第2話 お嬢様っぽい先輩現る!
放課後、夕日が世界を包みこむ。
葵は、準備があるとかで先に帰った。檜も着替えてから行くらしく、教室で分かれることにした。
―――俺はというと、ずいぶん久々に歩くような奇妙さを覚えながら校舎を散策することにしたのだった。
音楽室、美術室、3年生の廊下…。
歩いていくうちに、だんだんと普段の見慣れた校内だという現実に慣れてきた。
しかし、美術室の目前、今月の絵として、生徒が書いた作品が張り出されている場所が、一箇所だけ外されていたり、先輩の教室の机に、胡蝶蘭が生けられた花瓶が置かれている事が、先輩はやっぱり死んでしまった現実を、教えてきた。
―――俺は今は誰もいない教室に入り、先輩の机に座ってみる事にした。
先輩はここにいるのに、誰もそれを知らないのだ。
だんだんと世界から先輩は忘れ去られていく。それが、とてもたまらず、何とかしたいと思うけど、俺にはどうすればいいのか見当もつかなかった。
目の前の花瓶に挿された花は、瑞々しく凛とそこに存在した。
後ろで、先輩は優しく俺を見守っている。何も言わないでいてくれるのは、先輩の優しさなんだろうな。
付き合いは短いけれど、この人は意外と他人を見ているのだ。今思えば声をかけて欲しい時は、うざいくらいかまって来たけど、そうじゃないときは黙ってそばにいてくれたっけ‥‥‥。
―――そうか、俺‥‥‥嬉しかったんだ。
どんな形であれ、先輩が戻って来てくれて嬉しかったんだ。
認めたくはないけどさ、やっぱりこの人の後輩なんだよな。
先輩のやり残したこと、後輩が尻拭いをしなきゃ終われないか。少しだけ、先輩のわがままに付き合ってあげよう。
そんな、無理やりな理由が必要だった。
先輩の痕跡を辿るように、歩き回ってようやく導き出した結論だった。
「先輩」
「どうした、後輩君」
「先輩の未練って、本当のところ何なんですか?」
「それは、私の分まで君が享楽に生きることだよ」
それが、分からない。どうして、死の間際まで俺のことなんか。
それに、俺がそんな生き方をしたところで先輩にとって何のメリットがあるんだ?
―――本当の理由がある気がしてならない。
「そもそも、享楽って何なんですか?」
「それは、あれだよ!喧嘩したり、バイクで夜の峠を攻めてみたり!‥‥あと、セッ○ス」
「ストップ先輩!偏ってるから!それ全部コンプリートしたらえらいことだから!」
クスクスと、愉快げに笑っているが冗談ではなかった。
「全く先輩は、しょうがない人だな」
「貴方、そこで一体何をしているんですの?」
「先輩、どうしたんですか?急にお嬢様口調になってますけど、今更キャラ作りしても遅いですよ」
「貴方、失礼ですわね!これは、高校生デビューで私なりに必死に考えたエレガントな口調よ!」
「遥?」
「え?」
声が二つ聞こえる。気づくと、誰も居なかった教室に、金髪の縦ロール女子が佇んでいた。
先輩が零した遥という名前がこの人の名前なのだろうか。
俺は取り敢えず、敵意剥き出しの、目の前の女子生徒に、これまでの経緯をたどたどしく説明した。
―――このままでは、明らかな不審者だからだ。
✱✱✱
「と言う訳で、先輩の教室に勝手に入ってしまってすいませんでした!」
「そういうことですのね。あの方の部活の後輩……。それでも、亡くなった方の椅子に座るなど非常識ですわ、自覚なさってくださいまし」
「はい、すいませんでした!もうしないので、見逃して下さいまし」
「真似してんじゃねぇですわよ!貴方、本当に悪いと思ってるのかしら?‥‥‥もういいからどきなさい。花の水を交換する時間よ」
そう言うと、遥先輩は綺麗な指で花瓶を取り上げ、流し台に移動した。どうやら先輩と知り合いらしいその人が気になり、ついていくことにした。
この人は、裏辻 遥先輩。高城先輩のクラスメイトで、自称ライバルだったらしい。
