4話
エルはグッと軽く膝を曲げ、妖を持ったほうの手を遠心力で後ろに回す。
「え。まっ、エル!」
まさか、と思ったときにはもう遅く、妖の小さな体は宙に放り投げられ、月と重なって黒いシルエットが浮かび上がった。
当の本人はというと、すました顔で、硬直したあわれな妖が落ちてくるのを見ている。
⋯⋯いやいや、何がしたいんだよ。
いくら妖でも、無抵抗なまま放り投げられるなんて、かわいそうだろ。
俺は、オロオロと妖とエルを見比べる。
エルはそんな俺をチラリとも見ず、妖が手に戻ると同時に、目にも止まらぬ速さで四肢と顎をおさえ、固定していた。
「よし」
「よし、じゃないだろ。分解は? そっちのほうが楽に⋯⋯」
「あのね、コア。不純系は急に流れてきた妖力に、完全に体を慣らすことは難しいんだよ。妖と猫の狭間にいる感じだから、容赦なしに妖力をぬいたら、すぐに消える可能性がある。それくらい、不純系は不安定なんだよ」
妖が、粘り強い抵抗を見せるように、唯一自由な尾をブンブン振り回す。
エルにおさえつけられても、もがき続ける妖。
そういうものなのか⋯⋯。
こんなに、元気なのに? グッタリしてないのに?
純系の妖は少しくらい妖力をぬかれても、動きが鈍くなったり、能力の精度が落ちたりするだけなのに、不純系は消えるかもなのか。
エルが力技で妖を気絶させないのも、猫としても不安定だから?
少し刺激を与えただけで、死んでしまう可能性があるからかもしれない。
妖でもなければ、猫でもない、か。
⋯⋯なんだか、俺に似てるな。
「⋯⋯誰かくる」
こんな時間に?
時計は持ってないけど、夜になって、結構経つはずだ。
でもたしかに、かすかな足音がする。
する、けど⋯⋯。
「子ども?」
「たぶんね」
足音が軽すぎる。
しかも迷いがない。慣れてるんだ。
「小さい子どもが、こんな時間に一人っていうのは、怪しいよな。とりあえず隠れるか」
「うん」
俺は身を低くして地面をけり、数秒で植木の影にすべりこむ。
パッと横を見ると、しっかり妖を抱えたエルが、じっと公園の入り口を見つめていた。
ザ、ザ、と靴が砂をこする音が少しずつ近くなり、公園の真ん中で止まった。
枝のすき間で、人影が何かを探すように首を回す。
やっぱり、子どもだ。
手に何か持ってるな。
人目を気にしているように見えるし、ますます怪しい。
「あの子⋯⋯」
エルが細めていた目を見開き、ハッと息をのむ。
物音どころか、鼓膜が圧迫されるような静けさだ。
人影がこっちを向き、エルはしまった、というように片手で口をおさえる。
「おいエル、手⋯⋯」
手を離したら妖が⋯⋯!
エルがハッと妖を見ると、ちょうど四肢を持っているほうの手にかみつく瞬間だった。
牙がくいこみ、ボタタッと血が地面にしたたる。
フーッフーッと息荒く力んでいる妖は、ギラギラと瞳を光らせ、かみちぎらんばかりだ。
「うっ⋯⋯」
妖が、スルリとエルの腕からぬけ出す。
エルが、手を離した⋯⋯!?
かまれたほうの腕を力なく垂らし、辛そうに顔をゆがめている。
「エル、大丈⋯⋯」
「ぼくは⋯⋯いいからっ⋯⋯あやかし、を⋯⋯っ」
そうだった!
興奮状態にあるんだ、あの子どもが襲われかねない⋯⋯!
あの妖はどこに⋯⋯って、子どものほうに向かってる!?
マズいな、もう数メートルの距離もないぞ⋯⋯?
間に合わない⋯⋯!
俺は、植木をとびこえ、グンッと妖との距離をつめる。
けど、やっぱり子どもが襲われるほうがはやい⋯⋯!
「おいっ逃げろ!」
妖がグッと体を沈め、手足を伸ばして人影にとびつく。
あぁクソッ⋯⋯! 守れなかった⋯⋯!
あの妖、絶対に許さな⋯⋯。
「チョコ!」
「グルグルゥ」
勢いあまって、立ったままの人影にぶつかりそうになって慌てて地面をけり、人影の背後に着地する。
チョコ⋯⋯?
「⋯⋯夕方のおにーちゃん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、昼間のガキが両腕で大事そうに妖を抱いていた。
表情はこわばっていて、今にも泣き出しそうにも見える。
「ガキがなんでこんな時間に、一人で外に出歩いてるんだ? そのあや⋯⋯猫は危ないから、こっちに渡せ。で、帰れ」
俺が一歩踏み出すと、ガキは妖を守るように肩で隠し、じりっと後ずさった。
⋯⋯無事だったはいいけど、面倒なことになった。
ガキはその猫が妖であることを知らない。
そもそも、妖って何?だろう。
手に持ってるのはたぶん、キャットフードだ。
つまり、コイツは本当に普通の猫だと思ってかわいがってきたんだろう。
人目も気にしてるし、もしかしたら、昼間にタイミングよくきたのも、調査してる俺らに、猫が見つかってしまうと考えたからかもしれない。
となると、当然ながら、今日会ったばかりの他人に、簡単には渡してくれないだろう。
はぁ⋯⋯ほんとーに面倒なことになった⋯⋯。
「いいから、はやくしろ。ソイツは危険なんだ」
「危険じゃないもん。チョコはいい子だもん」
「お前、まだガキなんだから、なんも知らないだろ。ソイツは危険なんだよ。お前が知らないだけで⋯⋯」
「おにーちゃんもガキじゃん」
「⋯⋯あ?」
しまった、と思うのもつかの間、子どもはビクッと体を震わせ、足をもつれさせそうになりながら、公園の入り口へと走っていく。
「待てっ!」
「⋯⋯コーアー?」
追おうと前のめりになった体を、グイッと後ろに引っ張られる。
肩をつかむ手が妙に力強く、俺はおそるおそる振り返った。
エルが疲れきったような顔でため息をつく。
「⋯⋯何か、怒らせるようなことしたか?」
「あのねぇ、あんな小さい子にガキって言われて本気になるようじゃ、コアはまだまだ子どもだよ」
「うっ⋯⋯」
黙りこんだ俺の肩を、エルは軽くたたいて眉を下げた。
俺は、子どもって言われるのが嫌いだ。
もう中学生なのに、身長は百六十ないし、体つきだって華奢だ。
子どもに見えるかもしれないけど、心はちゃんと中学生なんだ。
子ども子どもって、まあ義務教育中だからそうかもしれないけど、なんだかムッとする。
顔も幼いのか、小学生だって言われたこともあるし⋯⋯。
年相応で見てもらえないことが、こんなに惨めだとは思わなかった。
やっぱり俺、まだガキに見えるのか⋯⋯。
「⋯⋯アンタたち! 何をやってるの!」




