弊社サスペンス劇場はやめてくれよ? 〜名もなき家事は、ただの見てない家事〜
本日の俺。カミさんが実家に帰っているので、愛妻弁当がなくランチにやってきた。
ちなみにカミさんは、生まれた子供を親や姉妹にお披露目のため、飛行機代の安いオフシーズンに帰省中だ。
俺は会議とプレゼンが控えているので、休みが取れず泣く泣く居残り。
そしてここは、ランチのご飯もしくはパスタ大盛り無料とサラダとデザートが付いて700円で食える、ありがたいランチ処で、昨今の値上げに抗うお店だ。
都内のオフィス街にこっそりある穴場ランチ処ゆえ、坪単価が高い場所だから、家賃も高そうだし、原材料高騰なんて騒がれているのだから、ちょっとくらい値上げしてくれなきゃ不安になってしまう。
「聞いてよ、隠岐!」
「はいはい、何ですか?」
おや? この声は伊藤と隠岐だな。部署違いなのに珍しい。
「ほら、うちの旦那、姿勢悪くて腰痛持ちっていう、バチクソ自業自得じゃん?」
「よく腰壊すって聞きますよね。んで、そのたびに家事の負担かかってますもんね」
伊藤の旦那……伊藤さんは取引先の人だから、たまに飲んでるんだけど……。あー、最近腰痛がっていたし、こないだなんて膝も痛いとか言ってたな。
それにしても、伊藤、旦那に対して辛辣……。
「その、超絶姿勢がクソ悪い状態でソファも扱うから、ソファの布の色が、壁に擦れてついちゃったのよ!」
「げっ、マジすか……。あれ、先輩……なんでソレ発覚したんです?」
「そんなもん、たまにはソファもよけて掃除しないとって、家中の物ずらして掃除するからよ」
「え、旦那さんじゃなく、先輩がずらしたんですか?」
「そうだけど?」
ソファずらして掃除って、カミさんだって俺がいる時じゃないとやらないぞ……。もちろん俺が動かすし。
なのに伊藤はひとりでやってんのか……。パワフルだな、あいつ。
「先輩まで腰痛めないように、気をつけてくださいね」
「大丈夫よ。私、旦那ひとりくらい余裕で担げるし」
え、伊藤ってどうみても普通の背で、普通の体型ってかちょっとナヨっこく見えるんだが……。あの細さは実は筋肉?!
「んで、壁紙についた色が全然落ちなくてさ……。見た目のいい元気になりそうな感じでーって、オレンジ色のソファにしたのがアダになったわぁ……」
「ちなみに、壁紙ってあのキャンバス風っぽい感じのアレです?」
「そそ。見た時愕然としたわ……貼り替えも大変なのよね」
ちょっと待て、伊藤。貼り替えた事あるのか?!
いや、違うな。貼り替えで大変なのはお財布の方だ。うん、きっとそうだ。
ウチもあったぞ。子供が小さい頃クレヨンで壁アートしてくれちゃったやつ。
壁紙が既に生産終了していたやつなのもあって、探してもらった事も含めて、8万くらい吹っ飛んだ……。
「ソファくらいの高さなら、誤魔化しと保護で腰壁作っちゃうってのも手ですけど、それはそれで大掛かりなDIYになっちゃいますしね」
隠岐……何提案してるんだ……。いくら巷で日曜大工が流行ってるからって、流石にそれは無いだろ。
あれってテレビで見てたけど、道具揃えるのも大変そうだよな……。
「腰壁も考えたんだけどね、場所がよくなくて。リビングダイニングの続き壁で面積バカ広くてさぁ。全体やるのはちょっと手間がねぇ」
「あー、それは他の場所との統一考えると、やっぱ面倒ですよね」
「それに、壁紙貼り替えなら、柄合えば1本で済みそうなのよね」
考えたんかい! 腰壁作りや壁紙貼り替え出来るんかい! とツッコミを入れたくなるが、この店のパーテーションは背が高く、伊藤と隠岐には俺の姿は見えていない。
俺は頑張って口を噤むしかない。いや口は食うためのものだ。やっぱここのパスタうめぇ。
「んで、仕方ないから、漂白頑張ってるんだけどさ」
「ビニルクロスならいけますもんね」
え? 何それ。壁紙って漂白出来んの? 拭いて落ちなきゃ諦めるんじゃないの?
