第16話 足下に潜むもの
アリシエが首を縦に振るのを見て、ルードは少しだけ意外そうな顔をした。
それからしばらくの間、ルードは何も言わずにアリシエの顔を見続けた。
アリシエはどうしてルードが黙って自分の顔を見ているのか理解できず、かといってなぜ彼が黙っているのかを聞くこともできず、何もできずにその場にじっと立ち尽くした。
(な、なんで黙ってるんだろ……。うう、何か答えてよ……)
どんなにアリシエが頭の中で悩んでもルードは何も話してはくれない。
無言の緊張に耐えかねて口を開いた。
「な、なに? 何か問題でもあるの?」
「いいや、僕の方は何も。問題があるとすれば君の方だ。本当にそれでいいの? 僕は強制するつもりはないし、君が途中で気絶しても助けてあげないからね」
「だ、大丈夫……! 私、弱虫だけど、あなたが思ってるほど弱くはないもの……っ!」
「……君がそう言うならそれでいいよ、後で散々泣き喚くことになっても僕は知らないからね」
「なっ……!」
ルードの辛辣な言葉を前にして思わずアリシエは「馬鹿にしないで!」と言おうとした。
だが、自分がつい先程ルードの目の前で気絶してしまい、わんわん泣いてしまったのは本当のことなのだ。その時のことを思い出し、アリシエはルードへの怒りと恥ずかしさで顔を赤くしながらも彼に向かって言い返すことはしなかった。
「それじゃあ僕は準備をしてくるから、君はその機械を頭に被って、僕の準備が終わるまで大人しくしてて」
そう言ってルードは、少し前までアリシエが頭に被っていた兜みたいな機械を指さした。
「……またこの機械を使って『映像』ってのを見ないといけないの?」
「そうだよ。ただの人間の君が遠くのものを見るには機械の力を借りるしかないからね」
「それは分かってるけど……でも、私、これあんまり好きじゃない……」
「あんな目に遭ったんだ。君が嫌がるのも無理はないと思うけど、今はそんなわがままを言ってる場合じゃないでしょ」
「そうだけど……」
「どうしても嫌だって言うなら別の方法があるけど、そっちの方にする」
「……別の方法があるの?」
「あるよ。君がこの遺跡の主になれば、その機械を使わずとも迷宮やこの遺跡のあちこちを自由に見れるようになる。そうなればこの遺跡も本格的に稼働するようになって僕も助かる。そっちの方にする?」
「そ、それはちょっと……」
「だったら文句を言わずにそれを被って。今回動くのは君じゃなくて僕だ。君は黙って見ていればそれでいいんだ。何にも危険はないんだから、わがまま言わないで」
「……わかった」
「他に質問は?」
「無い……と思う」
「無いんなら、僕は行くよ。何か分からないことがあったり、万が一、身の危険を感じることがあったらその機械を使って僕を呼んで。念のため言っておくけど、今は君の愚痴や泣き言を聞く余裕はないから、そういうことで呼ばれても僕は答えたりしないから、そのつもりで」
そう言ってルードは立ち去ってしまった。
相変わらずの冷たい態度だった。
一人残されたアリシエは床に落ちた機械を拾い上げ、それから辺りを見回した。周囲に変化は何もなかったが、なぜか今までとは雰囲気が異なる気がしたのだ。
やがてアリシエはこの場所
(そうか音だ。ここ、何にも音がしない……)
ミュルゼでもこんなに静かにな場所なんてほとんどなかった。村人のいる村の中はもちろんだけど、人のいない森の中にいても時折鳥が鳴いたり、虫の飛ぶ音がするからあまり静かとはいえないし、魔物避け宝珠が納められている祠の中は静かといえば静かだけどそれでも宝珠の放つ魔力の波動が祠の壁に反響し、それが音となって耳に入るためか何も聞こえないわけではなかった。
でも、ここは人もいなければ鳥や虫もいない。
音を立てるものが何一つもない静けさは寂しささえも感じるほどだった。
(ここってこんなに静かだったんだ……)
誰も話し相手がおらず、ひたすらに静かな場所で一人になったアリシエに出来ることといえば、頭の中であれこれ考えることぐらいだった。
「……これからルードは何をするつもりなんだろ」
あの人たちを迷宮から排除するってルードは言った。
