8.無駄な努力
「やっぱり……今日もやってる……」
あたしは今、セレディア家の庭にいる。茂みの奥に大きな樫の木があって、その陰から、一生懸命ベルゴールを振る風貴の姿を、こっそり覗いている。
「想いにこたえ、光を放て!」
「想いにこたえ、光を放て!」
「想いにこたえ、光を放て!」
セレディアの話だと、勇者があれを唱えることで、ベルゴールが目覚めるらしいけど、まぁ無駄な努力なんだよね。風貴って勇者どころか、聖なる力――この世界では「魔力」って呼ばれているやつが、ゼロなんだもん。魔法ありの世界に転移したって、ゼロはしょせんゼロ、使えるようにはならない。
「想いにこたえ、光を放て!」
「想いにこたえ、光を放て!」
「想いにこたえッ、光を放てェ! く、くそ……やり方が違うのか……?」
いや、やり方じゃないから。そもそも勇者じゃないし、もう二日目だよ? いい加減気づけ。
ま、でもこれで、よかったのかも……。
風貴には悪いけど、あたしはホッとしている。どれだけ努力したって絶対あれは使えない。無理ってなれば、あの王女もあきらめるし、風貴が危険になることもない。でも、あとどれくらいであきらめるんだろ? そろそろ悟ってくんないかなぁ……。
地べたに腰を落とし、風貴を見ながら膝を抱えた。
やがて日が暮れ、月がのぼる。
ふと、玄関のほうから草を踏む音が聞こえてきた。セレディアだ。左手には足元を照らすランペル、右手には……夕食かな? バスケットを一つぶら下げている。
「フウキさま、そんなに頑張らなくても、また明日にしてください。きっとまだ体調が戻っていないのです」
「ありがとう、セレディア。でも、もうちょっとだけやるよ」
「そうですか……」
少し迷うような間があったあと、セレディアはバスケットを差し出した。
「あの……これ、夕ご飯です。わたくしがサンドイッチをつくりました」
「え? セレディアが?」
「はい。ミルコと違って料理は不慣れですが……」
「食べなくてもわかる。きっとおいしいよ」
うーん……風貴って、素でこういうこと言えちゃう奴なんだよね。仲良くなれていいこともあるけど、トラブルになることも……。今回の場合はどうなんだろ? セレディア、すんごい喜んでるけど。
「はいっ、もしそうならうれしいです! あ、あの……あんまり無理しないでくださいね。では……わたくしはこれで――」
浮かれた足取りで戻っていった。
それから小一時間、風貴は無駄な努力を続けていたけど、さすがに力尽きたのか、ベルゴールを地面に刺し、ドッカと座りこんだ。
さすがに終わりよね? ご飯食べて部屋に戻るのかな? なんて思っていたら、おかしな気配を感じて、あたしは動揺した。
風貴……泣いてる……。
いったい何年ぶりだろ? 風貴が泣いてるところを見るのは……。両親を亡くしてから風貴は泣いてないはずだもん。
なんか、胸がぎゅーっと締めつけられる。こっちまで息が苦しくなっちゃうよ。
結局その夜、風貴は朝まで泣き続け、一度も部屋には戻らなかった。
「うっ、まだやってる……」
あれからさらに二日が経過し、こっそり様子を見に行ったら、相も変わらず風貴は孤軍奮闘していた。聖剣をなんだと思っているのか、筋トレしたり、座禅したり、塩をかけたり、温めたりしている。あんなこと、全部無駄なのに……。
あたしは例のごとく木のうしろにいて、風貴を見守っている。でも、今日はあまりに痛々しくて、見ているのが辛くなってきた。
お願いだからさ、もうあきらめてよ……。
でもその願いは届かない。
日が高くなったころ、セレディアがバスケットを持ってやってきた。
ん? なんか元気がないような……。風貴が勇者じゃないって、さすがに気づいたのかも……。
セレディアはいつもどおりに挨拶し、軽い世間話をしたあと、こんなことを言いだした。
「フウキさま、あの……わたくしが話したのは、古い古い伝説ですし、その剣が本物かどうかもわかりませんので……その……」
あー、これは気づいたわ。偽物だって気づいたけど頑張る風貴を傷つけたくなくて、「剣が偽物」っていう、優しい嘘を考えてきたんだ。
うん……まぁ、よかったんじゃない?
胸を撫で下ろした。これでもう勇者ごっこは終わり。追い出されるかもしれないけど、戦いに巻きこまれるよりずっといい。
でも次の瞬間、耳を疑うような言葉が、あたしの心を揺るがした。
「セレディア、たとえこの剣が使えなくても僕は戦うよ。僕はきっと、そのためにこの世界に来たんだ。君との約束は必ず守る」
ちょ……な、な、なに言ってんの? 力もないくせに……それじゃっ、死ににいくようなもんなんだけど!
