15.新しい『カミサマ』
ルルティリアが狭間の領域でほんの少しだけ遊んでいた頃、リリムノワールは溜息を吐いて父親から羊皮紙を受け取って眺めていた。
「……これは」
「お前が盟約を授けに行くのだろう」
そうね、とリリムノワールは面倒そうに受け取って中身をじぃ、と見つめる。
「なぁ、リリムノワールや」
「お黙りになって、元国王陛下殿」
「リリムノワール、あなた、『お父さま』に対して何て言い草なの!」
「……」
視線だけ、リリムノワールは上げる。
真っすぐに見た先、リリムノワールが『元国王陛下』と告げた相手と、その妻である存在が、怯えたようにびくりと体を震わせた。
「……だぁって、あなたの権限なんかぜぇんぶ……」
羊皮紙をくるくると丸めたリリムノワールは、手元に何やら特殊な空間を出現させ、そこに羊皮紙をポイ、と投げ入れる。
「ルルティリアに、奪いとられたというのに。お可哀想なお人」
「リリムノワール!」
「ああ、五月蠅い」
ふわ、と軽やかな足取りで、リリムノワールは二人との距離を詰め、無造作に夫人の顎をわし、と掴んだ。
「んぐっ!?」
「ねぇ、聞こえなかったかなぁ。五月蠅い、って言ったの」
みち、とリリムノワールが力を込めれば夫人の顔が強張っていく。じわりじわりと込められていく力に、夫人が顔を顰めていると、とてもつまらなさそうにして、リリムノワールはぐい、と彼女の体を持ち上げてしまう。
「~~っ!」
何でもないですよ、と言いたげなリリムノワールに、彼女曰くの『元国王陛下』も唖然としている。
「やめないか、リリムノワール!」
「何も出来ないか弱き存在に、わたしの行動を制限されるだなんて……」
ぶん、と無造作に手を動かしたリリムノワールにより、その夫人はまるで玩具のように投げ飛ばされる。重力なんかを感じさせないように、人形をぽい、と投げてしまったかのように。
「そんなこと、許しはしない」
許してほしいとか、許さないとか。
リリムノワールにとっては、それは彼女が決めることであり、目の前の無力になってしまった存在には、決めてほしくなんかないこと。
「盟約は、授けに行く。ルルティリアも、わたしにそれを、望んでいるから」
だがしかし、あくまでリリムノワールの優先順位は『ルルティリア』が最上位。
たとえ『王』の座に就くのがギルライハだとしても、あくまで『ルルティリア』が鍵たる存在。だから、何よりも彼女はルルティリアを優先する。
今だって、そうしているだけ。
「……っ、リリムノワール、おまえ……」
「ねぇ……一応聞いてみるね……お母さま」
リリムノワールが先ほど投げ飛ばした女性は、一応、ルルティリアとリリムノワールを産み落とした存在。
だから、定義上は『母親』ではあるので『お母さま』と呼ぶのは正しい。
「どうして、あんなにも馬鹿なニンゲンを、ずっと守っていたの? ずっと、あれらにとっての幸せを送り続けてきたの?」
ルルティリアによって破棄された、あの盟約。
文字通り、あの国は跡形もなく……いいや、国としての『場所』はあるのだが、もう国として機能することはないだろう。
地震によって、建物は崩壊した。
洪水によって、ありとあらゆる畑は水浸しになったから、もうきっと何も育つことはないだろう。
そして、大雨が降ったかと思えば、長い事続いて、止んだかと思えば次は日照り。
これまでに経験のないことばかりで、対処方法があるわけでもない。
調べたところで、そもそもあの国に災害が起こったことはなかったから、対処方法なんてものは存在しない。
アルマや大臣たちが抗ってみたものの、結果として何も成功していないままに、人は死に、建物は崩壊し、あっという間に何もかもが機能不全に陥ってしまった。
魔法を使おうにも、精霊の力を借りることができなければ意味がない。
ほんのちょっと頑張ってみたところで、付け焼刃にしかならないし、ルルティリアの鶴の一声によって精霊たちはあの国から引き上げてしまっているのだから、力を貸すとか貸さないとか、何にもならないのだから。
「……ねぇ、本当ならルルティリアは貴方たちを、もっともっと早く消すことが出来ていたの。どうしてしなかったと思う」
リリムノワールによって投げ飛ばされてしまった夫人は、げほごほと咳込みながら、己の娘をじぃ、と観察していた。
どうにかして、この場を切り抜けなければいけない。
人間曰くの『権能』というものは、彼らから全て引きはがされて、奪いつくされてしまっているのだ。
奪いつくすまで、ルルティリアは色々と奔走していたのだが、奪いつくしたあとは途端に興味を失っていたから、放置していた、というだけ。
そんな存在が、リリムノワールの邪魔をすればどうなるか、お察し、というものである。
「……どうして、って」
