9.共存は叶わぬ夢
にこ、と微笑んだルルティリアは、彼らを優しく見つめて口を開いた。
「ね、分かったでしょう?」
「そんな……」
がくん、と彼らは膝をついた。
まさかこんな思いを抱いているだなんて、とショックを受けるが、ギルライハは呆れたように溜息を吐いてから口を開く。
「……今更」
「ギル様、いけませんわ。彼らもヒトを信じたかったんでしょう」
「……フン」
きっと、ギルライハはこう思っているのだ。愛しいルルティリアの手を煩わせて、時間を奪ったことが許せない、と。
「だからこうして、現実を彼らに見せているんです。ほらね、無駄だったでしょう……って」
微笑んでいるルルティリアだが、優しさは一切含まれていない。ほれみたことか、という音しか含まれていないから、彼らは震えている。
「自分から加護を捨てることを選んだ、愚かなニンゲンの末路。これらの加護をせずに、守る対象を他に変えることについてはお父さまやお母さまも了承してくれていますし、次は可愛いリリムノワールが加護を授けにいく番。わたくしは……」
す、とルルティリアの視線がギルライハへと向かった、
「愛しいお人のものになるべく、儀式を進めるんです。ねぇ、ギル様」
「そん、な」
「……お前たちが我儘を言ったせいで、ルルティリアの心労が増えてしまっただろう」
とても興味なさげに呟くギルライハの言葉に、彼らはぐっと押し黙ってしまう。言われていることは事実でしかなく、ルルティリアの手を煩わせてしまったことも、また事実なのだ。
「申し訳ございません……我らが姫」
「いいのよ、別に。分かってくれたなら……ね」
分からなかったら、どうなっているのか。
勿論、アルハザードやアルマの前でむごたらしく存在そのものを消滅させられていたというだけの話なのだ。
「お前ら……味方を何だと思って、いるんだ」
アルハザードが呆然と問いかければ、はて、とルルティリアとギルライハが首を傾げる。
見た目が大変良い二人がそうしているのは、現状を考えなければとても絵になる光景なのだが、現状が現状。
「仲間」
きょとん、としたルルティリアが呟いた。
それは一体何なのだ、とでも言わんばかりに、心底不思議そうに。
「だって……」
「アルハザード様、黙って」
「そいつらは、お前たちの……仲間なんじゃ……。大事な、同じ、種族なんだ、ろう?」
「やめて……っ」
アルマの悲鳴のような声が響くが、アルハザードは言葉を紡ぐことをやめない。
「なんで、そんな風に……残酷になれるんだ!」
未だ床に這いつくばったままのアルハザードが叫んだ瞬間、ふっと、彼の目の前が暗くなる。
「……え」
視線を上げれば、そこにいるのはギルライハ。いつの間にかルルティリアを抱き締めることをやめて、移動してきて、じぃ、とアルハザードを見つめていたのだ。
「な、ん……」
「……生意気なことを言うヒトだ」
「は……?」
言っている意味が、理解できない。
何故、ギルライハはそんなことを言うのだろうか。
ギルライハが連れてきた者たちは、ルルティリアと同じ種族のはず。だったら、手を取り合って生きていくことは当然なのではないか、ともう一度言おうとした。
「お前たちは、……分からん」
ただ、淡々と。
ギルライハは言葉を紡いで、アルハザードの頭を掴み、少しだけ持ち上げたかと思えば、勢いよくそのまま床へと叩きつけた。
――がつん!
