雨森伝右衛門登場
「私はあんまり好きじゃないのよね、お化けとかそういうの」と晴美さんがカウンターの向こう側から言った。
「だから私はパス。あなたたち二人で行ってきて。何なら今から行ってみたら?」
香華堂の店内には他に客の姿はなかった。基本は持ち帰りの店だけど試食スペースとしてテーブルがふた席あり、ゆかりと信子さんでそのひとつを占有している。
晴美さんはバイトで、客のいない間にとレジ横でギフト用の箱を組み立てているところにふたりがやってきて、お化け捜索の誘いに来たのだった。
「やだー、心細いなあ」とゆかり。
「嫌いなんだから仕方ないよ。今からでも行ってみる?」と信子さんがゆかりに言った。
「おや、桃園さんと谷本さんだっけ。こんにちわ」
奥の製造室から店主の渡辺さんが顔を出して、ふたりに言った。
「お邪魔してます。ごめんなさい、お客さん来たらすぐに帰りますから」
「いいよ、もう一席あるし。どこ行くのか知らんけど一服していきなよ。お茶出してあげるよ」
渡辺さんはそう言いながら、すぐに急須にお湯を入れる。
「あ、私やりますから」と晴美さん。
「いいの。丸岡さんのお友だちだから、たまにはおもてなししなくちゃ。ふたりとも、どっか遠くから来てるんでしょ。偉いよねえ、ひとり暮らししてねえ」
渡辺さんは湯のみにお茶を入れてから、ショーケースの中から丸い形のお菓子を出してきて、テーブルに持ってきた。
「ちょっと時間経っちゃったやつで悪いけど食べてみて」
「わあ、すいません。ありがとうございます」とゆかり。
「これは何のカタチですか。壷?」と信子さんがお菓子に顔を近づけて聞いた。
「かめだよ。ほら昔、水をためて置いたりする」
「あー、あのかめね」
「かめ割り柴田って話し、聞いたことない?」
二人は顔を見合わせて、首を傾げた。
「知らないよね。これはかめ割りもなかっていうお菓子で当店オリジナル商品なんだよ」
「晴美は知ってるの?」とゆかりが首を伸ばして聞いた。
「うん、昔から有名だもの。かめ割り柴田の話も知ってるよ。福井の人はみんな知ってる話」
「こほん」渡辺さんは二人を前に、かめ割り柴田の話しを始めた。
戦国時代だねえ。柴田勝家は織田信長の命令で、滋賀県のどこかの山城を守っていたのよ。そこに敵軍が攻めてきてねえ、柴田勝家は篭城したんだねえ。敵軍は川の水をせき止めて、城に水が入らんようにしたんだねえ。水がないとみんな辛いよねえ。かめの中の水ももう残り少ないし、もう降参しないとダメかもねえ、なんて気持ちにみんななっていたんだねえ。
柴田勝家はこのまま全滅したり降参したりするよりも突撃しようと思いました。その前にかめを一箇所に集めてね、兵士にみんな飲ませたの。それで空っぽにしたあと、みんなの前でそのかめをぜーんぶ、槍の先で割ったんだって。
それを見せたあと、
「皆の者、突撃じゃあー!」って言って、総攻撃に出ていったの。それで兵士たちは死ぬ気で戦って、その戦いに勝ったんだねえ。そんなことから柴田勝家はかめ割り柴田と呼ばれたんだねえ。
渡辺さんのお話しがちょうど終わったところでお客さんが入ってきた。
「それじゃ、私たちはこれで」とゆかりは渡辺さんに挨拶したあと、晴美さんに、
「じゃあ、また明日!」と声をかけた。
「気をつけてねえ。ホントにお化け出たら逃げるのよ~」
三秀プールは店から自転車でほんの五分も行ったところにある。正面に自転車を置ける場所があったので、二人はそこに自転車を置いて、歩いてプールの外周を歩いてみた。
足羽川の堤防沿いにあって、三方が住宅や通りに面しているのだが、西側に人目に入りにくい寂しい通りがある。プール側はゴンドラ席がせり上がっていて、その下が駐車場になっていた。向かいは宗教団体の研修センターのビルの側面で、人の出入りする気配はない。
「ここのことね。気味悪くもないけど、まだ明るいからねえ。出てくる気配は感じないね」
信子さんはそう言うと、次に堤防から川向うを眺めた。
「近くの橋が花月橋。左の大きな橋が九十九橋。河原でもお化けを見たっていう話しだったわよね」
