1.始まりは裏切り
またもや勢いで書き始めてしまった復讐モノ。
設定はゆるゆる、本当に勢いしかないので生温く見守ってください。
人ならざるものと、人の契約。
古の時代、自然災害に困り果てた人から請われ、互いに不利益のないよう、慎重に結ばれた契約と約束された平和。
人の国の王と、人ならざるものの国の姫の婚姻により守られる人の《安全》。
信仰心を捧げることで保たれ続ける、人ならざるものの《力》。
だが、与えられる安全が、平和が、人にとっていつか当たり前のものとなるのに、たいして時間はかからなかった。
当たり前のものは当たり前のものとしてあり続けるべき、信仰心とは何だ、お前たちは我らを守っていればいいのだ。信仰してやっているのだから、という傲慢な考えが招いた悲劇。
人ならざるものは、ただ純粋に守るべきもの達を信じていたからこそ、陥れるのはとても簡単だった、と人はいつしか揃って彼らを嘲笑っていたのだ。
指をさし、彼らから与えられていた善意を影では惜しむことなく踏みつけ踏みにじり、散々嗤った後に人が行ったのは古より伝わる契約の破棄と、不履行。そして、これより始まる新しき日々の宣言。
今、床に倒れている人ならざるものの国の姫、ルルティリアは混濁しそうな意識の中、必死に我を保ち体の中を巡る不浄なものを静かに取り除きながら、己の夫となったばかりの男を見上げていた。
――嗚呼、何と愚かな人間だこと。
婚姻の儀の締めくくりとして最後に交わす小さなグラス。注がれているのは、年月をかけて己の魔力を練り上げ鉱石としたものを沈めた赤ワイン。
始まりの時は、双方の血もワインに含んでいたそうだが、時代と共に忘れられたしきたりだった。
人は、『形式』としてただそれをしているだけ、と思っているのだが、根本的に間違っている。認識の甘さが招いた、ひとつめの過ち。
そもそも、互いの血と魔力を交換することで、異種族同士が交わっても子が儲けるとされていたのに、伝わった儀式の作法は長い歴史の中ねじ曲げられた。
だから、いつからか子が生まれなくなった。
本来であれば、人の子と彼らの子、一人ずつ生まれることで力を分け合い、それぞれの子らが互いの王家を代々受け継ぐことで成り立っていた契約だった。
彼らの子が生まれなくなっても、契約の力で互いの婚姻は続けられてきた。それほどまでに、人は身勝手だった。
側室を密やかに儲け、人同士で子を生し、人の国は王家を存続させているという暴挙に出ていたというのに、彼らは契約だからときちんと守り続け、姫、あるいは王子を人の子と結ばせた。
側室がいると分かっても、契約を守ってきた人ならざるもの達は、双方のためを想っていた故の行動。それ故に、適齢期の姫を人の王家に差し出していたのだが、此度の一件で、何もかもが崩れ落ちた。
結婚式に参列していた『彼ら』は戦慄した。
我らの姫様がお倒れになった!と、彼らにのみ伝わる念話で口々に叫んだのだ。
これで、彼らの国へと惨劇は伝えられた。無論、祖国ではとんでもない騒動へと発展してしまった。
だが、『彼ら』が戦慄したのにはある理由がひとつあった。
今、人がその存在を踏みにじった『姫』、ルルティリアのことだ。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
人に例えればそう言われるほど、美しき存在。
長く艶やかな腰を超えるほどの長さの白銀の髪。眦が少しだけつり上がった紺碧の瞳、白磁の肌。
細くしなやかな手足と、程よく肉付きの良い肢体。
とてつもなく高い魔力は純血種としての証であり、彼らの王家直系の正当なる姫ということも示している。
公の場では淑やかに、たおやかに咲き誇る薔薇のように。微笑みをたたえている姿に、人も、彼らも、誰しもが見惚れた。
人の王家の、今代の婚約者以外は。
憎らしげに彼女を睨みつけ、疎ましげに舌打ちをするが、『契約』があるから、「仕方なく」婚約をしてやったのだと改革派の家臣たちに零していた。
それを知らぬルルティリアではないが、知らぬふりを通してくれていたのだ。人と自分たち、双方の歴史を学んできた彼女だからこそ、かつて結ばれた契約が軽んじられていることも理解していた。
ただ、少しだけ。人に対してチャンスをくれていたにすぎない。
彼らは、願っていた。
『姫様が、どうか穏やかに嫁がれますように』と。
『どうか、ヒトが、姫様に無礼をはたらくことがありませんように』と。
その願いはいとも容易く打ち砕かれた。
