3.セレディアの屋敷
女たちを追う途中、街とか市場とか、人の集まる場所を通り、この世界のことが少しわかった。中世ヨーロッパに似た雰囲気で技術レベルもそのくらい。ちなみに、言葉や文字は理解できる。たぶん、リリエルさまが調整してくれたんだと思う。
出発してから三時間後、風貴を乗せた小さな馬車は、郊外にポツンと建つ古い洋館に入っていった。あたしは壁をのぼって侵入し、物陰に隠れて、キョロキョロ見まわしている。
「見張りは、いないっぽいな……」
けっこう大きな屋敷なのに、二人だけで住んでるの?
あっ、風貴だ!
窓ガラスの向こう、猫耳少女に担がれて二階の部屋に入っていくのが見えた。まもなく美女も中に入り、その数分後、猫耳少女だけ部屋から出て、奥へと消えていった。つまり今、風貴は美女と二人きりだ。
あたしはしばらく茂みの中にいたけど、だんだん焦れてきた。中でなにが起こっているのか気になって仕方ない。
「うううーっ、いくらなんでもここじゃ遠いわ。もっと近くで見守らないと」
西側の角にガラスの割れた窓があって、あそこからなら入れそう。危険はあるけど、風貴のことを考えれば、背に腹はかえられない。
よし……。
腹を決め、割れた窓から中に入った。足音をたてないよう注意しながら、そそくさと廊下を走り、階段をのぼっていく。
そして――
たしか、この部屋だよね?
ラッキーなことに扉がちょっと開いていた。息を殺して、そーっと中を覗いてみる。
風貴は……? いたっ。
ちょうど目が覚めたところかな? 横に座っている美女に向かって、「あの、君は誰? 僕はどうしてここに?」と聞いている。
美女は上品な所作で胸に手をあて、こうこたえた。
「わたくしは、セレディア・ネーベルトと申します。お気軽に、セレディアとお呼びください。本当に勝手なことですが、森で倒れていたあなたを、ここに運んで手当てさせていただきました」
「僕を……運んで、手当て?」
ガバッと身を起こす。
「僕は祭条風貴といいます。本当にありがとう。見ず知らずの僕を助けてくれて。えっと……でも、なにがなんだか……。たしか学校にいたはずで、あっでも踊り場で不思議な光に包まれて……そのあとは……うーん、わからない」
頭を抱えている。
セレディアはいたわるように肩を撫で、優しく微笑んだ。
「フウキさま、その不思議な光というのは、きっと神の導きです。あなたは選ばれ、この世界に連れてこられたのです」
「えっ、僕が……神に?」
普通だったら信じないけど、まぁ、風貴ならね……。風貴って、基本は誰も疑わないし、妙にロマンチックな面があるんだ。恩人の美女にそんなこと言われたら――
「なるほど。そうだったのか」
やっぱり。いとも簡単に信じやがった。むぅ、ちょっとは疑えよ!
忌々しく思っていたら、風貴が急に落ち着きをなくし、あちこち見まわしはじめた。
「セレディア、運んでくれたのは僕だけなの? この世界にもう一人、来てるはずなんだけど……」
「え?」
大きな目をパチクリさせる。
「わたくしたちが駆けつけたときは、フウキさましかいませんでしたが……他にもいたのですか? あの、どのような方でしょうか?」
「えっと、化粧とか服とかけっこう派手な女の子で。あっ、でもよく見ると奇麗な子で……パッと見は声かけずらいけど、たぶん中身はそうでもなくて、あの、絵とか描ければいいんだけどなぁー」
うわあああああーっ、風貴があたしのことを説明してる。聞きたいような聞きたくないような、ムズムズする。
「では人を使って探させましょうか?」
「いいの? それならぜひ頼む! きっと今、一人で不安なはずだから……」
ひ、一人で不安って……。だ、大丈夫だよ。あたし、天使だからどうにかなるし、ほら、今もこんな近くにいるし。それよりも、自分のことを心配して。
そのとき背後に人の気配を感じ、慌てて振り返った。白猫だとわかり、なーんだ猫か、と肩の力を抜いた、次の瞬間――
「曲者ーっ、曲者なのです。姫さま、怪しい女がいるのです」
猫が言葉を喋ってびっくり。
不思議な猫は軽やかにジャンプし、床の上に降り立った。ポンっという音とともに、白い煙が立ちのぼり、ミルコとかいう猫耳少女が中から出てきた。
な? こいつ、猫に変身できたの?
逃げる間もなく、今度は部屋のドアが開く。
「何者ですかっ? ここでなにをしているのです?」
しまった……。
ミルコとセレディアに挟まれて逃げ道がない。戦って突破するって手もあるけど、いちおう天使だから、手荒なことは避けたいんだよね。
「あ、あの……あたしは、その……」
風貴の守護天使なので見守りに来ました、なんて口が裂けても言えないし、あたしは口ごもるしかない。
「ぬぅー、見れば見るほど怪しいヤツなのです」
「ミルコ、取り押さえなさい」
「合点承知」
たぶん飛びかかる前動作だ。ミルコが重心を前に移動させている。やるしかないか、って思ったとき、にこにこ顔の風貴が出てきた。
「あー美守さん! よかったぁー、無事だったんだ」
うげっ……。
見守る対象に見つかってマジ最悪なんだけど……でもまぁ、これで状況は一変した。
「ぬぬ? 知り合いですか?」
「フウキさま? もしかして、この方がさっきお話ししていた――」
「そう、天正美守さん。僕のクラスメイトなんだ。どこに行ったのかと思ってたけど、また会えてうれしいよ。もしかして僕を探してくれてた?」
ぬぅああああーっ。
そうだけどっ、たしかにあんたを追ってきたけどっ、認めるのは嫌すぎる!
「し、知らないし……。誰よ、あんた?」
セレディアとミルコは、あれ? って感じで顔を見合わせ、風貴は、ええっ? と驚いている。
「僕だよ美守さん! ほら、祭条風貴。踊り場で光に包まれて、ここに飛ばされて、僕を殴ったじゃないか」
んなこと説明されなくても、ちゃーんとわかってるけどさ。
「知らない」
「じゃ……どうして、そんなところにいたの?」
「忘れた」
「忘れたって……」
鉄壁の開き直りを前にして風貴は困り果てている。あたしはっていうと、正体がバレないか内心ハラハラしてる。とにかくここを離れたい。もうミルコもセレディアも戦う雰囲気じゃないし、今なら逃げられそう。
「じゃ、そういうことだから」
「み、美守さん! どこに行くの?」
「うるせーなっ、いちいちあたしに話しかけんな! うぜーんだよ、クズッ」
うわぁ、勢いでクズとか言っちゃった。ごめん、風貴……。でもあんたって、このくらい言わないとついてくるもんね……。
「そんな……」
しょぼんと肩を落とした。
心はかなり痛むけど、ここは突き放さないといけない。そう思ったあたしは、いかにも冷酷な感じで、ミルコの横を通り抜ける。風貴はもちろん、女二人も静観だろう高をくくっていたら、意外にも、セレディアが絡んできた。
「ちょっと待ってください! フウキさまは、あなたを心配していたんですよ。その態度は、ひどすぎるんじゃありませんか?」
ムッ……。
なんだろう、この感じ? セレディアの理屈はもっともだけど、おまえには言われたくないって思っちゃう。なんにも知らないくせに、わかったふうなことを言わないで。
あたしは足を止め、チッと舌を鳴らした。
「関係ないでしょ。ほっといて」
「そんな言い方って……」
あたしはもうなにもこたえず、無言のまま立ち去った。