だがルードが具体的にどうやって彼等を迷宮から追い出すのか、それは何も教えてくれなかった。
正確に言えば教えてくれなかったわけじゃない。
ただ、自分が聞かなかっただけなのだ。
人を殺さないというルードの約束に安心してしまって、それ以上のことを聞こうとしなかった。だからルードが何も話してくれなかったとしても彼に落ち度はないのだけど……。
「それにしたって、少しくらいは気を利かせてくれたっていいじゃない」
今更ぼやいても仕方がないし、あのルードにそんなことを期待しても意味がないと思っていたけど、ぼやかずにはいられなかった。
ひとしきりルードへの不満をぶちまけた後、アリシエは手に持っていた兜みたいな機械をもう一度頭に被った。
そうするとさっきと同じようにここではない遠くの景色が見えた。初めてこの機械を使った時はずいぶんと驚いたはずなのに、今回はほとんど驚かなくなっていた。
それは二度目だからなのか。
それとも自分の中で何かが変わってしまったからなのか。
(…………)
アリシエはこれまでのことを思い出した。
犬に似た黒い大きな魔物。その魔物にとんでもない大怪我を負わされ、ついには崖から転落してしまった。そうして目が覚めた時には黒の遺跡と呼ばれる場所にいた。そこは世界を救うために昔の人が建てたものらしい。
黒の遺跡には驚くほど綺麗な顔の少年が住んでいて、彼は自分のことを古代人が作った『モノ』であり人間ではないと語った。
そして自分の頭に生えた獣の耳と人間のそれとはかけ離れた獣の姿に変わってしまった左手……。
目を覚ましてまだ一日も経っていないはずなのに、なんだかずいぶん遠くに来てしまったような気がする。その間に自分の心も以前とは遠いものになってしまったのではないだろうか。
(ううん。そんなはずないよ。今は色々なことがあって、弱気になってるだけなんだ。少し休んで元気になれば、またいつもの私に戻ってるよ)
ここに親友のミーシャがいてくれれば、きっとそう言って自分を励ましてくれたに違いない。でも、ミーシャはここにはいない。だからアリシエは自分で自分を励ますしかなかった。
* * *
それからアリシエはルードからの連絡が来るのを待った。
幸いなことにルードからの連絡が来るのに大した時間はかからず、それ以上アリシエがあれこれ考えて、一人で落ち込むことはなかった。
『待たせてすまなかったね。僕の方は準備が終わったよ。君の方はどう?』
『え……? わ、私も何か準備する必要があったの?』
『ないよ。君はただ見てるだけだからね。でも、そうだね。今からでもいいから心の準備くらいはしてもらえると助かるかな』
『……わ、わかった。私に出来る範囲でやってみるよ』
ルードは心の準備と言ったが、具体的に何をどうすればいいのだろうか。
例え何を見ても驚きはせず、弱音を吐くことも動揺することもない。
そんな状態になれとでも言うのだろうか。
だけど、そんなのは弱虫な自分に出来る筈がない。
それはルードも分かっていたらしく、それ以上のことは言ってこなかった。
『それじゃあ始めるよ』
そうルードが言うとアリシエの目に映っていた景色が変わった。
ルードが機械を操作して、アリシエが被っている機械に映っている映像を別の場所のものに切り替えたのだ。
アリシエは自身の目に映る映像をしげしげと見つめた。
そこはさっきまで自分が見ていた迷宮で、その迷宮の中を二人の人物が歩いていた。
その二人は、まだ年若い青年ヨハンとその父親のカールだった。
青年のヨハンはアリシエの言うことに耳を傾けてくれたが、父親のカールの方は最初から自分に敵意を剥き出しにしていて、遂には弓でアリシエを射抜いてしまった。
これは機械の映す映像だ。
自分が実際にその場にいるわけではない。
それが分かっていてもなお、自分が敵意を向けられ、殺されかけた恐怖は消えておらず、アリシエは思わず身体を震わせてしまった。
「親父、本当にこれで良かったのかよ」
「またその話か。いい加減しつこいぞ」
「俺がしつこいのは親父が納得のいく説明をしてくれないからだ。なんであんなことをしたのか説明してくれ。でないといくら親父といってもこれ以上は従えない」
