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愛宕坂の勝軍地蔵  作者: テッドオフ
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谷本信子さんのこと

 大学に入学した頃、ゆかりの精神状態は決して良いものではなかった。高校三年生の時に付き合った男が浮気症のダメ男で、そのうえ相手に性の喜びを与えるだけのテクニックも思いやりもない男だ。そんな男がゆかりの初めての相手だったから、彼女は当然のようにエッチ嫌いになった。

 ゆかりはモデルのようなスタイルと美しい顔をしていたから、男と別れると「今度は俺と付き合えよ」などと何人もの男が声をかけてきた。でも彼女は男と一緒にいることに関心を失っていたので、誰の誘いも断った。すると男子たちはゆかりをお高くとまった背高女と非難し、キリン園ゆかり!などと陰口を叩いた。


 彼女は気の強い子だったから、男子たちの嘲笑を無視した。無理に無視を続け、無理が災いして今度は母親とうまくいかなくなってしまった。母親は元来サッパリした性格の人なので、話しかけても返事を返さないゆかりに対し、それならそれで、とゆかりに話しかけなくなり、いつしか二人の間から笑顔の会話が消えた。義父は物静かな人だし、弟とは歳が離れていることと父親が違うこととでお互いが元から無関心、ゆかりは家族からも孤立した。


 そんな状況の中、彼女は大学受験に集中して取り組み、そして合格した。彼女は家を出てひとり暮らしが出来ることを喜んだ。将来の目標は教職免許を取り、出来れば生まれ育った高槻市で教員になることだ。そのために大学に入ったのであり、友だちを作るとか、部活に入るとかは全く望まなかった。

 そんな思いを抱えて入学したものだから、まわりに明るい顔をするでなし、話しかけることもしない。いつも気難しい顔をしているのは、誰からも声がかからなくて都合が良いからだ。