「…………が……ぁ」
鈍い音が響き、ふっとアルハザードの体から力が抜けた。
「ひ……っ!」
だから言ったんだ、とアルマは内心叫んだ。
それが丸っと聞こえていたルルティリアは、とても愉しそうに。玩具を見るような目で、アルマへと視線を移していた。
「そうよねぇ……余計なことを言わなければ、こぉんな目に合う必要なんて、なかったのよねぇ……」
「…………え?」
どうして己の考えていることが、と言いたかったが、心の内にだけ留める。きっと、口に出してしまわなければ分からないだろう、アルマはそう考えた。
「だって、分かるんだもの。お前、この国の王から聞いていない?」
「まさか」
「まぁ、察しの良いニンゲンだこと。わたくし、頭の回転の速い者は、好ましくてよ」
好ましい=助けてくれる、などではないことはアルマにだって分かっている。
何も考えない、なんてことは人間である以上、できやしないのだ。
「うふふ、意味が分からない、っていう顔ねぇ……。でも、それで良いの。分かってもらう必要なんか、ないんですもの」
「……どう、して……」
また、いつの間にかルルティリアの傍にはギルライハが立っていた。
アルマは己の前に立つ二人を、恐怖に満ちた目で見つめ、ぐっと拳を握る。
「ニンゲンと我らは、異なる存在なんだもの。だからね……そんなニンゲンを愚かにもずっと信じてしまった我らが同胞には、現実をこの目でしかと、見ていただきたくて。その上で……色々、とね」
言っている意味が分からないが、アルマは必死に考えていた。
どうにかして、この国を救わねば。
「(彼らに対して、真剣に祈っていた人たちだけでも…………!)」
ルルティリアは、遠慮なくアルマの心を読んだ。
ああ、やはりそうだ。
このニンゲンは、きちんと弁えている。さっきギルライハに気絶させられた馬鹿とは、根本的に頭の良さが異なっている。
「……ルルティリア」
ほんの少しだけ、不機嫌を声に乗せて、ギルライハがルルティリアを呼んだ。
「はい、愛しきお方」
「まさかとは思うが」
「……その、まさかです」
はぁ、とギルライハは溜息を吐いたが、ルルティリアから紡がれる言葉を聞いて、納得した。
「だって、そうすればリリムノワールが加護を与える国に対して……見せしめにもできる。加護を与え、祈りから得られる力を……増すことだってできますでしょう?」
「……ああ、そうか」
「ええ、ギル様」
微笑み合っている二人の話している意味が分からず、アルマは何も言えないままでじっと観察をしている。迂闊に何かを口にしてはいけない。
考えていることがバレてしまうとしても、それでも、迂闊なことをしてはいけないのだ。
そうしないと、きっと。
「(希望は……捨てたりはしない)」
押しつぶされそうなプレッシャーの中、アルマは耐え続ける。
「ですから……ギル様。より分けましょう?」
「そうしようか。リリムノワールのためになるのであれば……きっと、ルルが喜ぶだろうから」
ギルライハの行動の全ては、ルルティリアのために。ルルティリアは、愛しくてたまらないギルライハのものになるために。
身勝手だろうが何だろうが、何とでも言えば良い。そもそも、ニンゲンが望んで、『彼ら』がそれに手を貸してきたことがそもそもの始まりなのだから。
永い間、それはずっと続いてきて、今、初めてひとつ、終わろうとしている。
ずぅっと、この国を守り続けてきていて、加護を与え、平穏そのものを与えてきたけれど、『終わり』を選択したのはアルハザード。
彼が、この国に対して終焉を突きつけた張本人なのだ。
だから、責任を取るのはアルハザードの考えに乗ってしまったニンゲンで良い。むしろ、彼らこそがやらかしてしまったことに対する代償を支払うべきだ。
少なからず、信仰を与えてくれていたニンゲンはいるのだから、選別して、次の加護を与える先へと送ってやれば、より良い質の信仰が得られる。
ルルティリアは決してニンゲンのことを考えて、行動なんかしていない。あくまで己たちのことだけを考えて、次の加護を与える係になっているリリムノワールのことを、とっても大切な己の半分のことを考えてみての行動なのだ。
「ねぇ、そこのニンゲン」
「……っ!」
不意に話を振られてしまったアルマは、びくり、と体を大きく震わせた。それを見たルルティリアはきょとんとし、ギルライハは不満そうに溜息を吐いている。
「ギル様、落ち着いてくださいまし。……ねぇ、ニンゲン。もしも……お前の前に助かる術が現れたら、お前はどうする?」
「それ、は」
今すぐにでも縋りつきたい思いでいっぱいだった。そんな素晴らしい提案、乗らないわけにはいかない。だが、すぐに乗ってしまえば待っているのはきっと、地獄そのもの。アルマは、ぐ、と決意して真っすぐにルルティリアを見据えた。
「(あらぁ……)」
とても良い目をしている。ルルティリアは素直にそう思い、アルマが話し始めることを待つ。
「……」
「わたくしなぞ、どうでも良いです。どうか……貴女方を信じた、民だけは……!」
アルマは精いっぱいの敬意を示そうと、その場に膝をつき、頭を床にこすりつけるようにして懇願する。
「どうか……どうか、お願いいたします!(わたくしなんか、どうなったっていい!助けるべきは、民なのだから!)」
ああ、嘘偽りない本心だ。まだこんなニンゲンもいたのか、とルルティリアは感心し、こっそりとギルライハにこの内容を耳打ちする。
ほう、と感心したような声を上げたギルライハの様子を、アルマは確認したかったが、今は我慢だ。必死に己に言い聞かせながらそのままの体勢を保つ。
「……ねぇ、ニンゲン。貴女のお望み通り、その民は救ってあげるわ」
「……!?」
「でも」
「……でも?」
にこ、と微笑んだルルティリアは、続けていく。
「他は全て、この瞬間から滅びの道をたどるわ。これだけは譲らないし、恨むならそこに転がっている大馬鹿者を恨みなさいな」
「――っ!」
ああ、やはり。
アルハザードに生き残る道なんて、存在していないのだとアルマはぐっと言葉に詰まるものの、頭を下げたままで了承の意を返すことしかできなかった。