6.ネーベルト王国
窓から差していた西日が消えると、ヘリングポットの酒場は、ランペルっていう魔道具の明りでいっぱいになった。ガラの悪い男たちが入ってきて、賑やかっていうか、かなりうるさい。サムスはホールで、フェッチは厨房で、忙しそうに働いていて、あたしはっていうと、カウンターに座り、謝礼で貰った硬貨についてアーガスからレクチャーを受けている。
「この銅貨一枚で一ノール、銀貨は十五ノール、金貨は百ノールだ」
――って言われてもね……。物の値段がわかんないからピンとこない。シチューとパンのプレートを、スプーンの先で突っついて聞く。
「これは何ノールなの?」
「ああ、そりゃ五ノールだ。でもまぁ、あんたは恩人だからな。ここで食うぶんにゃ、金を取ったりしねぇよ。部屋も好きに使っていい」
「……そう、ありがと」
食費と宿代が浮くし謝礼もけっこう入ったから、当分の生活は大丈夫そう。コーヒーっぽい飲み物に口をつけ、話題を変えた。
「ところで、魔王の軍がこの街を襲ったってどういうこと? 戦争でもしてんの? あたし、なんにも知らないんだけど……」
「そうか。なら、最初から説明しよう」
そしてアーガスは、メッチャ脱線しながらも、丁寧に説明してくれた。必要なとこだけ切り取ると、まぁ次みたいな感じかな――
今いる場所は、「ネーベルト王国」っていう、人間の国の一つらしい。国は他にもたくさんあって、エルフや精霊、魔族の国もあるんだって。
ネーベルト王国は平和で豊かな国だったけど、十年前、魔王軍幹部のギルガリオンに侵略されて、王都を含む西側の土地を奪われてしまった。もちろんネーベルト王も、第一次、第二次、第三次、と軍勢を率いて戦った。でも全部失敗し、二年前の戦闘で死んでしまったらしい。
ふーん、なるほどね……。
スプーンを皿に置き、気になったことを尋ねてみる。
「一つ聞きたいんだけど、王の後継者っていないの? 例えば……娘とか……」
「ああ、王にはセレディアっていう娘がいた。えっと、たしか……川の向こうにいるはずだ。軍の大半が消えちまったから、セレディア姫だけじゃ、もうどうにもならねぇ。王家は今じゃ存在感なしだ」
セレディア、やっぱりあの女か。
いかにも育ちがよさそうだったし、ミルコから「姫さま」って呼ばれていた。王女だから安心? いや、でも待って……どうして亡国の王女さまが、わざわざ風貴を看病してるの? なにかに利用する気かも。
風貴のことが心配になってきた。
コーヒーっぽいのを飲み干すと、カップを置いて立ち上がる。
「ありがと。よくわかった」
「え? お、おい……どこに行くんだ? もう夜だぞ。どこか行くなら明日にしておけ」
例のごとく無視して、出口のほうにつま先を向けたら、甲高い声に阻まれた。
「ダメーっ。プディーヌ、食べないとダメー」
振り返って視界に入ったのは、皿にのったお菓子だった。宙に浮いてる―― わけじゃなく、マリーが両手で支えていた。
一時間くらい前だけど、マリーは元気に起きてきて、あたしに何度もお礼を言ったんだ。そういや、なんかつくってくれるって言ってたけど、ああ、これのことか。
たぶん、ホットケーキみたいなものだと思う。ふっくらしたスポンジの上に、甘そうな蜜がかけられている。
「……いや、でもあたし」
「おいちぃから」
「…………」
「ね?」
「……うん」
子供って苦手だけど、純朴な瞳で見つめられると、やっぱ無下にはできないわ。渋々、さっきの椅子に腰を下ろした。
アーガスは、グラスを拭きながらうなずいている。
「うん。もう遅ぇんだ。それ食って今日はここに泊っていけ。疲れてるだろ?」
疲れてる? まぁ、否定はしない。たしかに、今行ったってどうせ夜だし……明日でもいいかな……。
「……そうね」
するとマリーが、わーい、とうれしそうに手を上げた。
「じゃあ今日は、マリーといっしょに寝よう」
「えっ?」
その夜――
うーん、いっしょに寝るとかありえない、って思ったけど、結局なんか、押し切られちゃった……。
ヘリングポットの最上階、あたしはベッドに横たわり、天井の木目を見つめている。となりからは、すー、すー、すー、と気持ちよさげな寝息が聞こえている。甘いお菓子の話とか、昔の友達の話とか、お姉ちゃんが欲しかったこととか、マリーはずっと喋ってたけど、さすがに疲れたらしく、さっきようやく寝てくれた。
起こさないよう、そーっとベッドから出て、木製の椅子に座り、窓の外に目を向けた。月に照らされる街を見ながら、小さなため息をつく。
「神はどうして、あたしと風貴をこんなところに送ったんだろ?」
……やっぱり、追放されたのかな?
わからない。
今、一番困っているのは、指針がないことだ。リリエルさまの話によると、あたしはもう自由らしくて、そうしたいって思うなら風貴を見守らなくてもいいらしい。でも、それでどうしろっていうの? あたしはずっと守護天使として風貴を見守ってきた。これから先も、ずっとずーっとそうありたい。
間。
「……本当にそうなのかな?」
実は違うから、あたしは掟を破ったんじゃないの?
わからない。いや……考えたくない。考えるのが怖い。守護天使をやめたら、いったい何者になるの? うううっ……なんか苦しい。それ以上考えたらダメだ……。
自問自答をやめ、遠くを見つめた。
「風貴……」
今ごろ、どんな夢を見てるんだろう? どんな顔して寝てるんだろう? 椅子の背もたれに寄りかかり、想像しながら瞼を閉じた。
早く会いたい……。