2.自由を手にして
瞼を開けると、強めの陽光があたしの瞳孔を収縮させた。いったいなにがどうなったのか、整理できないまま身を起こす。
「……ここ、どこ?」
森の中の開けた場所だった。後頭部をさすりながら、なにが起こったのか記憶をたどると、おぼろげながら、思い出してきた。
……リリエルさまから電話があって、走って、階段の踊り場に行って、神の光に包まれて――
「そうだ! 風貴、風貴は?」
いったいどこ? 無事なの?
慌ててまわりを見渡し、ふと気づいて、恐る恐る目線を落とした。
「ひぃえっ」
いた。あたしの下に。風貴の上に乗っかっちゃってたんだ……。
急いでどいたあと、動かない風貴を眺めながら、ごくりと唾を呑む。
「まさか、死んでないよね?」
地面に膝をつき、祈るような気持ちで揺さぶってみた。
「風貴、風貴……ううっ、お願い……死なないで。目を覚まして……」
すると――
「う、うーん……」
もぞもぞと動きだした。
よかった! 生きてる! と心の中で叫んだとき、瞼が開き、目が合った。
「……み、美守、さん?」
「うっ」
し、しまったあああああーっ、あたしとしたことが! 近い。近すぎる。この距離は近すぎる!
「……もしかして、美守さんが――」
「うっせー、寝てろおおおーッ」
ほとんど反射でぶん殴ると、寝起きで避けられるはずもなく、風貴はふたたび気絶した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
ど、どうしよう……? そ、そうだ。エンジェルフォン!
リリエルさまと話せれば、なにかわかるかもしれない。急いでポケットを探り、エンジェルフォンを引っ張り出した。電源を入れて画面の端を確認する。
「……よかった。ギリギリ一本立ってる」
履歴の中からリリエルさまの通話記録を探し、ボタンを押した。コール音が続いたのち、回線が繋がった。
《リリエルさま。あたし、美守ですけど!》
《ミモリーン、大丈夫? 心配してたんだよ。怪我とかしてない?》
《は、はい……でも、なんだか、知らない場所に飛ばされて……》
《うんうん、わかってる。そこはミモリンがいたところとは、違う次元の世界なの。つまり異世界ってことね……》
《い、異世界?》
びっくりして声がひっくり返った。
どうして? なんで? しかも風貴まで……。
そんな疑問にこたえるように、リリエルさまが説明する。
《さっき発表になったんだけど、世界をバージョンアップする、グレートチャレンジベータっていう、よくわからないプロジェクトを神さまが立ち上げたの。ミモリンたちをそこに送ったのは、そのためらしいんだけど……ごめんなさい、わたしもよくわかってないの。神さまの説明は支離滅裂で……質問すると寝たフリするから……。と、とにかくっ、ミモリンとフウキくんは、これからそこで暮らすことになるわ》
唖然とするしかない。
《……こ、ここで暮らす? あ、あの……ここでなにをさせられるんですか? 今までどおり、風貴を見守るだけじゃダメなんですか?》
《えっと……なんていうか――》
適切な言葉を探しているのか、少し間があく。
《ミモリン……そこはね、すごく遠い世界で、わたしたちの管轄外なの。守護天使なのは変わらないけど、見張りはいないし、掟を破っても捕まえに行けない。実質的に自由ってこと。今までどおり見守っていてもいいし、しなくてもいい。全部好きにしていいわ》
《……へ?》
思考が止まった。
《…………》
《…………》
《そ、そんなの困ります! 急に自由とか言われても! 風貴までいるのに。しかも、管轄外って……この世界、危なくないんですか?》
問いただしたあと、ハッとして急に声がしぼんでいく。
《……リリエルさま、これは追放なんですか? あたしは、島流しにされたんですか?》
《ミモリン――》
ふぅ、と息を吐いたあと、あきらかに声色が変わる。
《そうじゃないと思う……。でも、離れたことは間違いなくて、わたしは寂しい。ミモリンって、わたしの若いころにそっくりだから……。能力のことだけじゃなく、感情的なところとか、怖いもの知らずのところとか、ミモリンを見ていると昔の自分を思い出すの。だから、こんなことになっちゃって……どうしたらいいか……》
じーん、と心に響くと同時に、胸が苦しくなった。
あたしは生まれたときからポテンシャルの高さを評価され、「有史以来の天才」「ポテンシャルお化け」「未来の大天使」なんて呼ばれていた。特にリリエルさまはよくしてくれて、守護天使になったときは、お祝いまでしてくれて、わたしの跡を継ぐのはあなたよ、って、そんなことまで言ってくれた。なのにあたしは期待を裏切った。掟を破って罰を受け、リリエルさまに恥をかかせた。
つーッと涙が頬をつたって、顎からポタポタ落ちていく。
《リリエルさま……本当に、ごめんなさい》
《五年前のこと? そんなに気にしなくていいわ。実をいうとね、わたしも若いころ、あなたと同じことをした……》
《え? リリエルさまが……?》
《そう。だからね、ミモリンの気持ちはよくわかったし、実はちょっと喜んでたの。もちろんいけないことだから、立場上、叱るしかなかったけど……》
本当に?
