!」
耳元でささやかれ、俺はバッと振り返る。
トン、と身軽に一歩下がったデルタは、無表情で俺を見つめてくる。
固めの、よく手入れされた金色の短髪。
水色の、猛禽類みたいな瞳。
俺よりも頭一つ分くらい背の高い彼の背には、大きな純白の羽根がたたまれている。
あれ、俺、どこかで⋯⋯。
「ぅ⋯⋯ッ!」
やめろ⋯⋯! 今エルはいないんだ⋯⋯!
暴走したって、止めてくれる人はいない⋯⋯!
上から圧縮するように頭痛を収めると、デルタは驚いたように目を見開いていた。
「⋯⋯狙いは、俺だよな? だったらあっちでやろうぜ」
「ああ、うん⋯⋯。そう、そうだね。私はコアを殺しにきたんだ」
やっぱり俺か。
まだ固まっているデルタの横を通りぬけ、俺は道の真ん中で軽くジャンプする。
「はやくこいよ。俺はここだぞ」
まだ動かないデルタに声をかけると、引っぱられるみたいに、ヨロヨロと歩いてきた。
なんだ⋯⋯? 様子が変だぞ⋯⋯?
「⋯⋯私は」
俺の正面に立ったとき、デルタがうつむきがちに口を開いた。
「妹がいたんだ。それも、すごく明るくて優しい妹。でもあるとき、フラッと住処から出て行って、戻ってこなくなった」
⋯⋯? なんの話だ。
「憧れの妖がいたんだ。僕よりも序列は低かったけど、強い拒絶の瞳をした、孤高の妖。だけどある日、妖倒士との戦いに行ってから、戻ってこなかった」
脈絡がつかめないでいると、デルタがユラリと顔を上げた。
「⋯⋯っ!」
めっちゃ強い殺気⋯⋯!
さっきまでそんな予兆なかった。
七柱らしい妖力なんて、みじんも感じられなかったのに、急に⋯⋯!
「私は探しに行くことにした。でも、運悪く妖倒士の山の結界に触れてしまって、動けなくなった。数日すれば治ったんだけど、一人のおばあさんが、小鳥姿だった私を拾って、看病してくれた。そんなの全く効果なんてなかったけど、私はなんだかおばあさんに尽くしたくなった」
デルタはうつろに目を泳がせながら、四方八方に殺気を吹き散らしてる。
あんなんじゃ、どこからも近づけない⋯⋯!
さっきからなんの話をしてるんだ。
俺に何を聞かせてるんだ⋯⋯!?
「おばあさんは体のあちこちが悪かったから、私は能力を応用して治してあげた。喜んだおばあさんは私を村のみんなに自慢した。だけど⋯⋯そこから悲劇は始まった」
だんだんと低くなっていくデルタの声は、一瞬怒りで震えた。
「珍しがった村人たちは、私を捕まえようと、強引におばあさんの家におしかけた。おばあさんは必死で止めようとしたけど、ある村人とのとっ組み合いで、死んでしまった。ホント、バカだよね。私が人間なんかに負けるはずがない。かばう必要なんて、なかったのに。だから私は⋯⋯その村に強力な菌をまいて、全員殺した。私が持ってる中で一番苦しい、肌を内側から一ヶ月かけて焼く菌で」
デルタは無表情で言葉を切ると、目に力を入れて俺をにらみつける。
「私はただ、妹と一緒に暮らせればよかった。憧れの妖にずっと憧れていたかった」
「それと俺と、なんの関係があって⋯⋯」
俺はデルタと重なって、一人の少女が見えた気がした。
「ノア⋯⋯? うぁ⋯⋯ッ!」
「そう。私の妹の名前。やっぱりノアを殺したのはお前だったか、コア⋯⋯! ラムダを変えたのもお前だ。コアのせいで、私の憧れは弱くなってしまった⋯⋯! 忘れることも逃げることも許さない。私は、コアを殺す」
倒れかけた俺の髪をつかみ、デルタが顔を近づけてくる。
どうにかしないと、本当に殺される⋯⋯!
くそっ、頭痛のせいでうまく体が動かないし、魔力も妖力も使えない⋯⋯!
俺が、ノアを殺した?
そんなの記憶にないはずなのに、俺のせいだって責める声がする。
『コアは本当に、不思議な人間だね。妖と人間の共存は、コアが実現するのかもね』
『? 俺はノアと仲よしだよ? きょうぞんしてるよ?』
『ふふ。私たちだけじゃなくて、世界中で、だよ』
小鳥みたいに澄んだ美しい声が、頭の中で響く。
『約束だよ。いつか、妖と人間の争いがなくなる世の中にしてね』
リアルによみがえる、小指をからめた感触。
デルタによく似た少女が、デルタと重なってほほ笑む。
これは⋯⋯俺の昔の記憶?




