3.崩壊の序章
ルルティリアの婚約は、産まれたその瞬間より定められていた。
だが、ここ最近の人の身勝手な思いや祈りの薄っぺらさに関しては、勿論王族や彼らと共に政を行う貴族らが気づいていないはずもない。
人から与えられてきた祈りが薄く、軽薄なものになっていく中で、それでも彼らを信じる『親人間派』も少なからず存在したが、こうなっても尚、ヒトを信じるのかと時に糾弾されていた。
自国の民同士の諍いは、あってはならないものだとルルティリアの父、国王は頭を抱える。
親人間派なもの達には現実を見せるために、将来行われるであろうルルティリアの婚姻の儀への参加を義務付けた。実際に己の目で見て判断してこいと、そう告げたのだ。
…そも、彼らはヒトではないとすれば何と形容するべきなのか。
姿形はヒトと同じだが、神に近しい存在。精霊、妖精、ありとあらゆるヒトならざるもの達を時には守り、時には力を借り、時には使役し、己たちの繁栄よりも祈って、敬ってくれる者への加護を手厚く行う存在。神との距離が曖昧が故に、彼らを『神』と呼ぶものもいた。
祈り、敬えば、力を貸し与えてくれる、ヒトならざる『彼ら』。
だが、祈りの力なくては存在すらままならぬ、ある意味弱い存在でもあった。
寄り添い、といえば聞こえは良いがある意味共依存のようなものでもある。だが、それでも彼らの力あってこそヒトは栄えてきた。
しかし、現在守っているヒトの国のもの達から与えられる祈りの力は、次第に弱くなっていた。早々にどうにかする必要があったので、現在恩恵を与えている国を除き、他のヒトにこう問うたのだ。
『かの国のように穏やかに栄えたい国はあるか』と。
ヒトの国はざわめいた。
古の誓約により『彼ら』に守られて穏やかな、そして大変豊かな日常を送るもの達と、同じように幸せが与えられるのか、と。
誓約があるから、今のままでは守る対象を変えられない。だが、その誓約が無くなってしまえば?
『かの国は、どうやらあの方々に対しての信仰心も祈りも、紙のように薄っぺらくなっているそうだ』
誰かが、そう呟く。
――もしかしたら、チャンスがあるのかもしれないと期待が満ちる。
我が我が、と。垂らされた蜘蛛の糸に縋り付くかのように手が伸ばされた。
加護をくれる尊くも、恐ろしき存在。だが、そんな彼らではあるが、互いの領分さえ弁えていれば、子孫に豊かな国を残すことができる。自分達のように天災に怯える生活を送らなくとも良い。
本来の加護を受けている国のもの達は驕りが故に、判断を誤った。
犯してはならない禁忌を犯した。
かの国の姫、よりにもよってルルティリアを害したのだ。
密やかに呼ばれるルルティリアの別名。『最凶姫』。
『最強』ではない。『最凶』なのだ。
歴代の長く続いた彼らの歴史の中でも、とてつもない魔力を有しながら、それを見事なまでに隠しきった。ヒトに知られては利用されるからと、本来の婚約者の助言の元、か弱き姫を演じきり、そうして交換するべき魔石を砕き、誓約に必須な指輪ですらねじ曲げて破壊した。
後は誓約書のみ。
先祖が交わした血の誓約。かつてのヒトの国の、偉大だった王と、彼らを守りたかった優しき先祖の思いは、もう崩れ去っている。
慎重に、慎重に、彼らはなし得た。そして、その瞬間は、ようやくやってきたのだ。
己を害するものに対して、ルルティリアは決して容赦はしない。同族が無惨に殺され、消滅していく瞬間を何度見たことだろう。彼らの悲壮な叫びを聞く度、ルルティリアはきつく、手を握った。
もう、許してなんかやるものか。
本来の婚約者に言われ、この瞬間まで待って、ひたすら耐えてきた。