「それは、我らがあの子の親で」
「……ふぅん?」
にぃ、と微笑んだリリムノワールの笑みは、まるでルルティリアそのもの。
ああ、この子たちは本当にそっくりだ。
そう思うが早いか、リリムノワールがとても楽しそうに、空中に何か線を描いている。子供の遊びのように、落書きをしているかのように。
「それじゃあ、もう一つ質問」
「……っ!?」
「わたしは、今、何をしたでしょう?」
剣呑な表情が緩んで、リリムノワールはまるで少女のような微笑みを浮かべた。無邪気で、可愛らしい微笑みに、彼女の親たちは見惚れたが、次の瞬間、二人揃って思いきり吹き飛んだ。
「~~~っ!?!?」
なお、三人がいたのはルルティリアが令嬢たちに色々としていた場所ではなく、本来彼女たちがいるはずの場所。
本来の、高位存在が存在すべき場所であり、もうじきルルティリアとギルライハがその頂点の存在として、君臨する場所。
「うふふ、まるで蝶々の標本みたい」
無邪気なまま、リリムノワールは空中に磔になっている二人を愉快そうに眺めている。
「ねぇ、お父さまにお母さま。ルルティリアが言っていたの。そろそろ……えーっと、ニンゲンの言葉を借りると……そう、『世代交代』だ、って」
「――っ!」
何かを叫んでいるらしいが、リリムノワールはふと思い出す。
ああ、そういえばこの二人を吹き飛ばすとき、あまり五月蠅くされてしまっても嫌だから、声封じの術をかけたかもしれないな、と。
あるいは。
「あれ、わたし……喉、潰したっけ?」
そんなことしたかな、と首を傾げているリリムノワールは、もう一度手を動かして、どうしようか考えていたが、結論はたった一つ。
「うーん、よくわかんないから、もういいや」
小さな子供が、母親におやつだと呼ばれてから、遊んでいた玩具を放り投げて捨てるように呆気なく、リリムノワールの手によって呆気なさすぎるほどに、二人が消失した。
ぱちん、と何とも呆気ない音と共に。
そしてリリムノワールは『あら』と、目を丸くしている。
「……よわ」
こんなにも弱い父と母だっただろうか、と首を傾げていたリリムノワールは、もういない者を憂いても意味がないな、と転移ゲートを開いてから、ひょいと人間界へと移動していく。
「……さぁて、どんなニンゲンかな」
ルルティリアに、言われている。
できることなら、思いきりたのしみなさいね、と。
折角お仕事をしに行くのだから、何か少しだけでもいいから楽しみを見つけると良い。確かそんな感じのアドバイスをしていたような……と思っていると、あっという間に転移が完了した。
光を抜けた先にあったのは、リリムノワールに対して跪いているニンゲンたち。
ああそうか、ここの国に次は加護を与えるのだった、と思い出してから、リリムノワールはじ、と彼らを見つめる。
今のところ、リリムノワールに対して敵意は無さそうだから、何もしなくて良いな、と思ってからすっと口を開く。
「――皆さま」
透き通るような声に、跪いている面々はすぐさま顔を上げようとするが許可を得られていない。
だから、必死にそのままを保っている中で、リリムノワールの言葉の続きを静かに待つ。
「お顔を、上げてくださいませ。わたしは、リリムノワール。貴方がたの祈りに答え、加護を授ける者」
「……っ」
恐る恐る顔を上げれば、とてつもなく整った顔立ちのリリムノワールと目が合った。ただ静かに、真顔で見つめてきている。
「先だって、我らの加護を失った国が、無くなりました」
ただ、淡々と告げられる事実に、ごくり、と息を呑んだ。
そうだ、かの国はルルティリアから何もかもを取り上げられてしまったのだ、と誰かが思うが、不意に影が覆う。
「……え」
「取り上げられてしまった、ですって?」
目の前に広がるのは、怒り心頭のリリムノワール。
取り上げたのではない、ただ、引き上げただけ。意味合いが違うのだから、はき違えてもらっては困るのだ、と意味を込めて、そう思ってしまった可哀想なニンゲンを吹き飛ばした。
「ひいい!!」
「い、いきなり何を!」
「……はき違えるな、ヒトよ」
ずず、と部屋の中を覆いつくさんばかりの殺気に、吐き気がこみ上げてきて、慌てて口を掌で覆った。
「取り上げる? ……冗談ではない」
ああ、そうか、と理解した。
最初は友好的だったにも関わらず、その地位に胡坐をかきまくって傲慢になっていった馬鹿から、取り上げたのではなく、もう力を貸さないという意味で『引き上げた』のだから。
「意味を理解していないのであれば、盟約は結ばない」
リリムノワールが取り出したのは、盟約をかわすための書類。ぐしゃ、と握り潰しながら、恐らくこいつがトップだろう、という者の前に歩いて行った。
「選んで、盟約を交わすか。……それとも他に譲るか」




