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遙かなるユイス・ゼーランドの軌跡  作者: 乾 隆文
第二章 第四節 バドヴィアの日誌
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2-4-1.「また変な薬買いに行こうってんじゃないだろな」







 砂が、風に舞い上がる。


 左手で手綱を操りながら、右手で剣を振るう。


 キィン、ギィンと鳥の鳴き声のような音を立て、剣と剣とが当たり合う。


 数秒間の鍔迫り合いを演じた髭面の男。にへらと笑い、すぐに剣を引いてまた距離を取った。


 敵影は五つ。味方も五人。守るべき商人たちが八名と、荷を積んだ駱駝が十二頭。


 敵の魔法使が風を操り、敵の背を押し、こちらの目を塞ごうとする。


 味方の魔法使が霧を使い、風を湿らせて動きを鈍らせる。


 初手、戦場支配(カイラーベ)では味方の優勢。シーラがにんまり笑いながら、敵の魔法使を目で追っている。もう一人味方の魔法使がいる。こちらはシーラよりも腕が劣るらしいけど、それでも敵の目前に火花を弾けさせて、その意識を散らしているのがわかる。


 けどこちらは守る戦い。状況を優勢にできて、ようやく五分の立ち位置だ。


 矢が、俺を目掛けて飛んできた。


 腰から上を逸らし、避けると同時にナイフで叩き折る。


 隣からぐはッと呻きが聞こえた。


 味方の男が、右腿に矢傷を負っている。


 すぐにシーラが、風を起こした。味方の剣士たちの、すぐ目の前。ちょっと手を伸ばせば指先を持っていかれちゃいそうな、右から左への強烈な風の壁。


 これで矢は届かない。剣での攻撃も、深呼吸を二三度する間くらいは途切れそうだ。


 攻めるなら、ここ。


 俺の意図はシーラにも伝わる。味方の剣士、俺も含めた四名、その前に風の切れ目を作った。


 四人ともそれを感じ取ったのはすごいと思った。何なら俺が一番反応が遅いくらい。風の切れ目はするすると、敵の戦士の目前まで俺たちを案内する。


 敵の目を借りれば、強烈な風に目を細めながらどう手を打つか悩んでいたところ、突然風の壁を縫うように俺たちが現れたのだろう。慌てふためいてガードも覚束なく、俺の渾身の一撃で、あっさり獲物を手から落とされた。




「やぁ、お嬢とお前、ずいぶん息が合ってんじゃねーか」


 仕事終わりのグァルダード。ミルレンダインの仲間である、坊主頭の壮年剣士、カルートが、にかにかと歯を見せて笑いかけてよこした。


 南東の海岸沿いに建つ、小さな商人街。陸路でそこまで物資の配達をしにいくという行商たちの依頼で、往復路の護衛を務めた。最低でも人数が五人は欲しいと言われたので、ミルレンダインで普段ケーパをしている連中に声をかけ、一泊二日、カルートたち四人と一緒に仕事をこなしてきた、というわけだ。


「なんだよその言い方。あんたたちとだって上手くやれてたつもりだけどな」


「いやまそりゃそうなんだけどよ。お前ら二人はさらにってことだよ。よろしくやってる成果なんだろ?」


 酒でも入れてんのかエロジジィ。ついさっきまで真面目な顔で仕事してたくせに。


「それが全っ然、ヤらせてくれないのよぉ。この前なんて媚薬まで使おうとしたのに、なんか先に勘付いちゃって一口も飲みもしないでさ」


「ははぁ? お嬢にそんだけさせる男なんてそうはいねぇやな。お前、実は相当の女泣かせだな?」


「だ、誰がそんな……」


「泣かされたって嬉しくないよぉ。それよりいっぱい鳴かせてほしいのに!」


「……お前は少し黙れ」


 がっはっはと、カルートが胸を張って一笑い。


 他の連中が仕事の完了手続きをすませてくれ、ぞろぞろ六人、外に出て行った。


「媚薬の話で思い出した。ちょっとあたし、サイフォスの店に寄ってから帰るね」


 おお、じゃあ、俺たちは先に戻ってるぜ。


 手を振るカルートたちを見送りながら、俺はじろりシーラを睨み付ける。


「また変な薬買いに行こうってんじゃないだろな」


「や、やだなそんなわけないじゃない! ウェルに飲ませるための薬あたしが飲んじゃったから、副作用とかないのか聞きに行くだけだよ」


「…………お前、どういうモン俺に飲ませようと――」


「あっ、違う違う、そういう意味じゃなくて。男性用だって話だったから」


 慌てて取り繕うシーラだが、俺の不信感はそんなものでは拭えない。というかまぁ、飲まされそうになった段階で信頼度合は底知らずなんだけども。


「いらっしゃいませー、……と思ったらあなたたちですか」


「なによぉ、ご挨拶ねぇ」


 店の戸を潜ったところ。今日はサイフォスはカウンターに座っていて、俺たちの姿を見るやあからさまにつまらない顔をして見せた。なんだよ、仕事自体はしっかりこなしてやったってのに、そんなに嫌な印象があるのかよ。


