SMが好きな先輩と女好きな先輩
桃井さんがマジピュアという衝撃の事実を知り、俺と桃井さんの秘密の関係が幕を開ける――という漫画のような出来事が起きることは無かった。
しかし、これでいいとも思っている。
桃井さんにとっても、秘密を握っている俺を見ると落ち着かないだろうし、俺としても彼女が嫌がることはしたくない。
あの日の楽しすぎた思い出を胸に、互いに干渉することなくこれまで通りの生活に戻る。
そう、それが俺と桃井さん二人のためになるのだ。
――そんな考えは二週間で早くも揺らぎ始めた。
「はぁ……! はぁ……!!」
「お、おい、大丈夫か?」
大学のテニスコートの端にあるベンチ。
そこで、今にも死にそうな顔の俺に一人の男性が声をかけてきた。
「佐渡島先輩……」
佐渡島護――短髪にがっしりした肉体でキリッとした目つきの先輩だ。
俺が所属しているテニスサークルの先輩であり、運動神経抜群な上に男前な顔というハイスペックな先輩である。
そのハイスペックさを尊敬すると共に羨ましく思ったこともあるが、何を隠そうこの先輩こそSMクラブの前で偶然出会ってしまった先輩だ。
友人に誘われて行ってみたSMクラブで先輩に出会った時は心から驚いた。そして、びっくりするほど空気が凍り付いた。
ただ、その件を機に仲良くなれたことは心から良かったなと思う。
「大丈夫です」
「いや、大丈夫じゃないだろ。顔がゾンビみたいになってるぞ? どうした? 何かあったか?」
そう言いながらさり気なく俺の横にスポーツドリンクを置いてくれる辺り、後輩思いの優しい先輩だと思う。
ありがとうございます、とお礼を告げスポーツドリンクに口をつけてから身体を起こす。
「なにかあった、というよりはなにもないって言うのが正しいですね」
「なにもない? それならいいじゃねーか」
「なにもないってことは、先輩に置き換えたら女王様と会うこともないってことです」
その一言で先輩の表情が瞬く間に青ざめる。
そして、何を思ったのか急に俺の胸倉を掴んできた。
「おい! こんなところで何してんだ! さっさと女王様の下に跪いて来い!!」
「ちょっ! 先輩! 先輩に例えたらって話です!」
「あ、そっか」
パッと胸倉から手を放される。
相変わらず佐渡島先輩は通い詰めているSMクラブの女王様にご執心らしい。
「まあ、そんなしんどそうな顔でここいてもつまんねーだろ。今日は早めに帰って酒でも飲んで切り替えろ」
先輩の言う通り、今日は朝から殆ど集中は出来ていない。
その原因は明らかで、ここ二週間ほどバイトや講義が忙しくマジピュアの姿を見ることが出来ていないからだ。
たかが二週間、されど二週間である。
写真や動画があればまだ耐えれただろうが、マジピュアは写真にも動画にも姿が写らないという厄介な性質を持っている。
それでも一週間はマジピュアの一人である桃井さんから貰ったサインで我慢出来ていたが、それでも二週間が経過して遂に限界が来た。
この状態を脱却するには、先輩の言う通りマジピュアに会いに行くのが一番だが、彼女たちは神出鬼没だ。
会おうと思って会えるような存在ではない。
ただ一人を除いて。
「そうですね。そうします」
幸い、今日はサークルにも人が集まっており俺一人が抜けたところで気付く人も少ないだろう。
佐渡島先輩に改めてお礼を言いつつ、帰り支度を整えテニスコートを出る。
そのまま帰宅しようと思ったが、その途中で何やら話し込んでいる男女を見つけた。
こんな人目につくところでイチャイチャするとは、中々に度胸のある二人だな。
いや、そんなことはどうでもいい。
あーあ、帰り道に化け物現れないかな。そしたらマジピュアに会えるのに……。
いや、流石にこれは不謹慎か。
桃井さんに頼みたいけど、申し訳ないしなぁ。
はぁ……。
「南野君!」
トボトボと歩いていると、突然名前を呼ばれた。
顔を上げると、桃井さんが俺の方に駆け寄ってきていた。
も、桃井さん!? なんで!?
「君は……」
桃井さんに少し遅れてこっちにやって来たのはこれまた俺のサークルの先輩であり、イケメンと噂の池谷先輩だった。
佐渡島先輩とは同期の関係にある。
「すいません、池谷先輩。私、このあと南野君と学部の講義について話をする約束をしているのでここで失礼します」
「あっ……! 春香!」
何が何だか分からぬままに、桃井さんに腕を引かれる。
桃井さんは池谷先輩の方に振り返ることなく歩き続け、池谷先輩の姿が見えなくなってから手を放した。
そして、こちらを向いて頭を下げて来た。
「ごめんね、南野君。急に巻き込んじゃって」
「いや、まあいいですけど。さっきのって池谷先輩ですよね? 何か話してたんじゃないんですか?」
「ちょっと前からしつこく飲みにいかないかって誘われてたんだよ。何度も断ってるんだけど、聞いてくれなくてね……」
あはは、と苦笑いを浮かべる桃井さん。
池谷先輩は女性から大人気と聞いていたが、桃井さんにとってはそうでもないらしい。
それにしても池谷先輩が意外と粘着質だったとはなぁ。
「南野君が通りがかってくれて助かったよ。利用したみたいになってごめんね。お礼は必ずするから」
「お礼ですか!?」
桃井さんの一言に思わず声が大きくなる。
いや、これは仕方ない。
なんせ、お礼をしてもらえるということは桃井さんにお願い事を聞いてもらうチャンスが来たということなのだから。
「う、うん……。そのつもりだけど、変なお願いはダメだよ!」
俺の異様な気配を察知してか、桃井さんが一歩後ずさる。
勿論、変なお願いをするつもりはない。
俺の願いはただ一つだ。
「ええ、分かってます。分かってますよ……。くくくっ。それじゃ、早速お礼をしてもらいましょうか」
「な、なにをさせるつもりなの?」
「安心してください。桃井さんにしか出来ないことですが、簡単なことですよ。それじゃ、二人きりになれる場所にいきましょうか」
不安がる桃井さんを安心させるべく、ニコリと口角をこれでもかと上げて笑顔を浮かべる。
「ひっ」
だが、桃井さんは小さく悲鳴を上げた。
少しだけ傷ついた。
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