6.加護を失ったヒトの末路
さて、ルルティリアが去った国では、彼女が去った途端に大きな地震に襲われた。
まるで、これまでの鬱憤を晴らすかのような勢いと、凄まじい破壊力。
「何だ……何なんだ、何なんだよぉぉぉぉぉぉ! 何でこんな……こと、に」
アルハザードがいくら叫ぼうと、状況は何も変わりはしない。叫ぶ暇があるならば、何か対策を、と誰かが言ったところで、手の打ちようがないことは明らか。
「……我らの選択が、誤りだったと、いうのか……」
国王も、王妃も、憔悴しきった顔をしている。
煌びやかだった王都も、いいや。そもそも、どこの国より栄えていたこの国の、ほんの数日前までの美しい景色は、あっという間になくなった。
ルルティリアが言った通り、まずは、この国を地震が襲ったのだ。
「もっと……自然災害に関しての対策をしていれば……」
「アルハザード様、悔やんでももう遅いのです。時は戻りません!」
「~~ええい! おい。お前の家には地質学者がいただろう、そいつに何かしらの知恵を借りることは」
「無理です」
アルハザードがルルティリアを裏切り、密やかに新たに選んでいた婚約者の公爵家令嬢は、食い気味に彼の言葉を遮る。アルハザードは一言文句を言ってやろうと彼女の肩をがっと掴み、己に視線を向けさせたが、瞳にあるのはただの絶望のみだった。
「おま、え」
「何の意味が、ありましょうか」
「は?」
「学者がいたとて、この国にそもそも精霊たちの加護が一切ないのですよ!?」
それを招いた犯人の一人が。
ぶわりと涙を浮かべ、悲愴としかいえない声音で次々と言葉を紡いでいくのだ。アルハザードと、共に。
まるで、演劇のように。
まるで、これが夢であってほしいと願うかの、ように。
「自然に、対抗しなければ」
「どうやって対抗しようとするのですか! いいですか、わたくしたちの力なんて些細なものにすぎないのですよ!? あなた、そんな根本的なことも理解せずに、ルルティリア様との一方的な婚約破棄をしたというのですか!?」
ざくざくと刺さる正論に、アルハザードのみならず国王夫妻もひどく青褪めている。
やらかした張本人たちがどれだけ反省したとしても、既にやらかした後では何の効果もない。ルルティリアはあっさりと彼らそのものを見限っているし、守るべき先を『次』へと替えて、丁寧に、大切に、守り始めたから。
『いやあ、ルルティリア様との関係性を王太子殿下自ら断ち切ってくれてありがとうございます! かの存在らの守護、どの国も喉から手が出るほど欲していたのですよ!!』
守護され始めた国は、遠慮なく言葉の刃でアルハザードだけではなく国そのものを口撃した。
こいつ、とんでもないことを笑いながら言うなんて、とアルハザードの国の大臣たち、国民たちは大層憤慨したともいうが、そもそも論としてこうなったのはアルハザードがルルティリアとの縁を己の手で断ち切ったことにある。
彼ら――ルルティリアたちは、ある種の『神』ともいえるべきモノである。
何なのか、と問われれば明確に答える術を持ち合わせていない。ヒトには。
精霊の声を聞き、彼らを従え、ヒトの国に対して『守護』という名の力を与えて、ヒトからは『信仰心』という名の莫大な力を代わりにもらい受け、彼らの存在は成っている。
これが神でないとすれば何なのか、と問う者も多くいるのだが、彼らに問うても明確な答えは決して返ってこないとても曖昧なもの。
「クソ……!」
「ご報告いたします! ……、あの、堤防が……崩壊しました」
「え……?」
「何ですって!?」
地震が始まって、あちこち整備していた堤防、治水のためのため池、何もかも崩壊し始めていた。
地震の後には河川の氾濫まで起こっていたから、せめて暮らしを守れるようにと土木技術者を派遣して、人手をかき集め、どうにかこうにか整備をして崩壊前の形にまではもっていっていた、堤防だったのに。
「何で……」
呆然と呟くアルハザード。
今までは普通に直しただけで、結構な強度を保てていた。だから、今回もそれくらいで大丈夫だろうと慢心していたのだろうか。
いいや、違う。
彼の婚約者――ルーシャル公爵家令嬢・アルマは必死に考えていた。
公爵家長女として、いずれは兄を支えるべく公爵補佐としての勉強を進めていく中で、ルーシャル公爵家が地質学者との繋がりがとても深く、彼女自身も領地の役に立てたら、と思い勉強をし続けていたのだ。
貴族学院で勉強するだけでは足りず、学者自身を招いて色々な知識を得ていた最中での、今回の堤防の崩壊。
計算上では何の問題もなかったのではないか、と思う一方で、嫌な感覚はじわじわと膨れ上がってくる。