「ねぇ、この前の媚薬なんだけどさぁ!」


 ガッとカウンターの机に両肘を乗せ、上半身を乗り出してサイフォスを睨むシーラ。何やら書き物をしていたサイフォスは、いきなり凄まれて目を白黒させている。


「び、媚薬って……。この前も言いましたけど、あれはただの精力剤ですよ?」


「どっちでもいいよ、効果は一緒なんでしょ? ねえそれより、あの薬って女が飲んでも平気? あたし特に影響なかったんだけど……」


「ご自身で飲んだんですか? ちゃんと指示した用法と用量を守って頂かないと」


「しょうがないじゃない。騙されて飲まされたんだから」


「騙されてって、誰にですっ? ウェルさんにですかっ?」


 突然立ち上がって語調を強めるサイフォス。カウンターからつかつかこちらにやってきて、俺の眼前、物凄い目付きでこちらを睨んでくる。な……、なんだよ、どうして突然俺が怒られる流れになってるんだ?


「あのですね、薬っていうのは正しく使わないととても危険なんです! 医師や薬剤師の指示以外の使い方をしたら、健康を損ないかねません! まして、それを同意なく他人に飲ませるなんて言語道断! ウェルさん、いくらご自分の奥方を興奮させたかったからって、男性向けの精力剤を媚薬代わりにして、しかも騙して飲ませるなんて、薬剤師として絶対に赦せない行為ですよ!」


「お、落ち着け。何言ってんだよ」


「いいえ落ち着けません! 僕はこれでも、薬の扱いにかけては自信を持っています。だからこそ、自分が処方した薬を、遊び半分に使われるなんて絶対許せません! そもそもあなた――」


「落ち着けってば! 先に騙されたのは俺の方なんだから!」


「自分の奥方の体が大事じゃ……、って、え?」


 ようやく、サイフォスの舌が止まる。後で面白そうににやにや笑っていたシーラが、ヤバいと目線を伏せた。


 あの夜のことの流れと、ついでに俺とシーラの関係についても、俺が事細かサイフォスに説明してやると、今度はサイフォスはシーラに対して大激怒。およそ十分は続く大説教を開始したのだった。


「もぉ、勘弁してよぉ……」


 ふえぇん、とシーラが鳴く。よかったなぁ、いっぱい鳴かせてもらえて。横から茶々を入れると、全然違う!と睨まれた。


「とにかく! 人を騙して飲ませるなんて二度としないでくださいね! いいですか!」


 サイフォスのお説教の締めくくり、何度目か同じセリフを聞かされたシーラは、ふあぁい、と凹んだ声を喉から漏らした。少しは懲りたかと彼女の顔を覗き込んでやると、しかし次の瞬間にはにんまりと口を緩めて。


「ねぇねぇ、それよりさ! この前の薬、もう一度くれない?」


 この流れでそれを言えるのがすごい。聞いたサイフォスも唖然と口を開けている。


「何ならこの前のより強力なやつでもいいよ。もう、なんか見境なくしてケダモノみたいに襲い掛かっちゃうようなやつ。ないかなぁ?」


「ありませんし、あってもあなたみたいな人には絶対に売りません」


「えぇー、何でよぉ。お金なら払うからぁ。あ、然もなきゃサイフォスにちょっとだけサービスしてあげてもいいし。ねぇ?」


 言いながら、サイフォスの手を取って自分の胸に当てるシーラ。顔を真っ赤にして、「やっ、……やめてくださいっ!」と強い口調を努めるサイフォスが初々しい。まぁ俺より年上だろうけど。


「なぁサイフォス、俺も相談があるんだけど」


「……なんですか」


「女性の性欲を減退させるような薬、ないかな」


「……精力減退、ですか……? そういう薬は難しいですけど、催眠剤とかだったら」


「ああ、それでいいや。本人聞き分けないんで飲み物に混ぜて飲ませる感じになると思うけど、問題あるか?」


「容量をきっちり守って頂ければ、基本的には問題ないかと」


「ちょっと! あたしん時と対応違くないっ?」


 俺とサイフォス、じろりとシーラを睨み付け、当然じゃんと口を揃える。


 ちょっとした仕返し、むきーっと癇癪を起こすシーラを横目に、俺はサイフォスともうしばらく、催眠剤の服用方法について盛り上がったのだった。




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