「指輪も無ければ、あなた方が我らに対して抱いている想いなど、とうの昔に消え去っております。そして、そこな這いつくばっております者が、申したではありませんか」
あくまで楽しそうに、微笑んで告げた。
「もう、我らの加護は不要であると。差し出さないのであれば構いませんよ?この城を手始めに吹き飛ばして、全てを砂に変えて、探しやすくしてから誓約書を探します。我らの魔力反応があるから、そうしてしまった方が探しやすいかしら」
鈴のような軽やかな声が、とんでもない内容を告げる。
一度、命を奪われかけた王妃はガチガチと震えながら、国王に対して土下座をして願う。
「……し、従いましょう……陛下……なりません……ルルティリア様を敵に回しては、…わ、我等など…死に絶える、のみしか…」
「はは、うえ…!母上、諦めてはなりません…!」
相当な重力負荷の中、アルハザードは己を覆う魔力密度を高め、無理矢理立ち上がろうとしている。だが、それも少しだけ体を起こせたに過ぎなかった。
新たな重力に襲われるかと思っていたが、そうはしない。それは可哀想だからと手心を加えたわけでもない。面倒になった、ただ、それだけ。
「王妃殿下、あなたの息子様はどうやらまだまだお元気なご様子ですわね。何ともご立派なこと」
明らかに馬鹿にした様子のルルティリアに対して激昂する。
「貴様ァ!!!!」
「言う通りにしたのに歯向かい、睨み、恨み言を言う貴方を、どうして敬えますか?そもそもどうして、」
ルルティリアはアルハザードとの距離を詰め、にこりと笑ったままに彼の顎をすぱん、と蹴りあげる。
「……………! ………ぁ」
「わたくしに勝てるなどと夢を見ていらっしゃるの?」
蹴り上げた際、何か白いものが舞った。恐らく彼の歯だろうと思うものの興味はないし、アルハザードは気絶したようだが、これで顎が砕けていても、大して何の感情も抱いたりしない。
ルルティリアにとって、もうこの国のヒトは加護を与えるべきものではないと判断しているのだ。だから、もう良いと、そう思っている。
「さぁ、国王。お早く、渡してくださいまし」
手を伸ばし、さっさと誓約書を寄越せと急かした。
国王が着けていた指輪がぼんやりと光り、彼の手元に空間魔法が展開される。
そして、魔法がかけられているが古びた、筒状に巻かれた羊皮紙を出すとルルティリアに差し出した。
「…確かに、いただきました」
封を解き、中身を確認すると渾身の魔力の炎で燃やし尽くそうと魔力の解放を行う。
先祖は今よりも遥かに高く、純粋な魔力であったが故に、誓約書を破棄することも並大抵の魔力ではできない。
「…っ、……これは本当に……厄介ですわ……」
魔力の高い、ルルティリアだからこそできている芸当である。
簡単に破棄されないようにと先祖が施した防御だが、今は邪魔なだけ。
遠慮なく全力で魔力を注ぎ込めば、蒼く、澄んだ炎がひときわ高く上がる。
そこに、熱さはなかった。
「はい、おしまい」
機嫌よく笑い、ひしゃげさせた指輪を床に落として思い切りヒールの踵で踏みつけた。
くきゃ、と奇妙な音がしてもう指輪の形を成していないそれを、ルルティリアはギリギリと踏みにじり、トドメをさしたのだ。
「さぁ、これでもうこの国に加護を与える必要はないわね。…思い知りなさい、どうなるのか」
にた、と笑う。
美しき姫の歪んだ笑みと同時に、ずず、と城が揺れた。
「手始めに災害にでも襲われてしまうのかしらねぇ?」
全てから、守られていたのだ。
ありとあらゆるもの、全てから。
「なんだ…?」
ある村人は、違和感を覚えた。
虫の音が一切なく、静寂に包まれた夜。それは、夜というよりも、ただの『闇』であったのだ。