目の前で、ルルティリアは倒れた。
倒れた彼女を嘲笑う婚約者、もとい夫となった王太子・アルハザードは、狂気の笑みを讃えていた。
「ようやく…ようやく我ら人は解放される!化け物を!わたしが殺したのだ!!」
高らかに宣言し、腰にさしていた儀式用の剣を抜き去り、宝飾が施されたそれを高く掲げた。
「今この瞬間をもって!お前たちの呪縛から我らは解き放たれる!」
怯えた様子の彼らに対してアルハザードは勝ち誇ったように笑う。
彼らが怯える相手が、アルハザードではないことは知らないまま。
「……嗚呼、何と愚かな」
高笑いが、ぴたりと止まった。
人々の勝ち誇った笑いも、ぴたりと止まる。残っているのは膝を折り、必死に祈っている彼らの小さな囁きのみ。
「………は?」
信じられないというようにアルハザードは、声を発した方に視線をやる。
ルルティリアが倒れたことで、纏め上げられていた長く艶やかな髪は、床に遠慮なく散らばっていた。
その髪の隙間から、紺碧の光が冷たく、じっと彼を覗き、見据えていた。
「な、」
「いつかこうなると思っていたけど、思いのほか早かったですわね」
ゆる、とルルティリアは体を起こす。
整えられていた髪がばらけ、普段の雰囲気などどこにもないまま、見たことのない歪な笑みが、アルハザードを捉えていた。
「なん、……おま、え……なんなん、だ」
「ふ、……」
ルルティリアは体を折る。
お腹に手を当て、ふるふると震える体に、恐怖からおかしくなり震えているのだと錯覚してしまうが、そんな空気など彼女にはない。
「う……うふ」
次の瞬間。
「うふ、……うっふふふふふふ!!!!!!!!あははははははははははははは!!!!!!!」
心底楽しそうにルルティリアは高らかに嗤ったのだ。
異様な雰囲気に呑まれ、アルハザードと傍に控えていた彼の腹心達は、一歩下がる。
「……………はぁ…………何ともまあ、愚かですこと……」
歪なまま笑って、ルルティリアは口の中にあったアルハザードの魔力の結晶塊を、彼らに見えるように乗せ、べぇ、と舌を出してみせた。
「まがい物を混ぜて、毒にし、わたくしを殺そうなど人の考えそうなこと」
指で持ち、こつん、と小さな音を立てて落ちたそれを、ルルティリアは履いていた靴の踵で思い切り砕いた。
「な、なんで…」
どうして壊れたのか、とアルハザードは驚愕した。
壊れるはずがないのだ。普通には。
年月をかけて凝縮した魔力の結晶塊。城に仕えるものからは『踏んだくらいでは壊れない』と幼い頃から教えられていたのに、それがいとも簡単に壊されたのだ。
「わたくしがお前より魔力が強いからよ?」
うふふ、と笑いながらルルティリアは答える。
「小細工をしたつもりだろうけれど、殺すまでには至らなかったわ。……ざぁんねん」
心底愉しそうに微笑んで、指にはめられる予定だった誓約の指輪も、指先で摘んでぐにゃりとへし曲げてしまった。
「はい、おしまい」
摘んでいたそれをぽい、と投げ捨てて悠然と微笑む。
その様子は、どこまでも異様なものであった。
「お前たちが永きに渡る誓約を、お前たちの手で破棄したのであれば、我らがもうお前たちを守る必要などない。守られたくない、とか仰っていましたものねぇ?」
ルルティリアの言葉に我に返ると、アルハザードは剣の切っ先を向けた。
「あらあら怖いこと。でも、先に手を出したのはそちらだわ?」
「黙れ異形の存在!我らは、これから新たな歴史を刻むのだ!そこにお前たちの場所などないと知れ!」
「要りません。だって、わたくしは元の国に戻って、本来の愛しきお方のものになりますもの。でも、その前に色々としなければならないことが山積みですわ」
「………はぁ?」
訝しげに睨みつけるアルハザードを興味無さそうに見てから、ルルティリアは彼の後ろで真っ青になっている国王夫妻へと視線をやった。
「さぁ、誓約書をお持ちになって?」
「ま、待て!貴様が何故父上にいきなり話しかける!許可など下りていないだろう!」
「五月蝿いですわねぇ…」
つい、と指を動かしただけで、アルハザードの周りだけ重力が変化し、全身が床に叩きつけられるようにどしゃりと倒れ込んでしまったのだ。
「そちらで大人しくしていらして。………ねぇ、陛下」
空気は、一変していた。
嗤うルルティリアと、怯える国王夫妻。
そして這いつくばっている王太子・アルハザード。
歴史を正しく理解していないもの達は訝しげにざわつき、人ならざるもの達は、必死にただ祈る。
どうかどうか、我らが姫の逆鱗に触れませんように、と。