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愛宕坂の勝軍地蔵  作者: テッドオフ
8/31

ゆかりの昔のこととか今のこと

 三秀プールで信子さんと別れて、ひとり愛宕坂の家に帰ってきたけれど、途中どうやって帰ったのかゆかりは全く覚えていない。気がつくと店の上がり框に腰かけて、大きくため息をついている自分がいたのだった。

 腕と脚の震えが止まらない。何年か振りに空手を使ったからか、それとも霊的なものとの遭遇で身体の興奮が冷めないのか。


 やがて少し落ち着いたゆかりは、靴を脱いで二階に上がり、バッグを降ろすと棚に飾ってあった勝軍地蔵の木像を手に取って、ベッドに腰を下ろした。ほんの十センチほどの大きさで、地蔵さまの大きさの割には小さな馬に跨がっている。まるでポニーだ。

 ゆかりは地蔵さまの顔を凝視した。兜を被っているので、花月橋にいた関西弁の少年と同じ顔をしているのかよくわからない。


 ゆかりはドキドキする胸に手を当てて、思いきって話しかける。

「地蔵さま。もう少しお話ししない?三位一体の話でもいいし、十四か十五体のお化けの話でもいいから、もっと教えてよ。私、何かに巻き込まれたりするの?ううん、もう巻き込まれてるけど」


 ゆかりがいくら話しかけても、木像が動き出す気配はない。ゆかりはため息をついて木像を棚に戻した。

 でも棚の上に置いてみると、何か観察されているような視線を感じるのは気のせいだろうか。

 よし試してみよう、とゆかりは突然その場で腰を振って踊り始めた。でも木像は変わらず動かない。ゆかりはストリッパーのように踊りながらトレーナーを脱いだ。

「タラララララ〜ン!」

 ゆかりはどんどんエスカレートしてゆく。ジーンズを脱ぎ、靴下を脱ぎ、それでも木像が動かないと知ると、スポーツブラまで脱いで、

「ほりゃーッ!」バンザイしてみた。

 ・・・どうやらただの木像のようだ。


「あほくさ。私、何してんの」


 ゆかりはタンスから新しい下着とパジャマを出すと、それを抱えて階下に降りた。

 裸になって踊ったことで身体の緊張が収まったようだ。熱いお風呂に身体を沈めると、普段の生活に戻ったような気になった。


 あの子、私をちっちゃい時から知ってるって言ってたわね。三位一体のお父はんが、だったかな。聖なる父は足羽山の公園にいるのかしら。今度の日曜日に上がってみよう。晴美は何か知ってるかもしれないわね。それとこういうことは信子も頼りになる、三人で行こう。前の日に泊まると楽しいわね。でも信子、超常現象の話を始めるとちょっと大変かも。信子は朝に来てもらって、お泊りは晴美だけを誘おう。


 夕食の材料がないし、買いに行くのも面倒なので、冷凍パスタをチンして食べた。カルボナーラとかアラビアータとか、最近はオシャレな料理がいくつも出ているけれど、私は昔からミートソースだ。ミートソーススパゲッティを食べていると、テーブル越しに父がいるような気がする。

 家族三人で一緒にいたという記憶が私にはない。母と一緒のときは父の姿はなく、父と一緒のときは母はいなかった。今なら想像できる。二人の間には愛も恋もなかった。きっとひと夜の過ち、もしくは若気の至りというやつで、私が出来てしまったのだ。

 父はきっと責任感から結婚したのだろう。家族になったら愛が育つと思ったのかもしれない。でも育ったのはお互いへの憎しみだったみたい。珍しい話じゃない。母の好きだったシンディローパーも歌ってる、セイム・オールド・ストーリーって。

 とにかく両親は十年、一緒に暮らした。私が小学五年生になった春、二人は相談して離婚することになり、母は私にどちらと暮らすか聞いた。子どもには最低の質問だ、選べるわけがない。それでも私は母を選んで、堺市の家に引っ越したのだ。それから半年後、母は今の父と再婚、私は三つ目の家に引っ越した。


 つまり勝軍地蔵の聖なる父が私のちっちゃい時を知ってるというなら、最初の家に住んでいた頃だ。その家は大阪の高槻市、郡家新町というところにある。父は今もそこにいる。

 父はたまに車で大きなショッピングモールに連れて行ってくれた。でも母は運転できないので、私がどこかに連れて行けと騒ぐと、近くの公園や林に散歩に連れ出した。家のすぐ近くに雑木林があったのだ。