強情な息子を前にして、カールはため息をついた。
息子のヨハンは母親に似たのか、相当な頑固者だ。きちんと説明をしなければ、今度の行動に支障をきたすのは間違いないだろう。そう判断し、カールは足を止め、息子と向かいあった。
「お前も見ただろう。俺がこの弓であの魔女を射抜いてやったら、あいつは血も流さずに姿を消しやがったじゃねえか。以前に聞いたことがあるんだが、魔法使いの中には幻を見せて、相手を騙そうとする奴がいる。あの女もそういった手合いに違いねえ。あいつは俺たちを騙そうとしたんだ」
「確かに親父の言う通り、俺たちの前に現れたのは魔法の力で作った幻だったのかもしれない。でも、それだけじゃあの人が俺たちを騙そうとしたことにはならないだろ。それにあの人は俺たちと話し合いに来ていたんだ。それなのにあんなことするなんて……」
「仕方ないだろ。お前はあの魔女を村に招こうとしていた。そんなことを許すわけにはいかなかったんだ」
「なっ……! 俺のせいだって言うのか!? 親父は彼女のことを見てなかったのか?。彼女は本気で俺たちの村を助けようとしてくれてたんだぞ!?」
「だからお前は甘いって言うんだ。あんなの嘘に決まってるだろ」
「…………」
カールの言葉を聞いてヨハンは思わず言葉を失った。
それはアリシエも同じだった。
酷い、と思い悲しんだ。身勝手だ、とも思い怒りを感じた。
でも、それを伝えることは出来ない。アリシエは機械の映す映像を見ながら、人間の方の手でぎゅっと拳を握らせた。
「……それでこの後はどうするんだ? まだあの人を追うつもりなのか?」
「当たり前だ。今度こそあの魔女の息の根を止めて、その首を切り落としてやる」
「そんなの無理に決まってるだろ。俺たちは話し合いをしようと思って来たあの人を一方的に攻撃したんだぞ。もうあの人だって俺たちのことを敵だと思ってる。もし彼女が俺たちを攻撃してきたら、俺たちなんてあっという間に黒こげにされちまうぞ。いますぐ引き返して、村の人たちと相談すべきだ」
「うるさい。お前は黙ってろ! 今更引き返すたりなんてするもんか。あの魔女の首を取るまでは俺は絶対に帰られないからな!」
二人の言い争いはどんどんエスカレートしていく。
衝撃的な言葉を聞き、アリシエは全身が震え、背中に冷や汗が流れていくのを感じた。
(く、首を切り落とすって……。そんな酷いことするわけないよね。だって、私まだ子供なのに……)
あんなのでまかせだ。
幼い子供相手にそんなことするはずない。
そう思ったが、心の中ではもしかしたらという疑念が湧いてきて、それはどんどん溢れていった。
アリシエがカールに見せた姿はルードが機械の力で作ってくれた幻のものであり、まだ彼はアリシエが子供だということを知らない。
もしカールが自分を子供だと知ったら。
それでもなおカールは考えを変えず自分の首を切り落として村に持ち帰ろうとするだろうか。流石にそんなことはないとアリシエは思ったが、彼の心情を考えれば絶対に無いとは言い切れなかった。
カールとヨハンの二人は迷宮の中をどんどん進んでいった。
その途中、二人は木造の小さな家を見つけた。
「ここが魔女の住処か?」
カールはそう言って家を睨み付けたが、今、アリシエがいるのは木で出来た家ではなく、何で作られたかさえ分からない遺跡の中だ。
だが、カールもヨハンもそんなことは知らない。
二人が見つけた古びた木造の家を見て、アリシエはどこかで見たことがあるような既視感を感じたが、その正体がなんだか分からなかった。
「ヨハン。お前は辺りを見張ってろ」
「いきなり仕掛けるのは無しだぞ、親父」
「……わかった。いきなり殺したりはしない。あいつが抵抗しなかったら縄で縛るだけにしてやる。ただ少しでも怪しい素振りを見せたなら、その時は容赦はしないからな」
二人は慎重に家に近づいていった。
家の正面から入るのは危険だと判断したのか、二人は裏口に回りそこから家の中に踏み込もうとした。
だが、カールの手が裏口の扉にかかろうとしたその瞬間――ガチンという金属の音が鳴り響き、それと同時にカールが大きな悲鳴をあげた。
(な、なに? 何が起こったの……?)