むしろ、隠岐お前なんでそんなこと知ってんの? 20代の若者だよね、キミ。家事男子ってやつか??
「それを頑張っている最中、あいつスマホゲームやってんのよ!! 信じられない! 自分の姿勢の悪さで壁に色つけたのに!」
「あ、それ殺意湧きますね」
え、湧いちゃうの、隠岐がそこで同意しちゃうの?!
「んもー、ホントに何なのって感じ!! 汚すだけの人間ってマジで要らない!!」
「せめて、先輩がやってる事そばで見て、覚えるとかのポーズくらいして欲しいですよね。全然悪いって思ってないじゃないですか」
「ホントよ! 子供じゃないんだから、自分がやった事に始末つけろっての!」
少し前まで、カミさんに家事を丸投げしてた俺としては、やや耳が痛い。
「始末してやりたくなりますよね」
隠岐ぃいぃ?!! 爽やかな声で言ってるけど、何を始末する気だ?! お前、絶対笑顔で言ってるだろ!! 不穏な言葉はやめような!!
「ホントそれ」
伊藤、そこは同意するな! 弊社(&取引先)サスペンス劇場なんて見たくないからな!!
「あ、そういや先輩。漂白って何でやってます?」
「オキシクリアの粉をお湯で解いて、染み込ませた雑巾で拭いてってのを何回かやって、ジワジワ落としてる最中」
「それなら、衣類用のエリアハイター、染み抜きスプレータイプをおすすめしますよ!」
「マジで?! 帰り買うわ!」
ちょっと何言ってるか、俺にはわからない。洗剤の話か??
俺には隠岐という20代の若者男子が、家事を担う……いや、押し付けられ気味の女子社員と、お家のお掃除談義してるのが、にわかに信じられんのだが……。
「ホント『名もなき家事』なんて名前つけたやつ誰よ、って感じよ」
「普通に『家事』であって、名前がないわけじゃないですもんね」
あー、ネットで見たなぁ。
ゴミ捨ての時にゴミを集めるとか、排水溝の掃除とか、三角コーナーの掃除とかいうやつだよな。
「『見てない家事』の間違いよね」
「ホントそれです。そういや、先輩の旦那さんは家事マシになりました?」
「なるわけないじゃん。ご飯作りと、夕飯後の食器洗いと、洗濯と、部屋の掃除機をかける、しか家事として認識してないわよ。風呂や洗面所やトイレだって使ってるのに、掃除する場所って思ってないもん」
「生活する場所全てが、掃除の対象場所なのに。頭大丈夫です? 旦那さん」
隠岐! おまっ、もちょいオブラートに包め! あ、20代の子ってオブラート通じるの?
「生活する事は掃除がついて回るってのに、まーったく見向きしないわ。人が休日に家事まとめてやってるのに、スマホと睨めっこ。そんで怒ったら、言ってくれりゃ手伝うよ、ですって」
あ、伊藤さん……それはマズイって……。
共働きのキミのご家庭は、家事は共同でやるものだし、受け身でいちゃいけんのよ……。
君だって、自社の若手が受け身で困っているって、グチ言ってたじゃんか……。
「なんで『お手伝い』ポジションなんですかね」
「実家にいた頃なんて、家事はいつの間にか終わっていたから、家事自体、目につかないんでしょ……。何度言っても自主性ゼロ!」
「もう、思い切って担当制にしちゃえば、いいんじゃないんです?」
「サボるのよ。言ったら『今やろうとおもってたけど、やる気無くしたわ』とかホザいてさ! 小学生の宿題か!」
いとぉおぉぉさぁぁああぁん! マジでそれ、ダメだってばあぁあぁ!
よし、とりあえず伊藤さんにLINNEメッセ送ろう……。このままじゃ伊藤さんが輪廻の輪に還りかねん。
あれ、何かメッセージ来た、伊藤さんだ。タイムリー!