「行ってみる?」
二人は徒歩で花月橋に向かった。夕暮れがやってきて、橋の横から河原に降りる階段が見えた。夕闇が迫っているが、まだ景色は確認できる。
「ここはよく子どもたちが遊んでいる場所だけど、誰もいないわね」
二人は河原を九十九橋を目指してゆっくりと移動した。しかし子どもの姿も、犬を連れて散歩してるような人の姿も見当たらない。
「暗くなったから、みんな帰ったんだろうね」
九十九橋の下を抜けると、次に架かっている桜橋が見えた。しかし河原に人の気配はない。二人は元来た道を戻り始めた。
夕闇がいよいよ迫ってきた。
「嫌ね、暗くなってきちゃった」ゆかりが不安そうにつぶやいた。
「逢魔が刻っていうんでしょ、そろそろ出てくるかも」
しかし河原には何もあらわれず、二人はとぼとぼと石段を上がった。
「うわぁーッ、やめろォ!」
突然、橋の先から子どもの叫び声があがった。
ゆかりはあわてて階段を駆け上がる。すると橋の中央あたりでひとりの子どもが、橋の欄干に両腕で掴まりながら、それでいて誰かに引っ張られるような体勢になって、叫んでいた。
「あの子、何してんのかな?」
ゆかりは子どもがひとりで何をやってるのだろうと、ぼおっと突っ立って見ていた。
しかし信子さんはそれを見るや否や、あわててバッグから手鏡を取り出して、橋の中央に向けて腕を伸ばした。
「姿を現せ、悪霊!」
でも鏡は信子さんのしかめっ面を写してる。「あ、間違いよ、逆!」と信子さん、鏡面を向こう側にしてもう一度、
「悪霊、姿を見せよ!」
子どもは相変わらずひとりで、じたばた暴れている。男の子のようだ。
ゆかりは信子さんの行動を計りかねて、彼女の顔を見つめていた。
「そっか、夜だから効き目ないのか」信子さんはそう言うとゆかりの顔を見て、
「お化けよ!お化けがいるの。助けなきゃ!」
と言って走り出した。
ゆかりもあわてて後について走った。
近づいてみると、なるほど何者かが子どもを欄干から引き剥がそうとしているのがぼんやりと見えてきた。
「手を離しなさい!」
信子さんの声が聞こえたのか、何者かは動きを止めて、こちらを見た。
信子が立ち止まったので、ゆかりも走るのをやめ、あらためてそれに目を向けた。
サムライの格好をしたお化けだ。
「その子から手を離しなさい。成仏したかったら、いいお寺紹介するわよ。いや、私のうちは神社か。神社だけど成仏みたいなことは出来るから。あなた、南無阿弥陀仏?それもと南妙法蓮華経?うちは神社だからどっちでもオーケーよ。でも富山まで来てもらわないと」
とだらだら喋る信子さんを見て、サムライお化けだけでなく、男の子までが手を緩めてしまった。
サムライお化けが先に動いた。凄まじい形相で子どもを一気に抱え上げると、
「あぐゎぐゎぐゎッ、えいッ!」
サムライは力み声を上げて、あっと驚いた信子さんに向かって、なんと男の子を投げつけた。
信子さんは男の子を受け止めようと両腕を開いた。そこに子どもの身体が飛び込んできて、頭と頭が衝突してしまった。信子さんは子どもを抱きながら後ろに倒れた。
ゆかりが信子さんの身体を受け止めるが、支えきれるものではなく、三人固まって倒れてしまった。
ゆかりはすぐさま身を起こして、
「信子!」と彼女の顔を見たが、信子さんも男の子も頭を打って気絶していた。
ゆかりは身体をスライドさせ、二人を寝かせてから立ち上がった。お侍さんはゆっくりとこっちに歩いてきている。
ゆかりは二人を守るため、覚悟を決めた。
「桃園ゆかり、和道流、セイシャンいきます!」
雄叫びをあげて空手の型を組むと、サムライお化けは怒り顔になって腰の剣に手をかけた。
「先手必勝!」
ゆかりはサムライお化けの胸に突きを入れた。
手応えがあった!しかし、
「あ痛たたッ!」ゆかりは拳に激しい痛みを感じ、思わずしゃがみ込んでしまった。
サムライお化けは刀の鞘でゆかりの拳から身を守ったのだ。サムライはしゃがみ込むゆかりの前に立ち、刀の鍔に指をあてる。
「チャキッ!」
鯉口の切れる音が鳴った。
