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獣の魔女と黄昏の迷宮  作者: 白石しろ
第2章 黒の遺跡
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第17話 冷たい心 


 辺境の土地には医者も治癒の魔法が使える魔法使いがいない可能性がある。

 もしそういった土地で怪我や病気になってしまった場合、適切な知識がなければ人は簡単に命を落としてしまう。そう考えて、アリシエの両親は自分の娘に怪我や病気についての知識を伝えていた。

 まだ幼いアリシエには両親が何を言っているのか良く分からなかったが、両親が愛する娘を守るために気持ちを込めて、何度も分かりやすく話をしていることははっきりと理解出来た。だからアリシエは両親の想いに応えるために熱心に話を聞いて、怪我や病気について知識を少しずつ身に付けていった。

 その後、両親が亡くなってからもアリシエは村長や親友のミーシャの父親。それに狩人といった正しい知識を持つ人たちから一生懸命に話を聞いた。

 アリシエは医者になろうと考えて話を聞いたわけではなかった。

 ただ自分の両親が自分に向かって熱心に話してくれたことが、幼い自分には理解できなかったことが悔しくて、悲しくて……大好きな両親が自分に残してくれたものを少しでも自分のものにしたかっただけなのだ。


 そう。自分が知っていることなんて大したものじゃない。

 こんなものは子供の生兵法だ。

 連日、患者さんと向き合っているお医者様のそれに比べれば全然大したことないのだ。

 そのはずなのに――


(それなのに……なんでだろ……なんで分かっちゃうんだろ……どうしてこの人が助からないって分かっちゃうんだろう……っ)


 アリシエは恐怖で震えていた。

 アリシエの両親が自身の娘に身に付けさせた医学の知識は目の前で倒れている青年がもう助からないということをまだ幼い少女に理解させてしまった。

 ヨハンに刺さった矢の位置は恐らくは急所だろう。

 それも即座に命に関わるような所だ。

 矢傷から流れる血の量やその流れ方から見て、そう考えて間違いない。

 何よりも深刻なのはヨハンの胸が上下しておらず、手も足もまったく動いていないことだった。手で触れて脈を測ることが出来ないから断定こそ出来ないものの、ヨハンの呼吸が止まっている可能性は極めて大きいように思えた。


「くそ……! 誰が俺の息子にこんなことを……っ! あの魔女の仕業か……っ!!」


 目の前に広がる惨状を見て、カールが怒りの咆哮をあげた。

 彼は急いで息子の元に駆けつけようとしたが、それは不可能なことだった。

 カールの足はトラバサミに捕らわれており、足に食い込んだトラバサミの鋸状の刃をどうにかしない限り、彼はその場から一歩も動くことは出来なかった。

 怒りと怪我は人間から考える力を奪う。

 もはやカールの頭には罠から逃れる術を考える力など残されておらず、彼はその場で怒りと悲しみに満ちた慟哭の声をあげることしか出来なかった。


 カールの叫び声は悲哀に満ちており、まともな心を持つものであれば胸を痛めるものだった。それを耳にするのが臆病で泣き虫の心優しい少女であればなおさらである。

 

「ち、違う……私じゃない……。私じゃないよ。私はこんなことしない……っ!」


 アリシエは全身を振るわせながら、そう叫んだ。

 だが、機械のモニター越しに彼等を見ているだけでしかないアリシエの声が彼に届くはずがなかった。けれどもアリシエはそれに気付かず、目から涙をぽろぽろと流して、その場に立ち尽くすことしか出来なかった。

 実際、アリシエは何もしていない。

 ただ彼等を見ていただけだ。

 彼等を傷つけたのはルードであり、アリシエではなかった。

 それなのにアリシエはまるで自分が彼等に対して取り返しのしないことをしてしまったかのような罪悪感に苦しめられていた。



 それからどれくらいの時間が経っただろうか。

 何時間も過ぎたのかもしれないし、ほんの数十秒だけしか過ぎていないのかもしれない。目の前で起きた出来事に心を深く傷つけられてアリシエはどれくらい時間が流れたのかを理解できなくなってしまっていた。