まさか、と思ってもきっとソレが正解なのでは、と思わざるを得ないような状況ではないのだろうかこれは、とアルマは震え始める。
「まさか……」
「何だ!」
「……ルルティリア様は、最初に何を引き揚げましたか?」
「は?」
「良いから答えて! ルルティリア様が、最初に引き揚げたのは、何の力だったの!?」
何を言っているのだ、とアルハザードは不思議そうに首を傾げている。
精霊の力が、どうとか……と、考えて、『ああ』と一人だけやけにあっけらかんとしているアルハザードのことを、アルマはぎろりと睨んだ。
「そ、そんなに、怒らなくてもいいだろう!?」
「さっさと答えて!」
そんなに怒らなくても……とまだぶつぶつと言いながらアルハザードは必死に記憶を辿る。
しかし思い出されれるのは、ルルティリアによって派手に痛めつけられた己ばかりで、正確なことが思い出せないのだ。
はて、何だったか、とようやくアルハザードが思い至った答えを口に出したとき、アルマはぎょっとして、段々と顔色を悪くしていった。
「確か、ええと……地の精霊が、とか、何とか?」
「え………………」
さぁ、と血の気が引いていくことが、アルマは分かったような気がしていた。
それではいくら治水工事を行おうとも、どれだけ強固な堤防を築こうとも、本来力を貸してくれるはずの精霊がそこに『いない』のだ。
力を貸してくれない、というだけでなくそもそも、いない。
その事実をいち早く察したアルマは、ぎりり、と拳を握り、アルハザードの襟をがっと掴んで思いきり彼の頬を殴り飛ばした。
ごり、と鈍い音がし、アルマが手を離せばその場にへたりこんでしまう。
「何をする!」
「やっぱり貴方のせいじゃないの!! いいえ、……っ、この国の、わたくしたち全員の責任よ!! ルルティリア様に対しての態度もそうだけれど、怒らせてしまったから、加護も全て引き揚げられてしまっている! どれだけ人であるわたくしたちが努力したとしても、……精霊の加護がなくては、とてもではないけれど自然災害なんかに太刀打ちできっこない……。他の国は、精霊の加護ありきで対策を練っているんですよ!!」
「……は?」
与えられることに慣れ切っていたから、こんなこと考えたりしなかった。
加護はあって当たり前のもので、ほんの少しだけ信仰してやるだけで十二分なほどの加護を与えてくれていたし、何もしていなくてもルルティリアのおかげで自然災害も起こることなく、とてつもない平和を享受していたことを、今更ながら知ることとなった。
「……そん、な……」
「もう……諦めた方が良いのかもしれませんわね」
ぽつ、と呟かれたアルマの言葉にアルハザードがカッとなったものの、これを招いた張本人だから何を言っても説得力の欠片もないことはわかりきっている。
「じゃあ、どう、すれば」
「どうにもできませんわ。ルルティリア様との再婚約だなんて、決してあり得ない。……であれば、もうこの国の終焉を静かに迎えるしかないでしょう」
……怖いけれど、とアルマは小さく呟き加えたが、アルハザードをはじめとした国王夫妻は憤慨し、どうにかできないかと、かつてルルティリアが使用していた部屋へと走る。
そして、見つけたのだ。
彼女がこの国から退去するとき、うっかり持ち帰ることを忘れていた、別にどうでも良いとしか思っていないイヤリングの片方を。
「……あった……」
へへ、とアルハザードは歪んだ笑いを浮かべてから、ぐっとイヤリングを握りしめる。
「そうだ……あいつは、『あのお方』とかからの贈り物を大切にしていた。ということは……きっと、これも大切なもののはずで……忘れていることをとても後悔しているに違いない!」
勝手に思い込んで、アルハザードは身勝手に己の『勝ち』を確信しているらしい。
国王夫妻にもこれを共有し、彼らも同じように高笑いをしているが、気付いていないようだった。
ルルティリアから、この光景を見られている、ということもそうだが、ルルティリアが『最愛』とする人物にも見られていたことに。
「……ルル」
「嫌ですわ……わたくしとしたことが……」
「わざとかな?」
「…………ふふ」
にこ、と優美に微笑んで、ルルティリアが子猫のような仕草で『彼』の胸元にすり寄った。
「……精霊たちには引き揚げさせましたけれど、勝手につぶれていく様を眺めるだけではたりないかな、って思いなおして、転移させておきましたの。わたくしの……愛しきお人」
「そうかそうか。全くルルはとっても悪戯好きだな?」
「うふふ」
にっこりと微笑み返し、ルルティリアは空中に浮かんだ映像を見て目を細めた。
「物分かりの良いヒトは、安全な場所へ。お馬鹿さんは……」
艶やかな唇が、歪み、口角が上がる。
「――地獄へ」