 まわりには池のような堀があって魚釣りをする人もいた。堀の手前には自治会が手入れした遊歩道が出来ていた。ぐるりと遊歩道を歩けば、雑木林の中にも入れた。母はそこが好きで、まだ小さい私の手を離してずんずんと藪の先に行ってしまう。その先は低い丘になっていたのだ。

 やっとの思いで藪を抜けて丘の上に到達すると、母は丘の頂上で私に背を向け、煙草を吸いながら遠くを眺めていた。その背中を見たとたん、このまま置いていかれるんじゃないかととても心細くなって、走って母の背中にしがみついた。振り向いた母がどんな目で私を見たのか、今となっては全く思い出せない。


 ところでその雑木林だけど、三番目の家で暮らしていた頃、高槻市が史跡公園として整備を始めたというのをたまたまテレビのニュースで見た。隣りにいた母がその場所に気づいたのだ。

「ほら、昔よくゆかりと行ったところじゃない。あそこ、古墳かしれないんだって」

「ふうん」

 私は発掘調査の風景が画面に流れるのを見ながら、こんなところだったっけ?などと考えていた。

 今、そこがどうなっているのかは知らないけれど、少なくとも私がその町に暮らしていた時には、そこは誰でも出入り自由な、薄暗くてちょっと気味の悪い場所でしかなかった。


 土曜日。ゆかりは朝八時から店を開けて竹内さんを待ち構えていたけど、九時を回っても姿を現さない。

 そりゃそうか、今日は追加注文しただけの分しか持ってこないんだもんな、と思い直して、陳列された商品を整頓していると、やがて竹内さんが両肩に箱を乗せてやってきた。


「おはようございます。下のチラシ、見ましたよ。うまいことやりましたねえ、さすが関西人だ」

 竹内さんは段ボールを二箱、土間に下ろした。


「おはようございます。品物はそこに置いといてください。後で私がしますから。こっちでコーヒー飲んでいきません?」


「ありがとう、じゃあお言葉に甘えて。今日もいい天気で良かったです。雨だとひと箱ずつしか持って上がれないもの」


 ゆかりは竹内さん専用のコーヒーカップを温めてから、コーヒーを淹れる。


「土曜日は忙しいんでしょうね」


「平日と比べると暇ですね。半ドンやから、昼前に電話あったりすると、ちょっとせわしないけどね。ところで桃ノさん、ここで暮らすの慣れましたか?」


「はい。今のところはお化けも虫も出てきません」


「そりゃ良かった。でも虫はそのうち出てきますよ。覚悟しとかないと」


 ゆかりは丸テーブルに淹れたてのコーヒーを置いた。

「二階の押し入れから、勝軍地蔵の木彫りの像が出てきたんです。里美さんから貰ったんですけどね。竹内さん、以前にお婆さんから何か聞いてたりしません?」


「勝軍地蔵っていったら愛宕観音やね。元々はここは足羽山って名前やったの。千五百年前、ヲホドノキミが大和王朝の大王になるために福井、越の国を去ることになって、私の代わりにとここに神社を建てたのが足羽神社。それで足羽山と呼ぶようになったんですと」


「竹内さん、歴史に強いんですね」


「そんなこと言わんとって。ただの受け売りだもの。それでね、戦国時代に柴田勝家が一乗谷から居城を変えた時に、足羽山に愛宕観音を運んできたの。だから江戸時代は愛宕山と呼ばれてたんだって。福井の町が広がったのは江戸時代からだから、この黒川の家も愛宕観音を祀ってたんやろね。ええよ、愛宕観音は。防火の神さまでもあるんです」


「火を鎮める神さま、か」


 竹内さんはそれから十分ほど居たけれど、子どもたちが店に入ってきたのを機に、それじゃそろそろと店を出ていった。玄関まで見送るに出ると、急ぎ足で石段を降りていく後姿が見えた。言ってたほど暇ではないようだった。


 午前中は何組もの子どもたちが買い物に来てくれた。もちろん買い物をし終わってもすぐに帰ったりせず、店の中や外でお菓子を食べながら、話し合ったり誰かが来るのを待ってたりしている。