信じられない。でも、嘘を言っている感じもしない。
リリエルさまは、さらに続ける。
《神さまの思惑はわからないけど、あの方は試練を与えるのが趣味だから、悪いことじゃない……と思う……。それにわたしは、ミモリンを後継者にしたいと思っている。もちろん今でもね》
こみ上げる感情が大きすぎて言葉にならない。静かに噛みしめていたら、ピー、ピー、ピー、と耳元から電子音が聞こえてきた。
《リリエルさまっ、もうバッテリーが切れそうです》
《本当? じゃミモリン、大切なことを説明するからよーく聞いて》
《は、はい》
《あなたの力を制限するウィングリミッターだけど、今、どうなってるか確認できる?》
《えっと……ちょっと待ってください!》
襟を指で引っ張り、覗いてみる。
《……あれ? 前より色が、薄くなってるような……》
《そう。解除しようと頑張ったんだけど、やっぱり刑期が終わってないから、それが限界みたい。でもこれで、少しは魔法が使えるはずよ》
《本当ですか?》
《ええ、あともう一つ。あくまで一時的だけど、方法さえ知っていれば解除することもできるわ。解除できる時間は三十分。インターバルが十分あって、連続して使いすぎると継続時間が短くなるから注意して。ここまではいい?》
《はい》
《一時解除したいときは、ウィングリミッターに手をかざし、暗号となる言葉を唱えるの。暗号は、ミモザの目覚め、よ》
《ミモザの目覚め……》
《そう。じゃあそろそろ時間ね。いつかまた、きっと会えるわ。その日を楽しみにしてる》
《あのっ、リリエルさ――》
お礼もそうだけど、言いたいことがたくさんあった。けど無情にも、電池はそこで切れてしまった。
スマフォを握る右腕をだらんとたらし、その場に立ち尽くしている。
もうとっくに見放されたと思っていた。エリート街道から外れ、落ちこぼれたあたしなんて、とっくに捨てたと思っていた。でもリリエルさまは、ずっと気にしてくれてたんだ。神さまなんてどうでもいいけど、リリエルさまのため、ここからでも頑張りたい。
でも――
「なにをどう、頑張ればいいの?」
わからない。あたしは今、いろいろな意味で迷子になってしまっている。茫然としていたら、ふとなにかが聞こえた気がして耳を澄ませた。
これは……? 蹄の音? あと……車輪? だんだんこっちに近づいてくるような……。
茂みの向こうから、草をかき分ける音といっしょに女の声が響いてくる。
「ミルコ、本当にこっちでいいの?」
「もちです姫さま。たしかにこっちで正解なのです」
誰か来ると思い、急いで木の陰に隠れた。
茂みの中からあらわれたのは、若い女を二人乗せた屋根のない馬車だった。一人は身なりこそ粗末なものの、気品があり美しい。もう一人は小柄な少女で、なぜか猫耳があり、メイド服を着ている。
得体の知れない二人の女は風貴の横で馬車をとめ、草の上に降り立った。
「姫さま、こっちです」
「ええ」
風貴の前に立った美女は、膝を曲げ、物珍しそうに眺める。
「……どこのものでしょうか? 初めて見る服ですね。生地からして精巧ですし、このボタン……象牙?」
「さぁ? 変な服ですねー」
「……ここに倒れているってことは、やっぱりこの方が、そうなのでしょうか?」
「そうですそうです!」
猫耳少女は、自信たっぷりうなずいている。
「あの光は間違いなく神の光だったのです。そしてここは、あの光があたった場所。この男で百パーセント決まりなのです」
美女は人さし指を顎にあて、なにか考えているみたい。
「……はじまりの森に、神の光で降臨した男……。うん、伝説のとおりだわ。ミルコ、この方をわたくしの家に連れていきます」
「合点承知なのです」
なっ、風貴を連れていく?
出ていって問いただそうかと思ったけど、実行には移せない。だって守護天使は、見守るだけの存在だもん。出ていったら風貴の人生に干渉しちゃう。
「よーいしょー」
うっ、なんなのあいつ?
猫耳少女は怪力らしく、片手で軽々風貴を持ち上げ、馬車に乗せてしまった。ひょいっと自分も飛び乗り、美女のとなりで手綱を握る。
「では出発しまーす」
「ミルコ、この方は怪我をしているかもしれません。あまり揺らさぬよう、ゆっくり、お願いしますね」
「はい、姫さまー」
手綱で馬に合図を送り、馬車を発車させた。歩くくらいの速さで、もと来た道を戻っていく。
風貴……大丈夫かな……?
悪い奴らじゃなさそうだけど信用はできない。調べるしかないと思い、コソコソ隠れながら馬車のあとをつけていった。