カールは痛みに顔を歪ませて、自身の右足を凝視している。
アリシエが恐る恐る、彼の右足を見てみるとカールの足には鉄で出来た道具に付いていた刃が食い込んでいた。
(あれ前に狩人の人の家で見せてもらったやつだ。確かトラバサミって名前の罠だっけ……)
トラバサミとは畑を荒らす動物を捕らえるための罠だ。
獲物がトラバサミの上に乗るとばね仕掛けにより金属板が動き、罠にかかった相手の足に金属板が強く食い込み、それによって獲物を動けなくしてしまう。
ただ猪といった大きな獣にはそれだけでは不足で、トラバサミから抜け出され、逃げられてしまうことも多いため、金属板に鋸状の刃を付け、その刃を相手の足に食い込ませ、怪我を負わせる。そうすれば猪も逃げにくくなるし、もし逃げられたとして足から流れる血を追えばいい。
昔、ミュルゼに住む年配の狩人は壁にかけてあるトラバサミをアリシエに見せてて色々と説明してくれた。
「人間が誤ってトラバサミにかかれば怪我をする。その怪我は決して軽いものではない。骨が折れることもあれば、刃で足がずたずたに引き裂かれ、一生歩けなくなることさえある」
その話を聞いたまだ幼かったアリシエはもし自分がトラバサミにかかってしまったらどうしよう、と不安に思い、怖くなって半泣きになってしまった。
そんなアリシエを見て年配の狩人はこう言った。
「心配はいらないさ。そんな恐ろしい罠にかからないよう。自分を含めた狩人たちは罠を仕掛けた所に目立つように印をつけて、人が立ち入らないように警告をしている。もしこの印を見たらそれはその辺りに罠があるということだから、慎重にその場から離れなさい」
彼はそう言っていた。
(で、でも……目印なんてどこにもないよ……?)
そう。トラバサミが仕掛けられている場所には印があるはずなのだ。
だが、この場にはそんなものはなかった。
困惑するアリシエを他所にカールは痛みに呻き声をあげ、足からトラバサミを外そうともがいた。だがもがけば、もがくほどトラバサミの刃は足に食い込み、その傷口を広げていった。
「動くな、親父! 俺がなんとかする!」
父親の窮地にヨハンが血相を変えて、カールの元に駆け寄った。
と、そんな時だった。
ひゅんという音が鳴り、それから少し遅れてどさっという音と共にヨハンの身体が地面に倒れ込んだ。
(えっ……?)
何が起こったのか理解できず、アリシエは目を見開いた。
仰向けに倒れたヨハンの胸には矢が突き刺さっていた。
傷口からは真っ赤な血がだらだらと漏れ出し、服を赤く染めている。
矢で射抜かれたヨハンはしばらくの間、身体を痙攣させていたがそれも僅かな間だけで、その身体が完全に動きを止めるのに大した時間はかからなかった。