「ねえ。誰か今週、お化け見た?」

 ゆかりは近くの男の子に聞いてみた。

「うーん、今週は知らん。前なら見たけど」

「そうか。花月橋って知ってる?あそこで将軍地蔵に倒されたって聞いたよ」とゆかりは言ってみた。

「えー?将軍地蔵は足羽山から出られんて聞いたぞぉ。ホントかなあ」

「俺も聞いた。将軍が足羽山下りてたら、ここにもお化け出るかもしれんのう」

「おばちゃん、誰から聞いたんや?」

「!おばちゃん?・・・まあいいか。君らくらいの男の子よ。橋の上で会ったのよ」とゆかりは答えた。

 言わなきゃよかった、と思いながら。


 午後の三時過ぎには文学館の前田さんがやってきた。既に五回か六回は来てくれている、大人でただ一人の常連さんだ。

「いらっしゃいませ」

 前田さんは相変わらず、少し照れながら店内を物色し、お菓子を手のひらに乗せはじめると、たちまち両手いっぱいになってしまった。


 ゆかりはそれを見て、小さい買い物カゴがあればいいな、などと考えているうちに、前田さんはレジにやってきて、ドサッー!お菓子をテーブルに広げた。

「もう持てんかった。今日はこんなとこかな」

「いつもありがとうございます」

「にぎやかでいいですね。ここに店ができて、本当によかった」

「文学館のほうはどうですか?天気がいいから忙しいんじゃないですか」

「資料館みたいなものですからね。実は毎日ほとんどガラガラ状態なんですよ」

「そうなんですか。私も一度覗かせてもらおうって思いながら、まだ行ってませんが。橘曙覧という人は地元では有名な方なんですか」


「あ!知らないんだ。いけませんねえ、福大生ともあろう方が。って実は日本でも無名に近い人だったんです。僕だって名前も聞いたことなかったもの。でも十年ほど前、ビル・クリントン・アメリカ大統領がスピーチで橘曙覧の歌を一句詠んだんです。それであっという間に日本に広がりブームになった、それでこの文学館も出来たといういきさつがあるんです」


「そうなんですか。でも福大生ともあろう者が知らないままじゃいけませんね。もっと勉強しなきゃ」


「よかったら、付き合いますよ。

!いえ、変な意味じゃなくて、毎日暇だし、曙覧のことは、それなりに知ってるし。あの、そういう意味です」

 前田さんはそう言うと、恥ずかしそうにゆかりが詰めたお菓子の袋をギュッと掴み取った。それから目も合わないでぺこりと頭を下げると、ギクシャクした感じで背中を向けて、歩き出した。


 イケメンでもスタイルがいいわけでもないけれど、ゆかりは前田さんに好意を持っていた。照れ屋さんなところも可愛い。

「嬉しいです、お願いします!」

 ゆかりの返事に、前田さんは立ち止まって驚いたような顔で振り向いた。

「いつかお休みが合えば、ぜひ!」ゆかりは再度言った。


「え、ええ。また来ますから!」前田さんはそう言うと、走り去っていった。


 さて夕方になっていよいよ晴美さんがやってきた。大きな袋を抱えて、見れば食材のようだ。

「お母さんに坂の下まで乗せてきてもらったの」

「それはいいけど、何持ってきたの?」

「もちろん夕食と、夜食と、明日の朝食じゃないの。信子は明日の朝に来るのね。泊まればいいのに」

「超常現象の話、聴きたかったの?」

「あ」


 店の閉店時間は日没前と決めている。夜になっても子どもたちが店にいるのは危険かと思ってのことだ。だから秋が深くなった今頃は五時には閉店だ。反対に夏場は午後七時まで開けることになるだろう。


「おでん作るわ。それだったら何個でもいけるでしょ?」と春美さん。

 彼女の母も仕事を持っているから、香華堂のアルバイトのない日は食事は春美さんが作っているとか。


 おでんを食べながら、ゆかりは花月橋の一件を話すべきかずっと悩んでいる。臆病とか怖がりではなさそうだけど、お化けの話は嫌いだとこのあいだ聞いたばかりだ、晴美にもサムライお化けが取り憑いているなんて伝えたら友情が壊れてしまうかも知れない。今のゆかりには晴美さんと信子さんはどちらも大切な友人だ。入学したての尖っていたゆかりではない。結局、晴美さんには何も話さなかった。どうせ明日になればわかるのだから。