 そんな時、谷本信子さんが恐る恐るといった風に声をかけてきたのだった。


「私、谷本と言います。突然で何だと思うかわかりませんが、少しいいですか」


 ゆかりは初めて信子さんの顔を見た。怪しげな子のようにも見え、関わりたくなかった。

「ごめん、急いでるんだけど」


「何かがあなたに取り憑いています。悪意とかは感じませんが、なにか大きな力を持ったものです」


 ゆかりはギクリとしたけれど、そうか六年前のあのことを言ってるのね、勘の強い子なら昔に起きた不思議なことの匂いを嗅ぎ取ったのかも、と思った。

「ああ、取り憑かれてるというか、守護霊みたいなものよ。知ってるわ」


 信子さんはゆかりの返事に返す言葉が見つからず、さっさと歩き去っていくゆかりの後ろ姿を黙って見送った。


 それから梅雨の時期になり、やがて夏が来た頃、ゆかりは中野光男と男女の関係になった。


 中野光男との関係は既に書いたとおり、惨めなものだったけれど、まだ仲良かったときのことだ、再び信子さんが話しかけてきて、

「桃園さん。失礼なこと言うけど、凄く悪い霊に取り憑かれようとしています」


 その頃のゆかりは恋と交愛にハッピーな時期だったから、冷たくあしらうことはしなかった。でも恋人がいるだけで充分、友人もおかしな知り合いもいらない。

「あなた、前にもそんなこと言ってたね。でもあれから何も起きてないわよ。そんなことで話しかけるの、やめてくれる?」


「ごめんなさい。でも」


「私ね、中学生のときにそんな体験をしたのは確かよ。でもあれからずいぶん経ってるし、私もいつまでも子どもじゃないから」


 そこに、「桃ちゃん」と男性の声が。

 ゆかりは若者に笑顔を向けて、

「あ、中野さん」と口にした。


 信子さんもその男性に顔を向けた。そのとたん身体にゾゾゾッと悪寒が走った。


「今日はバイトだっけ?」

「うん。今からお昼?」

「そうや。付き合う?」

「うん!」

 とゆかりは中野光男と肩を並べて歩き出す。


 信子さんは真っ青な顔をして男の背中を見つめた。それからある程度の距離を置いて二人の後を追った。

 すると、男の背中のあたりが薄ぼんやりと靄がかかったようになり、やがてその中から身体の大きな男の霊がニョロリと現れて、信子さんを見た。

 悪霊は江戸時代の侍の格好をしていた。大きな身体、髪は薄く、ギョロリとした目を信子さんに向けると、赤くて細い舌をペロリと出して笑った。


 信子さんは突然のことに足が止まり、驚愕の表情を浮かべた。

 悪霊は若者の身体を出て、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。

 彼女はあわてて震える手でバックを探り、手鏡を取り出すと手を伸ばして鏡面を悪霊に向けた。

 鏡を見た悪霊は驚いて目を背け、逃げるように若者の背中に飛び込んで消えた。

 二人は何事もないかのように仲良く歩き去って行った。


 信子さんはそれ以上、後を追うのをやめた。それから、

(あの男の名前を調べなきゃ!)と思った。


 あのハンサムな男性は、強力な悪霊に取り憑かれてるのだ。他人を辱め、陥れ、生の喜びや意欲を奪う。悪霊はそれを喰らって生きているのだ。

 しかし信子さんに悪霊を退治する力はない。自身、私の力ではあの男性を救うことはできない、と感じていた。


 せめて桃園さんだけは助けなきゃ。彼女は取り憑くための肉体ではない、悪霊が生きながらえるために必要な栄養分、食料なのだ。

 喜びを与え、意欲を湧かせ、生気を充満させてから、吸い取るつもりなのだ。


 谷本信子さんは富山県南砺市にある西安居神社神主の三女として生まれた。三人揃って感性鋭く、長女と次女は精霊をコントロールすることで悪霊を追い払う術まで会得している。この二人の姉がいつも活躍するために、信子さんは実戦の経験がないまま今に至っているけれど、お祓いやおまじないはひと通り知っている。


 そんな信子さんだからゆかりを何とか助けたかったのだ。

 後日彼女はゆかりから、頼まれもしないのになぜ助けようとしたのかと聞かれた時、次のように答えている。

「 あの頃の桃園さん、いつもピリピリしてて、神経を張りつめながらなんとか生きてるように見えた。そうさせる何かの霊が桃園さんのまわりにいるのを感じたの。いつか大変なこと、自傷行為をするとか、他人に酷いことをしちゃうように思えたのよ。そのうえ、とんでもない悪霊に取り憑かれた人と付き合ってるのを知って、こりゃ大変だと。そして私なら助けられるかもって思ったの」



 信子さんは男のことを聞きまわり、三年生の中野光男という名の男だと知った。二人は同じファミレスでアルバイトしていることも知った。まずは二人を別れされるおまじないだ。


 信子さんはその日、アパートに帰ってくると黙って鍵を開け、部屋に入るとすぐに鍵をかけた。このあと部屋を出るまで黙ったまま、食べることも飲むこともしないのだ。

 彼女は部屋の隅にバッグを置くと、衣服を脱ぎはじめた。下着もすべて脱ぐと、バスタブに立って冷水でシャワーを浴びた。石鹸を使ったり、手をあちこちに這わしたりせず、身体を震わせながら約一分、シャワーを浴びた。その後、バスタオルで身体から水気をきれいに拭き取ると、バスタオルを洗濯機に放り込み、裸のまま部屋に戻った。

 次に机の引き出しから書道用の半紙を取り出した。これは富山から持ってきたもので、父のお祓いがされている。信子さんはそれから硯と墨、筆を用意して、紙に桃園ゆかりと中野光男の名を丁寧に書いた。

 書き終わるとその上に粗塩を振りかける。その次に表面を閉じこむように折りたたんだ。最後にやたら黒光りする紐できつく縛った。

 それをバッグに入れると、黒の下着に黒のスカート、それに黒のシャツとコートを着て、そっと部屋を出る。自転車でどこに行くかというと、二人が勤めるファミレスだ。


 ファミレスの手前に自転車を置いて、駐車場から裏手に回ると、社員通用口があった。信子さんはキョロキョロとあたりを見回して、誰もいないのを確認してから、先ほどの折りたたんだ半紙を取り出して、エアコンの室外機の足元の隙間に挟み込むように置いた。

 続いてバッグから出したのは、前に悪霊を追い払った手鏡だ。彼女は手鏡に自分の顔を写すと、そこでやっと口を開いた。


「桃園ゆかり、中野光男、二人は元の身体となれ。桃園ゆかりは二度と受け入れない。中野光男は二度と挿し入れない」

 そうつぶやくと、室外機を置いたコンクリートブロックの角に鏡を叩きつけた。鏡は割れ、外枠から外れ落ちた。信子さんは小石を拾って割れた鏡をさらに細かく割り、それが済むと割れた鏡の破片を室外機の足元の隙間に、足で掃き入れた。

