7.こんにちは、お久しぶり
しん、と静まり返った宮殿の、謁見の間にて。
「……」
「待ちわびたぞ、人ならざる異形の姫!」
びしり、とルルティリアを指さして笑うアルハザードと、彼の隣で顔色を悪くしているアルマ。
「(……あのひとが、神様の……姫)」
改めてルルティリアと対峙したアルマは、彼女の美しさに見惚れた。
存在感、魔力の濃密さにはまるで酔っぱらってしまいそうなほどの濃さがあることに加え、アルハザードの尊大とも言えるルルティリアへの態度を不安に思うあまり、真っ青ににはなっているもののどう見てもルルティリアが美しい、これ以外には何も言えないほどに呑まれていた、といっても過言ではないのかもしれない。
「さぁ、貴様の忘れ物を受け取るが良い!」
はっはっは!と笑いながら恐らく彼女がつけていたであろうイヤリングの片方を、ずい、と差し出すアルハザードだったが、表情を変えず、ただ立ち尽くしているだけのルルティリアを見て、少しだけ苛立ちが勝ってきたようだった。
「……おい、聞いているのか!」
「…………」
はぁ、ととても小さく溜息を吐くのが聞こえ、ルルティリアがす、と右腕を上げて、ぴし、とアルハザードを指さした。
一体何を、と思うが早いか、ルルティリアは指さしている人差し指を、上から下へ、すい、と直線を描くように下ろす。
「……え?」
アルマが反応したとほぼ同時だっただろうか。
アルハザードの周りの空気にかかっているであろう重力が、途端に変化して、彼を頭の先からぐしゃり、と押しつぶさんばかりに襲い掛かった。
「うわああああああああああ!!」
それから逃れるように地面に這いつくばったアルハザードだが、結果として重くなった空気に押しつぶされるような形で、地面へと縫い付けられることとなってしまった。
これではあの時と同じだ、とアルハザードは顔を真っ赤にして憤慨しているようだったが、ルルティリアの表情は相変わらず変化しない。
「――ああ、やっぱり」
聞こえた声は、とても澄んでいた。
例えるならば、水、といってもいいくらいに透明感のあるような声に、アルマは隣に立っていたはずの婚約者を慌てて見降ろす。だがしかし、アルハザードのプライドの高さは、今でも相当高い。
アルマに見下ろされるということが屈辱に感じたのだろう。
ぎりり、と憎らし気にアルマを見上げ、唾を飛ばしながら怒鳴りつけた。
「おいアルマ、お前は俺の婚約者だろうが!! 助けろ、役立たず!」
「……っ、ど、どうやって助けろというのですか! わたくしも魔術は使えますが、こんなの……とても……」
助けられるわけがない。力の差があまりにもありすぎる。
もう、この国に精霊はいない。
ルルティリアの命令で、否、『お願い』ともいえる声かけによって彼らはアルハザードたちが住んでいる国から姿を丸っと消している。
魔法を使うために、精霊にも力を借りている。これにより、魔力と精霊の力が合わさって大きな魔法だって使えるようになるのだが、今は精霊がいないので己の魔力に頼るしかない。
しかし、彼らの中では精霊が居て、精霊たちの力を思う存分借りて、他国の人間とは比べ物にならないほど強力な威力の魔法を使うことが、当たり前だった。
戦争を仕掛けても負けることはない。
攻め入ってきた他国の軍勢も、この国に到達する前に壊滅させてきた。負けなしの強国、というのが他国からの印象としては一番だろう。
そんな当たり前が、今やもうないのだ。原因を作ったのはアルハザードだが、思考回路がどんどんと傲慢になってきた結果、『化け物の力がいらない』という結論を導き出してしまったのだ。
この国がいつから『彼ら』に守られていたのか、もうきっと誰も気にしていないし、気にかけることすらしなくなっていた。
あることが当たり前で、基本的にソレがなくなったならば、というたられば、の話なんか誰もしない。
当たり前のことについては、考えから除外する。
歴史書を見ればいつから強くなったのか、災害がなくとても幸せな国として周辺から羨ましがられるような、楽園のような国になったのかも分かるけれど、幸せが当たり前となっていてはそんなことはしない。学校の歴史の授業で少しだけ触れる程度だったから、感謝の心が少しずつ失われていった。
そして、あの日のアルハザードの決別の言葉へと繋がっていく、という訳である。
失って、いざ使おうとして当たり前のように使えないということが分かって、ようやくおかしなことが起こっているのだ、と気付く。
しかし、それがどうしてなのか、ということを気にする人はあまり多くない。
『ああ、今日は調子が悪いのかもしれない』と思い、別に良いか、と流してしまう。結果として、気付くまでにタイムラグが生じてしまう。
災害に関しても、じわじわ、真綿で首を絞められるように小さなものから起こっていくから、やはり皆、気付かない。
ルルティリアが去ったあの日、どん、と大きな地震が国を襲ったが大きな揺れが一度だけあっただけだから、気にしなかった。
もっと注意深くしていれば、気付けたかもしれないのに。