――プロジェクトが瓦解しそうです……。突発でアレではありますが、本日アルコール消毒を希望したいです。
君、いま家庭も瓦解しそうですよ。
いや、今のままの伊藤と伊藤さんを家庭でカチ合わせるのは危険か?
とりあえず、了解の旨送っておこう。
「あれ? 旦那からだ。今日飲み会してくる、ですって」
「ありゃ? 今日の今日って、先輩的にアリなんです?」
突発飲み会……流石に伊藤は怒るだろうか?
「別に構わないわよ。晩ごはん手抜き出来るし。何だったら食べて帰るのもアリだしね」
え、そういうもんなの?! 伊藤の声明るいんだけどー?! 寂しがるそぶりすら無いっ!!
「あはは、わかります。ひとり分って作るの面倒だから、つい雑なご飯しちゃいますよね」
「そうなのよ。カップ麺とか、なんならコンビニのおにぎりでいいわってなっちゃう」
「先輩、それは流石に……あ、ねーちゃんからメッセだ」
ひとりのご飯って手抜きしても罪悪感ないから、嬉しいって昔カミさんが言ってたな……。
伊藤もそのクチなのかな、伊藤さんがご飯に文句つけたりしてなきゃいいけど……。
「ねーちゃんが、新しいたこ焼き機買ったから、タコパするそうです。先輩来ます?」
「オキちゃんが良いよって言ってくれたら行く! ちゃんと許可取ってから!」
「聞いてみますね。オーケー以外の返事は無いと思いますけど」
あー、そうだよな。許可取り、大事だよな。さっきの伊藤さんは相談無しに、決定を伝えてたよな……。
俺は、いまは家に誰もいないからイイけど……。
前にそれをやって、カミさんに怒られたよな。
ご飯の用意はあらかじめ予定して、冷凍庫から食材出して解凍したり、買い物に行ってるのに、今日の今日で決定したモノをいうな、せめて前日に言え。って。
そこら辺も伝えておくか。
「ねーちゃん、是非来てと言ってます」
「やったね! じゃあオキちゃんへの誕プレは、直接渡す事にするわ!」
「そうですね、その方がねーちゃんも嬉しいと思います」
亭主元気で留守がいい。そんな家庭になりつつあるよな、あの伊藤の明るい声と言ったら……。
ご家庭の事にクビ突っ込むのもアレかもだけど、ちょっとだけ介入させてもらうぞ、伊藤・伊藤さんっ!
――4ヶ月後
伊藤の苗字は旧姓に戻ってはいない事に安心しつつ、会議室の片付けを終えて、出ようとしたところ、声が聞こえた。
「せんぱーい! データ回ってくるの早すぎなんですけど!?」
「あら、隠岐。いい事でしょ、それは」
隠岐と伊藤だ。伊藤は仕事が早い事で、社内評判イイからな。
「前より回ってくるの早くなってません?」
「そりゃ、家で家事に追われてクタクタになる事が、ガッツリ減ったからね!」
「マジすか! よかったですね!」
「なんか、だいぶ前に知り合いから、ガチ説教くらったみたいで、心を入れ替えてたわ。あと隠岐からの家事の秘訣聞いたのもデカいはずよ。同じ男なのにレベチだもの」
おぉ、成果が聞けるとは! 盗み聞き状態だけど。
隠岐も協力していたのか。
「最近じゃ『男だから』ってのも言わなくなったわ!」
「イイ事尽くしですね!」
「それじゃ、午後にもうひとつ回せるから、よろしくね。今度ごはん奢るわ」
「りょーかいっす!」
家事の秘訣かぁ、俺も今度聞いてみたいな……。
なんにせよ、弊社サスペンス劇場は起きなくて済みそうだ。
作中に出てきた、架空の洗剤名と類似した、現実にある洗剤名は効果がリンクしているわけではないので、ご注意ください。効果保証ではありません。
エリアハイターでの壁漂白は、用途外ですので自己責任です。
この2人は様々な家事を行なうので、用途外の提案の採用は自己責任と認識しております。
ソファ布の色移りは実際に起きるので、ご注意を。