 それでおまじないは終わった。彼女は逃げるようにその場から離れた。



 もちろんゆかりは信子さんのそんな行動を知らなかった。光男の浮気に気づいた時も、信子さんのことを思い出すことはなかった。光男の女遊びにうんざりして別れを切り出したときも、開き直って汚い言葉で罵られた時も思い出さなかった。それから別れて二週間後、まわりの知り合いにゆかりの身体的特徴とか、性的嗜好といったプライベートな話を暴露して回ってると聞いたとき、やっと信子さんのことを思い出したのだった。


 その翌日、ゆかりは教室で信子さんを見つけた。

「谷本さん。少し話せる?」

「もちろんです!」


 ゆかりは信子さんを連れて、近くのベンチに座らせた。

「谷本さん。あなた、私に悪い霊が憑こうとしてるって言ったわね。それって」


「中野光男さんのことです」と信子さんは口を挟んだ。

「私には見えるんです。中野さんには悪霊が取り憑いています。桃園さんには精霊のようなものが。でも中野さんの中にいる悪霊のほうが力が強くて、危険に思えたんです」


 ゆかりは中野光男と別れたことを伝えた。

「でも、今もあの人にとんでもない目にあってるの」


「別れたんでしょ?関係が続いてたら、もっと大変なことになってましたよ。でも良かった。おまじないが効いたみたいだから、最後の仕上げをしなくちゃ」


「なんのこと?」


 そこでゆかりは信子さんが二人を別れさせるまじないをかけたことを知った。


「効き目がなかったら、次に桃園さんの目を明るくするおまじないを用意してました。つまり、中野さんが桃園さんをどう思っているかがわかるおまじないですけどね」


「そうね、今ならよくわかる。あの人の見た目に騙されたの。で、最後の仕上げって何するの?」


「おまじないをかけた半紙がファミレスのあるところに隠してあるの。それを持って帰って焼くんです」


「一緒に行ってもいい?あなたが私に何をしてくれたのか知りたいから」


 このことがきっかけで、二人は友人になった。信子さんはお酒が好きで、ゆかりにワインやカクテルを教えた。ゆかりはフルーツ系のカクテルが好きになった。体質的にアルコールは飲めないのだけど、美味しい美味しいと何杯も飲んで、立てないくらいに酔ってしまい、信子さんの家に泊まること度々であった。信子さんはゆかりが酔っ払ったのをいいことに、好きな超常現象の話を朝が来るまで喋り続ける。普段は物静かな人だけに、この時の信子さんのテンションの高さはゆかりの酔いも覚めるほどだ。


 付き合っているうちに、信子さんはゆかりに取り憑いている精霊がまさしく守護霊であり、ゆかりを苦しめるものではないと判断し、気にしなくなった。

「本当のお父さんかもしれないわね」

「いや、生きてます。高槻市という町で、今も元気に生きてますよ!」


 信子さんの霊能力が不完全で、少々あやしいところがゆかりは好きだ。ゆかりは何でも上手く出来る人が好きではなかった。反対に癖のある人が好き。中学時代のただひとりの親友、緑野まりこも可愛くて美人だけど変わった子だった。走るのがめっぽう速いくせに部活が嫌いでインドア派。ゲーム大好きなのにとても下手くそ。マンガも大好きだったねえなんて、たまにまりこのことを想う。どうしてるかな。橙木君と今でもうまくやってるのかな。


 ゆかりはこの後、コンビニでアルバイトを始める。そこでまた男運の悪さを嘆くことになるのだが、そのことは信子さんは知らない。

 さて、谷本信子さんのことを話すために、昔ばなしが長引いてしまった。時間を現在に戻す。


 足羽小学校の子どもたちからお化けの話を聞いたゆかりは月曜日、信子さんにそのことを話した。


「ふうん。子どもたち、足羽山には勝軍地蔵がいるからお化けは来れないって言ったのね」


「そう。勝軍地蔵って知ってる?」


「お地蔵さんでしょ。お地蔵さんってよく知らないのよ。仏教とバラモン教がゴチャ混ぜになったところから出てきてるのかな」


「じゃあそこはパスして、お化けが出たっていう左内公園とか三秀プールってとこを調べてみない?」


「そうね。まずは遭ってみなきゃ」




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