その音にゆかりが顔を上げる。まずい!と思うけど身体が動かない。
その時、「チャキッ!」
ゆかりはもう一度、背後から鯉口を切る音を聞いた。
ゆかりが振り返ってみると、そこに別のサムライがサムライお化けと対峙し、にらみつけていた。
小柄で痩せっぽちの、気難しそうなお爺さん侍だ。
「太田、三弥か?」 とサムライお化けに向かって口を開いた。
このお爺さん、お化け?それとも人間?ゆかりは混乱して、尻もちをついて欄干にもたれた。
「お主は追っ手か?」とサムライお化けが言葉を返した。
「雨森伝右衛門じゃ。ここで会ったが百年目。お主の首をちょん切れば、わしはようやく浮かばれる。いざ勝負!」
伝右衛門と名乗った侍は瞬時に抜刀して、サムライお化けに斬りつけた。
サムライお化けも素早く動いた。身体を回転させながら抜刀し、距離を開けて立ち上がった。
激しい剣の打ち合いが始まった。
二人のサムライは刀を振り回しながらどんどん向こう側の欄干に動いていった。
ゆかりは四つん這いで信子さんのところに移動した。
「信子、起きて。ほら、あなたも起きなさい。ここにいちゃ危ないから」
ゆかりが信子さんの頬をパチパチと何度も平手打ちすると、
「うッ、うぅーん」少し意識が戻りかけてきた。
「あ、信子。しっかりして!」
ズバーッ!
不気味な、激しい音にゆかりは思わず振り向いた。
伝右衛門が刀を振りきったポーズで固まっていた。その向こうに、肉と骨を断ち切られたサムライお化けがしばらく立ち続けていたが、やがて後ろ向きに崩れ、欄干に背中をぶつけてそのまま川に落ちていった。すると、
魂だろうか、ぼんやりした火の玉がふわりふわりと天に昇っていった。
伝右衛門はやがて姿勢を戻して、刀をゆっくりと鞘に収めた。それから振り向いてゆかりに顔を向けた。
「娘。怪我はなかったかの」
「は、はいッ!」
「そうか、それは良かった。それとチトものを尋ねるが、さっきの男な、あやつ自分の名を名乗ったかの?」
「え?」
「娘、そこにおったんじゃろ?あの男、自分を太田三弥だと名乗ったかの?」
(ええー?そんなの知らないわよ〜。でもそんなこと言うと、あのお爺さん、また怒り出すんじゃないかなあ)
などとゆかりが考えていると、
「言わんかったねえ」と男の子の声がした。
ゆかりが振り返ると、信子さんの横で気絶していた男の子が、なぜか甲冑をまとって立っていた。
「雨森さん。申し訳ない、また人違いのようですわ」と、男の子が話しを続けた。
「そうか。だよなあ、あやつが太田じゃったら、わしはすぐさま成仏できたはずだもの。でもまあいいや。地蔵さま、いつか必ず見つけてくだされよ」
伝右衛門はそう言うと、まるでテレポートするみたいに、足元から姿を消していった。
ゆかりは眉をしかめて男の子を見た。
「地蔵さま?今のお侍さん、あんたに地蔵さまって言ったよね」
「あんた?お前、俺に向かってあんたなんて呼ぶなよ」
「あんたこそお姉さんに向かってお前だなんて。助けてもらっといて、このガキンチョ!」
「 ふん。お前は後ろで見てただけやん。でもまあええわ。お前は俺のこと、知ってるはずやで」
「地蔵さまって、私の知ってる地蔵さまは」
「黒川の婆さんから譲り受けましたやろ?ほれ、木彫りのやつですわ。ちっちゃい馬に乗って、手にこんなん持って」
と、両手を広げるとあら不思議、ポンと煙が出たあとに、見れば右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。
「勝軍地蔵、さま?」
「そう!勝軍地蔵。またの名を愛宕観音。そしてその正体は!」
「正体は?」
「いや、やめた。またにするわ。お前、いろいろ衝撃的な一日やったやろさかい」
「構わないから話してよ」
「しかしなあ。三位一体って概念、知ってる?キリスト教だけど」
「福大生なのよ、知ってるわ。父・ 子・ 霊 の三つが一体であるとする教えでしょ」
「なんや、知っとるやないか。そうや、それで俺は子にあたる。あとのふたつについてはまた今度、でええな?」
