4.はじまりはじまり
お久しぶりすぎる投稿です。
遅くなりましてすみません。
ずず、と地響きの音がした。
それは国のあちこちから聞こえ続け、少しだけだが城も揺れる。硬い地盤の上にあるこの城でさえも揺れるのだから、もしかしたら地盤の緩い地域では途方もない被害が出ているのではないかと、人は恐れ恐怖する。それが己の領土でありませんように、己の家が建つ位置でありませんように、と。
ルルティリアは笑みを崩さない。
こうなることなど彼女は理解していた。元々は地の精霊にお願いして地震からも守っていたのだが、誓約書を燃やしきったあの瞬間に、全ての精霊へ向けてこう語りかけた。
『もう、不要である』
彼らを統治する王の娘からの、簡潔にして分かりやすい号令。これは命令では無かったし、最初から命令をして守っていたわけではないのだから。
原初より全ての精霊の心に伝わり続いているのはあくまでも《お願い》だった。
祈ってくれるから、それが力になるのだから、我らはそんなもの達を守りましょう、と。
姫様がそう仰るのであれば、我らも従いましょう。
二つ返事、というやつで今まで協力してくれていたから、人間は平穏な日常を得られていたのだ。普通に考えてみれば、天災が基本的に起こらない日々などありえるわけはないというのに、それが当たり前すぎたから、その思考にも至らなかった。
「なに…?」
揺れを感じてその場にいる人々はざわめく。一体何が起こっているのか、何がどうなっているのか。
「さて、わたくしにはもう関係のないことですので、この国とはサヨナラさせていただきますわね」
「待て!何が、今、一体、この国で、何が!」
「あぁ…」
叫びながら問われ、ルルティリアは思い出した。
この国は、もう何百年と天災に襲われていない。大雨にも、地震にも、干ばつにも、土砂崩れにも、何にも、だ。
今、地の精霊達がまずこぞってこの国からどんどんと引き上げている。
もう不要である旨申し伝えた時の彼らの表情の輝きはとんでもなかった。人に良いように使われ、ほんの少しの感謝しか与えられず、けれど誓約があったから力を貸さないわけにはいかなかった。
「この国、これから崩壊しますわ」
ルルティリアは、微笑みは崩さない。
そして、比較して彼女に罵声を浴びせていた彼らの顔色はとことん悪い。
「まぁ、どうなさいました?」
「なぜだ…?なぜ、このような、仕打ちを…」
「あら、まるで悲劇の主人公のような口調でいらっしゃいますこと。なぁんて愉快」
くすくす、あはは、うふふ、と、軽やかな笑い声が聞こえ、人々は戦慄した。これほどまでに自分たちは今のこの状況に怯えているというのに、どうして目の前のコイツは、こんなにも普通なのだと。
確かに彼女はもう関係ないのかもしれない。だが、どうしてこんなにも酷い仕打ちを受けねばならないのか。
ルルティリアは、未だその問いに答えない。おかしくてたまらないと言わんばかりに笑っている。
なんなのだ、と恐怖に怯える彼らを、ルルティリアは微笑ましげに見つめている。
なんて、愉しいのだろう。
「簡単なことなのにお分かりにならないようなので」
ふふ、と笑いながらルルティリアは続けた。
「加護を、全て引き揚げただけですわ。何もかも、全て」
「な……」
国王夫妻の顔が、王太子の顔が、揃って引きつった。ここにきてようやく、ルルティリアは思い出したように王太子にかけていた重力魔法をといた。
「なんて、ことを」
「え?」
ルルティリアは、意味がわからないといった顔になる。
そもそも、加護がいらないと言ったのはそちらではないのかとほんの少しだけ考える。
やはり、ヒトというのは都合のいいようにしか考えていないんだな…と思い至り、首を傾げて問い掛けた。
「我らが不要だと言ったのはそちらでしょう?」