上品さ、成績、運動能力でいつも拮抗し、互いに互いを高め合い、研鑽を重ねた戦友だったと。なのに、自分との勝負を途中で投げ出し、勝手に死んでしまうなんてと、ニヒルに笑って花瓶の水を取り替えている。
静かで、丁寧な所作で水を替える裏辻さんを見守りながら、先輩の事を質問した。
「先輩はやっぱりすごい人だったんですか?」
「ん、そうね、わたくしのライバルにふさわしい方だったわ。成績もわたくしと似て優秀ですし、わたくしと同じくらい上品で、エレガントな人でしたわ」
(基本的に、自分視点な人だな)
先輩もくねくねと気持ち悪く照れないでください。俺は率直な感想を漏らした。
「俺は、裏辻先輩の方が上品だと思いますけどね」
「な!?いきなり、何を言うんですの?これが噂のナンパというやつなの!‥‥駄目よ、貴方は雅の後輩で……そんな不埒な事は行けないわ。……あめちゃんいる?」
「ナンパじゃないです。あと、俺と先輩はそんな関係でもありませんから!…あめちゃんは頂きます」
「そうなんですの?良かったわ、わたくし、こんな事言われたの生まれて初めてでしたので、驚いてしまって」
パタパタと顔をあおぐ裏辻さん。しかし、口の端はひくついて嬉しそうだった。
先輩は、無言で消しゴムのカスを俺の後頭部に投げまくっている。そういうところですよ、先輩。
「それに、エレガントという意味でも裏辻先輩の方がそれっぽいと思いますけど、名前的にも」
「貴方、いい子ね。待ってなさい、今日家庭科で作ったママレードがありますの、貴方にあげますわ」
何というか、ちょろそうな先輩だった。将来が心配になる。
先輩は、後ろでいじけていた。こっちはこっちで面倒くさい人だな!
「らっくんは、遥みたいな娘がいいんだ。どうせ、男はおっぱいなんだ。おっぱい大きい娘には敵いませんわ。裏○みたいな名前しやがって―――」
「ちょっとストップッ⁉何卑猥な単語並び立ててるんですか!そういう他意はありませんよ、率直な感想を述べただけです」
「なんのフォローにもなってないし、ただただ酷い!!
それに、遥も遥だ。私は別に遥のライバルではないぞ」
―――あれ?そうなのか、そうなると裏辻先輩とはどういう関係なんだ。
「いや、別に普通の友達だぞ遥は」
「でも、あんなにライバルだったって」
「それは、遥が勝手に言っているだけだよ。何をするにも、喧嘩を売ってきて、勝手に悔しがっているのだ。困ったものだ」
まあ、気持ちの齟齬と言うのはどこにもあるものだよな。しかし、困るといいつつ先輩の顔には、再会の喜びがありありと浮かんでいた。―――素直じゃないな全く。
いい機会だ、裏辻先輩も花の手入れをしてくれたり高城先輩の話をするときに優しい顔をしていたり―――きっと浅からぬ仲なのだろう。
何かの気休めにでも、なればと思って俺は先輩の言葉をそのまま裏辻さんに伝える事にした。
「裏辻さん―――もしかしたら先輩は普通に裏辻さんの事を友達と思ってたんじゃないですか?」
先輩の友達には先輩の本当の言葉を届けてあげたくて、軽い気持で口走ってしまった。
裏辻さんは、一瞬呆けた顔をするとみるみるその顔を強張らせて。
先程よりも固い声で。
「―――貴方‥‥‥あの方の後輩だからって、勝手な事を言わないで下さる?あなたに何が分かるのよ?雅の何を知ってるの‼」
激昂だった。普段誰かに怒りの感情を向けられたことなどなかった。
故に、手足が痺れてうまく動かない。喉が乾き、必死な言い訳が頭を巡る。
――――だけど、何一つ上手い言葉はもたらされない。
「ここは、あなたがいる場所じゃない。帰りなさい」
「っはい‼」
俺は、胸を押され夕日が傾き陰りゆく教室を後にした。
残された教室で裏辻遥は、先程楽が座っていた椅子に座り、机に突っ伏していた。
―――愛おしそうに、机の表面を撫でながら虚空に向かって独り言が紡がれる。
「行けませんわね。また、キャラがぶれてしまいましたわ。でも、あの子があんなこと言うから……。私達が友達等と……私達はライバルですわよね?特別な…」
一人の少女の透明な雫が、一筋頬を流れ落ちた。




