1.寝起きの神さま
「美守さんってさ、いつも学校終わったらなにしてるの? 部活も委員会もやってないし、勉強ってこともなさそうだし、家でゲームってふうでもないし……あっ、そういえば家どこ? もしかして僕の近所? 道でよく会うよね?」
「…………」
あたしは完全に無視。頬杖をついたまま、教室の壁に目線を固定している。
「美守さん? 僕の声、聞こえてる?」
無理やり視界に入ってきたのは、典型的な好青年、祭条風貴。悪意と無縁の眼差しを、真っすぐあたしに向けている。
「うっさい。気安く話しかけんな」
「そんなぁー」
なにが、そんなぁー、だよ……。はぁー本当に困る。どうしてこいつ、よりにもよってあたしに話しかけてくんの?
髪をチョコレート色に染めたのも、制服を派手に改造したのも、化粧を濃くしてピアスを開けたのも、全部こいつのため。ギャルになれば怖がって話しかけられないって考えたから。けど、普通に話しかけてきやがる。
「マジでどっか行けよ。じゃなきゃ、あたしが行く」
立とうとしたら、やっとわかってくれたらしく、「ごめんごめん。じゃあ、その……またあとでね」と軽く手を上げ、離れていった。その姿を横目で見ながら、はぁー、とため息をつく。
ギャルでダメなら、どうしたらいいの? もうわかんない……。
机に突っ伏したとき、ピロリーン、と聞き覚えのある音が響いた。ポケットから引っ張り出したのは、ピンク色のスマートフォン。これは「エンジェルフォン」っていって、天使が使うアイテムなの。
指でタップし、メッセージを開いてみる。
『美守ちゃん大変だったねー。またフウキくんに絡まれて』
送り主は、前の席に座っている中森紹子―― じゃなくて、紹子についてる守護天使、ハウナ。たぶんそのへんに、浮いてるんだと思う。
人間たちは気づいてないけど、人間には必ず一人、守護天使がついている。ちなみにあたしは、あの風貴の守護天使だ。
ハウナの声は聞こえないけど、あたしの声は届くから、小声でこたえる。
「本当だよ。こっちの気も知らないでさー」
そもそも守護天使っていうのは、寄り添うだけの存在であって、直接干渉しちゃいけない。だからあたしは、風貴をひそかに見守りつつ、関わらないよう適度な距離を保とうとしている。なのにあいつは、ちょくちょく話しかけてきやがる。
また、ピロリーン、と音が鳴った。
『美守ちゃんって人間にされちゃったからね。守護天の仕事は大変だと思う』
「まぁそれは、あたしが悪いんだけどさ……」
そう、こんな状況になったのも、もとはといえば自分のせいだ。
五年前、あたしは掟を破ってしまい、罰を受けた。右の胸のちょっと上、「翼に射線」の痣があるけど、これは「ウィングリミッター」っていって、天使を人間にして魔法を使えなくする刻印なんだ。これのせいで天使の姿になれないし、同僚とも話せない。ため息しか出ない。
肩を落としていたら、ピロリロリロリロ、ピロリロリロリロ……とエンジェルフォンが鳴りだした。この音は、メッセージじゃなく電話だ。画面を見ると「大天使リリエルさま」って表示が出ていた。
リリエルさま? え、あたし……なにかした?
まるで実の妹みたいに可愛がってくれた恩師だけど、五年前にやらかしてから一度も話していない。気まずいし、怖い……。でも、大天使からの電話を無視するわけにはいかない。
急いで席を立ち、廊下に出て通話ボタンを押した。
《……はい、天正美守です》
こっちは緊張してたのに、スピーカーから流れてきたのは、気が抜けるほど浮かれた声だった。
《ミモリーン、久しぶり。元気にしてた? わたしわたし、大天使リリエル。今、ちょっとだけ話せる?》
《は、はい……。いいですけど?》
《実は今朝、神さまが七年ぶりに起きたんだけどねー》
《えっ、神さまが?》
なんか、胸騒ぎがしてきた。
天界には絶対者である神さまがいて、五人の大天使を筆頭にした天使たちの巨大組織、エンジェルユニオン(通称ユニオン)がそれを支えている。神さまは……まぁ基本、いっつも寝てるんだけど、ユニオンがあるから問題なし。むしろ困るのは神さまが起きたときで、現場のこととかなんにも知らずに、気分で組織を変えたり、変な目標を立てたり、意味不明なプロジェクトを立ち上げたりするから、天使にとっては迷惑でしかない。
なにを言われるのか、内心ビクビクしながら先を促す。
《それで……あの、なんであたしに……?》
《うん、実はさっきね、神さまの部屋にお茶を持っていったんだけど、なんか今回は無駄にやる気で、仕事用のデスクに座ってなにか見てたの。横からそーっと覗いたら、ミモリンと、えっと……フウキくん、だったっけ? の書類で、『よし、この二人だ』って満足そうにうなずいてたのよ》
《ええっ? あたしと風貴の書類を? な、なにをさせられるんですか?》
《それが……ごめん、わからないの。それとなく聞いてみたら、『ヒ・ミ・ツ』って言われちゃって。ねぇ、ミモリン、なんだかわたし胸騒ぎがするわ。神さまがああいうときって、ろくなことが起こらないもの。だから十分注意して》
《注意してって――》
なにを? どういうふうに?
考えを巡らし、ハッとした。つまり風貴も巻きこまれるってこと。風貴が危ない。
《リリエルさま! 一回切ります》
一方的に電話を切ると、急いで教室のドアを開け、視線を走らせる。
風貴……あ、あれ? どこ……?
昼休みだからどっかに行ったのかもしれない。通りすがりのメガネ男子を、おいっ、と呼び止め、襟首をつかんだ。
「風貴はっ? 風貴はどこ?」
「え? な、なに? 急に……」
「知ってんの? 知らないのっ?」
「……さ、祭条なら……プリントの束を持って、さっきそこの階段を下りていっ――」
「ありがとっ」
突き飛ばすように解放し、角を曲がって階段を駆け下りていく。
あたしはいちおう天使だから、どうにかなると思うんだけど、風貴はただの人間なんだ。変なことに巻きこまれたら、命を落としかねない。
そんなふうに思っていたら、見覚えのある、すらっとした背中を見つけた。
「ちょっと待ちなさいよ、風貴!」
「美守さん……?」
踊り場で足を止め、目を丸くしている。
あたしは無事な姿を目にし、よかったー、ってホッとしたけど、事情を知らない風貴は、興味の視線を向けてきた。
「どうしたの? 美守さんが話しかけてくるなんて、珍しいね」
うっ……。
今更ながら、我に返る。
干渉はダメなのに、あたしのほうから話しかけちゃった……。ど、どうにかして誤魔化さないと。
「な、なんでもない! 話しかけてないし!」
「え? でも……今、待ちなさいよ風貴って――」
「言ってない」
「言ったよ」
「忘れた」
「わ、忘れたって……」
あたしの開き直りに、風貴は愕然としている。
どうしよう、って思ったとき、「あれ? なんだろう?」と、風貴が窓の外に目を向けた。刹那、神々しい光が窓から差しこみ、あたしたちを包みこんだ。
危険を感じて叫ぶ。
「風貴! こっちに来て」
必死になって手を伸ばすも、時間の流れがゆっくりになって身動きできない。思考も鈍くなり、なんだか眠く……なって、き……。