「父と霊にも名前があるのね、わかった。もうひとつ、なんで関西弁か聞いていい?」
「それはお父はんの影響で、ん?そんなん聞かんでも!」
「じゃあ今、何が起きたのかだけ教えて!あのお侍さんたち、なんだったのか私、さっぱりなの」
「さよか、さっぱりか。なら言うわ。この町に十四体、正確には十五体の悪霊がさまようとんのや。理由はいろいろあって俺には関係ないことやけど、知らん顔もでけへんやろ?ほやから俺が成仏させたろ思ってん。この辺りにも一体、悪霊があらわれてな。ところで俺は何かしたくても誰かの身体を借りなくちゃあかん。取り憑く相手によって自由度が変わる。で、どうしよう思てたら、お父はんからお前がこの町に来たって聞いたんや」
「私のこと、知ってるの?」
「まあな。でな、福井に来たんなら、そのうち足羽山くらい登るやろ、足羽山の公園来たら、声かけたるわってお父はん、思てたんやけど、お前全然けえへんかったよな。それでいろいろ策を巡らして、お前を愛宕坂に引っ越しさせたんや。俺の木彫りの像、持たさなあかんよって」
「ええー?」
「いや、その話はまた今度や。とにかく誰に取り憑いてもいいんやけど、人によって性能が違うのや。第六感が働くとか、霊能力が高いとか、そんなんとも違う。なんちゅーか、そや!波長が合うっちゅーやっちゃ。娘、お父はんはお前が小さいときから知っとるのや。でな、俺とお前はとっても波長が合うのを知ってるんや」
「波長が合う、合わないじゃ、何が違うの?」
「性能や。お前とは波長が合うってゆうたやろ?だからお前の身体から三十丈離れたところまで飛び回れるのや。ほれ、今一丈ほど離れてますやろ」
「一丈ってこれくらいなの?何センチ?」
「センチて。約三メートルくらいかなあ。波長が合わないとこんだけも離れられんぞ。とにかく取り憑いた身体からどのくらい離れて行動できるかが違うっちゅうことや」
「つまり、あんたのお父さんが愛宕坂の家の勝軍地蔵像を私に持たせたことで、あんたは私に取り憑いた。次に私をお化けを見にここに来させ、河原を歩いてる時に私から離れてこの橋にやってきた、そこで悪霊を見つけたってこと、かな?」
「正確には見つけたんやなくて見つけられた、やけどな。俺は不意を突かれて、ちょっとしたピンチやった。やけどこの娘がおったから雨森伝右衛門を召喚できたのや」
「雨森伝右衛門て誰?」
「ほれ、この娘の身体に取り憑いてる霊や。なかなか気の強い爺さんだぜ。俺は死んでからも恨みつらみがあって浮かばれない連中に、協力してもらってるんや。頼み事をする代わりに、いつか成仏させてやるって約束でな。」
「聞きたいことはまだまだあるけど、頭が整理できてないな」とゆかりはつぶやくように言った。
「お前、丸岡晴美に言ってたじゃん。足羽山行こうって。お父はん、待ってるんだよ。ずうっと待ってるのになあ!近いうちに来てくれよ。そしたら何でも答えるからさ。この娘も連れて来たらいいぜ。三人で来てくれよな」
勝軍地蔵はそこまで言うと、雨森伝右衛門と同じようにテレポートするみたいに足元から消えていった。
「あ、ちょっと!足羽山っていっても広いんじゃないの?足羽山のどのへん行けばいいのよ?」
返事はなかった。
ふんだ。私の中にいるって言ってたくせに、意地悪坊主だね。
勝軍地蔵の話は霊とかお化けというよりは、むかし橙木君から聞いた話に近いように思えた。世の中、わからないことだらけね。でも不思議なことが起きると、私ってわくわくしてくるの。イヤね、闘争心ってやつ?それとも子ども心ってやつかな。そりゃそうと、あれ?信子は大丈夫かな。
ゆかりは信子さんを起こそうと身体を揺すった。するとパチッと目を覚ました。
「あら、起きてたの?」
「ええ。ゆかりと勝軍地蔵の会話を聞いてたの」信子さんはゆっくりと上半身を起こした。
「不思議。悪霊はわかるけど、勝軍地蔵とか雨森でんうぇもん?精霊なのかな、全然気づかなかった。私ってまだまだね。うーん、それにしても」
「ん?どうしたの」
「さすがお地蔵さんね、石頭だったわ〜」