「……ヒト風情が、わたくしに敵うとでも?」
薄ら笑いを浮かべたルルティリアは、言葉少なく問いかけた。
「そこで這いつくばっている男の、……そうお前、伴侶ね?」
「……っ、は、い……」
答えなければ、死ぬ。
アルマは本能的にそう感じたから、何度も首を縦に振って肯定した。
「ソレが持っているイヤリング、わたくしに頂戴?」
「……」
「早く」
ルルティリアの放つ殺気が、アルマの首元に迫ったような気が、した。
空気のように襲い来るものではなく、殺意が明確に人の形になって首を絞められるような、そんな感覚。
「は……い」
ぶわりとアルマからは大量の汗が噴出し、震える声で返事をしてからアルハザードの手にあったイヤリングを取った。
ルルティリアは器用にもアルハザードの掌が上を向いた状態のまま、地面に這いつくばらせていたため、イヤリングを彼から取るのは容易だった。
一歩一歩、ルルティリアに近付いて、アルマは手にしたイヤリングを差し出す。
「……ああ、やっぱり」
手渡されたイヤリングを見て、ルルティリアは微笑む。
あまりにキレイな微笑みに、一瞬見惚れてしまいそうになったが、ルルティリアの視線がアルマを超えてアルハザードに向かった途端、笑みが一気に凶悪なものへと変化する。
「ひ……っ!」
「これで……おびき出せた、なんて思っているのでしょう? このイヤリングに、わたくしが執着していると、そう……思っているのよねぇ?」
違うのか、とアルハザードは目を見開いた。
「……やっぱり……引き上げさせて正解でしたわね」
そう呟いたルルティリアの周りに大量に集まってきた光。
一つ一つは小さいけれど、何だか意思を持って彼女の周りを飛んでいるかのような動きをしている。
「ほら、ご覧。お前たちが力を貸していたニンゲンの、何とも浅はかで……無様なことか」
光がくるくると回り、上下し、はしゃいでいるかのような動きをしていたかと思えば、それが一斉にぴたり、と停止した。
「何だ……?」
「え……?」
「お前たちにも見えるように、わざとこうしてきてくれているの。どう、可愛いでしょう? お前たちに力を貸してくれていた精霊たちよ」
微笑んだルルティリアの周りに、精霊は集結している。
どうか、と何もかもかなぐり捨てて懇願してしまいたかった。助けてくださいと、縋りたかった。
けれど、ルルティリアがそれを許さない。
「皆、一生懸命だったのにね……」
視線は、アルハザードから離さないままにルルティリアは静かな声音で、呟いた。
「でも、いらないんですものね」
「……あ」
魔法だって、威力がとんでもなく弱くなった。
いくら治水工事をしても、水があっという間にそれらを壊す。
井戸はあっという間に枯れてしまったし、ため池の水だってどんどんと少なくなっているのだ。一刻の猶予もない。
とはいえ、これはあくまで『水』に関してのみ。
彼らが受けているしっぺ返しはこんなものでは済まないし、ルルティリアによって引き上げた精霊たちは何をどうしようか、とても楽しそうに様子見をしている。
それを指示しているのは。ルルティリア。
彼女だって、好きでこうしているのではない。
単なる結果にすぎないのだ。
もっともっと昔、この国の人たちはとても信仰心溢れ、彼らを敬っていてくれていたから、彼らだって守っていこうと決めたのだが、それを破ったのは人間側。
ルルティリアは幼い頃から違和感をもって、じっと、冷静に観察した。
適齢期になった彼女は人間との婚約ではなく、いずれ彼らを統べる王になる存在で、ルルティリアの現在の婚約者であるギルライハとの婚約を自ら選んだ。
盟約に背くのか、とルルティリアの父や母は大層怒り狂ったのだが、ギルライハ、ルルティリアともに告げたのは、弱っている信仰心について。
これを出されてしまうと、ぐっと黙るしかできなかった、そうだ。
「大切なモノは、もう在るの。だからね」
ほんのちょっとだけ、ルルティリアだって甘さを出してしまったのかもしれない。だから、この国は今日まで残っている。
「疾く、滅せ」
それだけ告げ、ルルティリアは手にしていたイヤリングを落とし、ヒールの踵で踏みつぶした。
ぱきゃり、と小さな音がして簡単に壊れてしまったソレは、原形をとどめず床に転がっている。
人間界にいた頃と似て非なる装いのルルティリアは、くるりと彼らに背を向けて、何もない場所へと手を伸ばした。
「ああ、わたくしの愛しきお方。どうか、どうかわたくしのお願いを聞いてくださいませ」
一体何をするのか、と這いつくばったままのアルハザード、ルルティリアと対峙していたアルマは震える。
ここに同席の許可を得ているのは、アルハザードとアルマだけ。
兵士は一切の同席を許されていない。
何が起こるのか、ただただ怖くてたまらなかった。
「ニンゲンを守ろうとしていたお馬鹿さんたちに、この光景をお見せくださいませ。少しだけ、あの子たちは肩入れしてしまっただけで、愛しき我らの同胞」
だからね、とルルティリアは無邪気に続けた。
「しかと、見届けさせましょう。――これから起こる破滅を」