映画館
週の途中で桃井さんの家にお邪魔し、マジピュアに出会うという至高のイベントを経た俺はやる気に満ち溢れたまま講義にバイトと順調に大学生らしい生活を満喫し、無事に金曜日の夜を迎えた。
今日もサークル活動としてテニスを楽しんでいたが、用事があって帰る人も多く、もう解散の流れになっていた。
佐渡島先輩も俺より一足先に「女王様に謁見してくる」と言って帰っている。
俺自身、八時からは、今日から上映開始の『魔法少女フィジカル☆ぶつり! ~皆で掴めナイスバルク!~』のレイトショーが会社の最寄り駅から二駅先にある映画館を見に行かなくてはならない。
帰り支度を急いでして、残っている人に礼をしてからその場を後にする。
「少しいいかい?」
テニスコートの出口へと早足で進んでいると、金網のフェンスに寄りかかっていた池谷先輩に引き留められる。
池谷先輩と出会うのは桃井さんの家にお邪魔した日以来だ。
一応時間にはまだ余裕がある。少しならいいか。
「はい。ただ、先を急いでいるので早めに済ませていただけると助かります」
「このあと用事でもあるのか?」
「ええ。ちょっと映画を観に行くんです」
「……一人でかい?」
池谷先輩が訝し気に視線を向けてくる。
「一人ですけど……」
映画は誰かと見に行くものとでも言いたいのだろうか。
確かに誰かと見に行く映画も楽しいだろう。
しかし、一人で行く映画は自分の好きなものを見れるという大きな利点がある。
「そうかい。いや、一人ならいいんだ」
変なことを聞いてくるなぁ。
別に俺が誰と映画へ行こうと池谷先輩には関係ないだろうに。
「ところで、君は春香とどういう関係なんだい?」
一泊置いて、池谷先輩が俺に問いかける。
どうやらこれが本題らしい。
確かに、自分が狙っている人がよく分からない後輩とどこかへ行く姿を見たら気になっても仕方ないか。
しかも、池谷先輩からすれば、桃井さんが自分より別の男の方を優先したと少なからずプライドを傷つけられたのかもしれない。
「同級生の関係ですよ」
マジピュアとそのファンの関係です。
そんなこと言えるはずがない。
桃井さんがマジピュアという事実を抜きにして、客観的に見た俺と桃井さんの関係を正直に伝えた。
だが、池谷先輩は納得がいってなさそうだった。
「ただの同級生の関係で手を繋ぐかな?」
「桃井さんの同級生とか桃井さんとよく手繋いでますよ」
「それは同性だからだろう」
「俺以外の異性とも手繋いでいるかもしれませんよ」
「いや、ない。少なくとも僕が観察する限りなかった。なにより、僕と手を繋いでいないのだから、あり得ないだろう」
観察って、ずっと桃井さんのことを見ているのだろうか。
それに自分に自信を持ち過ぎではないだろうか。いや、まあイケメンだし優秀って他部署にまで知られているくらいだから過信とまでは言えないけど。
「実は隠れて付き合ってる、とかないだろうね?」
「ありませんよ。仮にそれで付き合ってるって言ったら先輩はどうするんですか?」
「この国には略奪愛という言葉があるみたいだね」
「その冗談は笑えませんね……」
笑いながら池谷先輩はそう言っていたが、その目は全く笑っていなかった。
普通に怖いし、この人ならそれが出来かねないから恐ろしい。
もしかすると今までにも略奪愛をしたことがあるのかもしれない。
しかし、どうして桃井さんにここまで執着するのだろうか。
確かに桃井さんは可愛いし、美しいし、マジピュアだしと三拍子揃っている。
それでも池谷先輩なら桃井さんと同じくらいの容姿の人を捕まえることだって出来るだろう。
「まあ、付き合っていないならいいんだ。ただ、春香を狙うということは僕と敵対するということだけは肝に銘じておいてくれよ」
そう言い残すと、池谷先輩はその場を立ち去って行った。
女子にはそういう牽制があると聞いたことあったけど、男同士でも恋愛の牽制とかあるんだ。
おっと、それより映画だ。
急がないと間に合わない可能性がある!