 二階の部屋にはふとんを二組並べて敷いておいた。風呂上がりのゆかりが奇声を上げてそこに寝転ぶと、先に上がっていた晴美さんがゆかりのすぐ横に身体を寄せて来た。

「うわぁ、石鹸のいい匂い!」

 ひょっとしたら晴美さんはレズビアンの気があるのかな?と時々思う。今もそんな気がした。


「ねえ、入学して二日目にあったオリエンテーション、覚えてる?」

 ゆかりの腕にしがみつきながら、晴美さんは内緒話をするようにささやいた。

「覚えてるよ。でも私って、喋りにくくなかった?あんまり友だちとか欲しくなかったんだよ」

「とっつきにくい感じだったわよ。なのにあたしが何でゆかりに話しかけたかわかる?」


「多分私がとっても可愛い顔してたから」

「あら、ちっとも可愛くなかったわよ。ブスッとしててさ、オリエンテーションの一番初め、自己紹介を最低五分間しなきゃいけなかったよね。その時にゆかりの話したこと、あれ聞いてね、あたし実は感動したんだ」


「感動?なんで?」

「実の父親のことは、一緒にミートソーススパゲティを食べたことしか覚えていない、って言ったのよ、あなた」


「そうだったっけ?格好いいこと言ったんだ、私。ホントはもうちょっと覚えてることあるよ」


「とにかく私はゆかりとお父さんの関係を想像して、なぜかわからないけどとても胸が熱くなったの。ほらこんな感じよ。触ってみて」

 晴美さんはそう言うと、ゆかりの向こう側の手を取って自分の胸にあてた。

 ゆかりは黙ってされるままにしている。


「あたしはね、お父さんのことは嫌な記憶しかないの。嫌って言うか、辛いって言うか。ううん、自己紹介ではそんなこと言わないよ。お母さんがどれだけ頑張ってたかって話をしたの」


 人に話したくない思い出か、とゆかりは晴美の目をジッとみつめた。そして初めて知った。目の奥にある深い悲しみ、それは見た者の心にまで刺さってくるのだ。性的虐待、という言葉が頭に浮かんだ。

 ゆかりは胸の痛みに耐えられなくなって、ふとんを被って二人の顔を覆った。ゆかりはその腕を晴美さんの背中にまわして、ギュッと抱きしめた。


「嫌なことされたの?」

 ゆかりの腕の中で晴美さんがうなずいた。

「お母さんも知ってるの?」

 晴美さんはもう一度うなずいた。


「ゴメンね。私はお父さんに嫌な思い出はないの。どっちかっていうと、会いたいかな」


 晴美さんは背中を伸ばして、ゆかりに顔を近づけたようだ。

「 それが当たり前なの。お父さんなんだから。あたしのお父さんが異常なだけよ。でもお父さんのおかげでよくわかった。男はね、自分のオチンチンのことしか頭に無いの」


「うん、わかる」とゆかりはうなずいた。


「あたし、絶対に結婚なんかしない。男と一緒に暮らしたって、絶対に幸せになれないもの」


「晴美はセックスの経験はないのね。あ、もちろん愛のあるセックスってことよ」

「ない。したくもないわ。昔を思い出すから」

「お父さんが晴美に何をしたのか、細かい話は聞きたくないけど、それはセックスっていうやつじゃないよ。全然違う」


「でも私はもう嫌なの」

「そっか、ゴメン。でもいつか、いい人と出逢うかもしれないよ。エッチしたいとかじゃなくて」

「ゆかりはエッチって好き?」

「うーん、それは相手によるんだよ。二人でするものでしょ、相性とかが重要なのよ」


「あたしはエッチなんかしたくないけど、こうやってカワイー人とひっついていたいってのはある。だって今、とっても幸せなんだもん」

「可哀想な晴美、私でよかったらいつでもくっついてあげるわよ。晴美、ポニョポニョしてて気持ちいいし」


 晴美さんはそれ以上のことは求めてこなかった。そのままじっとしていると、

「ねえ、ちょっと暑くない?」

 確かに二人の身体が汗ばんできた。ゆかりは身体を離す代わりに、掛けふとんを蹴飛ばした。

 するとゆかりの目に、棚の上の勝軍地蔵が写った。

「ん?」とゆかりは木像を凝視した。

 しかし勝軍地蔵はこちらに顔を向けながらも、変わらずにじっと立っていた。




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