セレディアは感動したらしく、風貴の腕にしがみつき、熱っぽい眼差しを向けた。
「フウキさま! 本当に、本当にうれしいです。あの……わたくし、ずっと苦しかったんです。城を奪われ、お父さまも亡くなり、頼りにしていた将軍も、深手を負ってしまいました。今ではもう誰も、わたくしのために戦ってくれない……。でも、フウキさまが戦ってくれるなら、とっても心強いです」
うっそでしょ……。
頭を抱えた。
そのまま戦うとか、正気の沙汰じゃない……。風貴は聖剣どころか、魔法がいっさい使えないんだ。戦車同士でドンパチやってるところに、生身で突っこむようなもの。確実に死ぬ。
ふと顔を上げると、セレディアはいなくなっていて、風貴は無駄な修行に戻っていた。迷いのない瞳を見ていたら、無性に腹が立ってきた。
くぅっ、もう我慢できない!
勢いよく立ち上がり、肩を揺らしながら茂みを出ていく。
「風貴ーッ」
強い口調で名前を呼ぶと、風貴は手を止め、振り向いた。
「……美守さん?」
すぐ笑顔になって、
「来てたんだ。なに? どうかしたの?」
なにが、どうかしたの? よ。とんでもないこと約束しといて、なに涼しい顔してんの?
風貴の前に立ち、不快そうに腕を組む。
「もうやめなさいよ! あんたに聖剣は使えない。セレディアには同情するけど、あんたは関係ないんだし、戦う力もない。いい加減、気づけ!」
逆上するか、落ちこむか、どっちかだろうと思ってたのに、実際の反応は斜め上だった。
「……もしかして美守さん、心配してくれてるの?」
なんかうれしそう。
こ、こいつ……なにこの歯がゆさっ? ぜんぜんこたえてないじゃん!
歯を食いしばり、キーッ、とうなる。
「バッカじゃないの? あたしはただ教えたいだけ。あんたは聖剣どころか魔法も使えない。完全に無力なの! 戦ったら死ぬの!」
「うん、そうかもしれない。もしそうなったら、それが運命なんだよ」
「なっ」
どういう意味?
風貴は剣を地面に刺し、両手をついて寄りかかった。
「実は……ずっと考えてたんだ。どうして神さまは、僕をここに送ったのかな、って。きっと深い意味があるんだよ。僕は神に選ばれた。選ばれたからには使命を果たす」
神に選ばれた……って……。
「くぅううううーッ、本当にあんたって、救いようのないバカね!」
もうなんていうか、怒りが天を突き抜けて、自分じゃどうにも抑えられない! 胸倉をつかみ、至近距離から睨みつける。
「あんた、昔、グッピー飼ってたでしょ?」
「え? グッピー?」
「そう。近所の人から五匹貰って、水槽に入れて、飽きもせずにずーっと見てた。で、そのうち、グッピーのお家をつくる、とか言いはじめて、瓶の中に水車を入れたり、ビー玉入れたりして、そこに一匹入れて遊ばせた。けど次の日、そのグッピーは死んでた」
「…………」
手を放し、眉間をビシッと指さした。
「神は、あのときのあんたと同じ! 深い意味なんてないの。ただ、無責任に遊んでいるだけ。神を買いかぶるんじゃないわよ!」
風貴は面食らってポカンとしている。
「美守さん、どうして……グッピーのこと、知ってるの? 誰にも話したことないのに……」
「ハッ」
し、しまったああああああーっ。あたし、頭に血がのぼって、とんでもないことを! なんで知ってるのかって……だってあたし、あんたの守護天使だし、あのときは掟を破る前だったから、あんたの背後にいっつも浮いてて…… って、うわああああー、こんなこと絶対に言えない!
「グ、グッピー? な、なによ唐突に……?」
「え? 今、美守さんが言ったんじゃないか。僕が子供のころ、グッピーを飼ってたって……」
「言ってない」
「ええ? たしかに言ったよ。ついさっき――」
「忘れた!」
「忘れたって……」
もう言ってること支離滅裂だし、頭も心もぐちゃぐちゃなの。
「と、と、とにかく! もう戦うなんて言わないで!」
「いくら美守さんの言葉でも、僕はやめないよ」
ぬぅああああああーっ、なんなのこいつ、なんなのこいつーッ!
「バカバカバカッ、このわからずやっ、勘違い男ーッ」
叫ぶと同時に猛烈ダッシュし、茂みを跳び越え門を蹴破り、セレディアの家から飛び出した。
風貴のバカーッ、どうして? どうしてわかってくれないの?
瞳に映る外の世界は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。