シンプルにして簡潔な問い掛けに、誰も答えない。否、答えられなかった。
その通り、ルルティリアたちは必要ない。でも、災害に見舞われたくないから加護は欲しい。それが、本音だった。
「……っ、こ、婚約、しなおして、やる!」
「嫌です」
「なんだと?!」
よろよろと起き上がったアルハザードは、良き案だと言わんばかりにルルティリアに言ったものの、一刀両断された。
ルルティリアはもうこんなものに構っていたくなかったし、婚約破棄すると言ったのは紛れもなくヒト側。茶番劇に付き合うのは金輪際拒否したいし、関わりたくもない。これが本音だった。
「この俺が、わざわざ婚約しなおしてやろうと言うのだぞ!」
「あなたの行動によって我らの加護はこの国から無くなりますので、もう何をどう繕おうとも無駄です。どうせ加護だけ欲しいんでしょう?」
「う、っ」
「浅ましいこと…」
心底軽蔑したように言って、汚物を見るような冷えきった眼差しをつければ、アルハザードは怯んだ。これまで、こういった対応を彼はされたことがないのだろうと容易に想像出来てしまう。
何とも、守られてぬくぬくと育っていた王太子殿下は平和ボケしているようだと、ルルティリアの温度はどんどんと下がっていく。
どうにかしてもう一度婚約しようとしているようなのだが、もはや無駄な行動でしかない。排除しようと剣を向けてきた人間を許す気には到底なれるわけもないのだから。
「では、わたくしこの国を出ていきますわね。さようなら」
「そ、そうはさせんぞ!」
ルルティリアが歩き出し、慌ててアルハザードが止めにかかる。
アルハザードがルルティリアの手首を掴んだ瞬間、彼の視界はぐるりと回った。
「……………………え?」
受身をとることも忘れていて、そのまま背中から床に思いきり叩きつけられた。
ずどん!と鈍い音が響き、背中から叩きつけられた衝撃で一瞬息が止まった。
「が、っ……!」
ひゅ、と奇妙な呼吸音が漏れる。
ルルティリアの手首を掴んだと思っていたのに、流れるようにそれを返された。更に続いたのは重力魔法を一時的に使用してふわりとアルハザードの体を持ち上げる、という行為。浮かせれば、あとは掴まれた手首を払うだけ。
驚きで手首から力は抜けており、流れるような動きのまま投げ飛ばされてしまったのだ。
背中を強かに打ち付けたせいで、呼吸がままならない。
まずい、と思ってルルティリアに視線を向ければ、心底興味無さそうな目だけが向けられていた。
「お、まえ」
「そのまま潰して殺して差し上げても良いけど、生き地獄を味わうと良いわ」
冷たく言い放たれた台詞に、集まっていた貴族もどういうことかと息を呑んだ。
「これまでお前たちの国が、何の災害にも見舞われず、平穏無事に暮らしてこれたのは誰のおかげだったのかしらね」
周辺国が大雨だ、干ばつだ、地震だ、飢饉だ、と騒いでいる中、この国だけが異様な程平和だった。
だから、大国へとのし上がれたのだ。
「誰の、って…」
一人の貴族が、困惑したように呟いた。
「精霊たちに通達して、この国だけを守り続けてきた我らにも非はあるのかもしれないけど、でもそういう約束だったんだものねぇ」
はー、と大きなため息を零して、ルルティリアはうっとりとした笑みで、更に続ける。
「これで、ようやく煩わしいことから解放されますわ。はー…長かった」
ここまで言われてようやく、その場の人たちは理解した。
ルルティリアたちがいたからこそ、守られていた。平和だった。何にも怯えることなく暮らしていたのだと。
だが、そんなものもう遅い。
後悔したところで、取り返しはつかないのだから。
爽やかで、すっきりした表情のルルティリアとは対称的に顔色の悪い貴族や国王夫妻。
もう、遅い。
終わりの始まりは、これからなのだ。