大急ぎで映画館に向けて走り出した。
***
レイトショーであったものの、映画館内の年齢層は少し高めに見えた。
それでも上映開始日だからか、『魔法少女フィジカル☆ぶつり』を見に来ているであろう子連れの家族もちらほらといた。
「楽しみだなぁ」
発券機で予約していたチケットを発券し、ポップコーンとコーラを購入すれば準備完了である。
シアタールームに向かい、席につく。
取った席は中段よりやや上の真ん中あたりと絶好の席だ。
本当は俺の右隣の席が良かったが、俺が予約する時には既に埋まっていた。
予約開始とほぼ同時に予約した俺より早いのだから、恐らくかなりの『魔法少女フィジカル☆ぶつり』ファンに違いない。
そんなことを考えていると、俺の方に一人の女性が向かってきた。
その女性はマスクをつけて帽子を深めに被っており、顔はよく見えない。だが、年齢は俺と近いように見えた。
これくらいの年代の人がこんな時間に一人で映画を見に来るのは珍しい気がする。
いや、俺が知らないだけで意外と多いのかもな。
「……!?」
ぼんやりとそんなことを考えていると隣の女性が俺の顔を見て少し固まった。
まさか知り合いか?
改めてその女性の顔をよく見て見ると、その顔はここ最近よく見るようになった俺の同級生とよく似ていた。
「桃井さん?」
「な、なんで南野君がここに?」
「そりゃ、好きだからですよ」
「す、好きって、まさか私を追いかけて――」
「やっぱり大好きな魔法少女フィジカル☆ぶつりの映画は見逃せませんよね!」
「あ、そっちか」
安心したようながっかりしたような複雑な表情になる桃井さん。
それにしても、ここで出会うということは桃井さんも魔法少女フィジカル☆ぶつりファンなのだろうか。
「桃井さんも好きなんですか?」
「……うん」
何気ない質問のつもりだったのだが、桃井さんの表情に少し影が差したような気がした。
うーむ、女心は全く分からん。
「似合わないって思う?」
俺に視線を合わせようとせず、桃井さんが呟く。
急になんだろうか。
随分とおかしなことを言う人だ。
「意外だなとは思いましたよ。でも、俺だって一人で観に来るくらいにはこの作品好きですし、似合わないとは思いません。寧ろ、同じものを愛する仲間がいてくれて嬉しいですね!」
確かに魔法少女ものが子供向けのアニメであることは否定しない。
だが、子供が見るということはその親も見ることを想定されているということでもある。
実際、魔法少女フィジカル☆ぶつりを毎週視聴している俺から言わせれば、この作品は性別年齢問わず多くの人が楽しめるものになっている。
ならば、俺や桃井さんのような成人した人でも好きになる人は少なくないはずだ。
「ふふ。南野君は真っすぐだね」
少しだけ目を見開いた後、桃井さんがクスリと笑う。
か、可愛い……だと!?
マジピュアで鍛え抜かれた俺の目を唸らせるとは、流石ピュアチェリーの正体だ。
ちょっとでも油断したら惚れて告白してフラれてしまうだろう。
「南野君はキャラメル派なんだね」
不意に桃井さんが俺の持つポップコーンに目を向ける。
「はい! この甘さがたまらないんですよね。ただ、途中で飽きることもあるんですけど」
「ああ、分かる分かる。匂いにつられて買うけど、一人だとかなり量があるんだよね」
過去に経験があるのか、苦笑いを浮かべる桃井さん。
思えば桃井さんにはお礼とはいえ、俺のために色々してもらった恩がある。
この程度でその恩が返せるとは思えないが、ポップコーンの量も多いし、良かったら食べてもらおう。
「よかったら食べてください。一人じゃ食べきれませんし」
「いいの?」
「残しちゃう方が作ってくれた人に悪いんで、お願いします」
「んー、ならお言葉に甘えて少し貰おうかな。ありがとう、南野君」
ポップコーンを口に入れ、美味しそうに口を綻ばせる桃井さん。
映画館内で暗いということもあるかもしれないが、いつもよりその表情はどこか綺麗に見えた。
そして、映画館の灯りが消えいよいよ上映が始まった。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!