 いや、理解できなくなってしまったのは時間の流れだけではない。今、自分がどこにいるのかさえもアリシエは理解できなくなってしまっていた。

 身体は重く、指一本さえもまともに動いてくれない。

 それなのに頭の中は異様に冴え渡っていて、目に映るもの全ての動きが頭の中で捉えられるだけでなく、遠くを流れる風の音のような小さな物音さえはっきりと聞こえるようになっていた。


(……………)


 そんな世界の中でアリシエは何かが動くのを目にした。

 動いているのはカールだった。

 気が付けばカールの足に挟まっていたトラバサミの刃が外れていた。

 あの刃はそう簡単に外れるようなものではない。

 何らかの道具を使って仕掛けを解除するか、思いきり力を込めて刃を無理矢理にこじ開ける逃れる術はないとに思っていたのに一体どういうわけだろう。

 そんなアリシエの疑問を他所にカールは深く傷ついた足を引きずって自分の息子の元に辿りつき、その身体を抱き寄せた。

 

「待ってろ。今、村に連れて帰ってやる……。こんな怪我なんてことはねえ……薬師に頼んで傷口に薬を塗り込んでもらえば、二、三日もしないうちに治るさ」


カールのその言葉を聞いてアリシエはこう思った。


(……変なの。そう思うのならなぜ胸に刺さった矢を抜かないんだろ……)


 身体に矢のような尖った物が刺さったものが場合、無理に抜くと血が止まらなくなることがある。それを考慮してカールは矢を抜かなかったのかもしれない。そうアリシエは考えたが、秒も立たないうちにその考えを打ち消した。


(……今のあの人にそんなこと考えられる余裕なんてあるわけないか……ここから出るのに頭が一杯でそれ以外何にも考えられなくなってる人だもの……)


 カールは背中に背負っていた荷物を捨て、その代わりにヨハンを背負った。

 それから傷ついた足を強引に動かし、遺跡を出て村に帰ろうとした。

 しかしその足取りは重く、傷口の酷さから見てもどう考えても村まで辿りつけるとはアリシエには思えなかった。

 アリシエはそんなカールの姿を見て、ふと疑問に思った言葉を声に出した。


「この人、どうしてそんな無駄なことするんだろ。その人はもう死んじゃってるんだよ。その辺に捨てておいて、一人で逃げ帰れば少しでも生きて帰れる可能性が上がるのに……」


 それは普段のアリシエなら絶対に思わないようなことだった。

 もし、アリシエを知る者が今の言葉を聞いたなら、その人物は自分の頭か耳がおかしくなったと考えるだろう。

 アリシエは泣き虫で、臆病だが、人一倍心優しい少女だ。

 罠にかかって命を落とした息子を故郷の村に連れて帰ろうする父親の行いを無駄なことと断じ、その辺に捨てて逃げればいいなどと冷たいことを言うはずがなかった。

 

(一体、どうなっているんだ……?)


 そんなアリシエを見ている存在だけが一人だけいた。

 ルードは最初、アリシエが気絶するものだとばかり思っていた。

 彼のアリシエに対する認識はミュルゼの村の住民とそう変わらないものだった。 目の前で繰り広げられる血なまぐさい光景に臆病で泣き虫なアリシエは耐えきれず、早々に気を失うか、泣き喚いてその場にうずくまってしまうものだとばかり思っていたのだ。

 しかしアリシエは耐えた。

 それならそれでいい。気を失った彼女を介抱するのも泣き喚く彼女を宥めるのも面倒なだけだ。むしろ面倒事がなくなって良かったと言える。

 そう思っていたのだが、彼にとってもアリシエの変化は予想外のことだった。

 

(……一時的なショックで心が麻痺しているだけなのかもしれない。ともかく今は予定通りに事を進めよう)


 アリシエの変化に微かに不安を覚えながらもルードはアリシエから侵入者のいる迷宮へ意識を戻した。

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