2-15-6.「まずいだろ。こんなの絶対ダメだろ」
「……ティリル……」
幼馴染にそっくりだった。
「え、はい?」
「あ、や、いや……っ! ……なんでもない。気にしないでくれ」
思わず口に出してしまった名前、慌てて拾い、喉の奥に隠す。似ているだけだ。こんなところにティリルがいるわけない。わかっていても心臓の音は早くなり、緊張する体をなかなかほぐせない。
ティリルによく似た少女は、そのまま俺の隣に、すっと座ってしまった。もうすぐ帰るし座らないで欲しい、と、顔を見てしまうとそんな拒絶の言葉がどうしても吐き出せない。どころかついまじまじと見つめてしまい、さすがに訝しく思われたか、「私、何かおかしいですか?」なんて質問されてしまった。
「いや、いや! おかしくなんてない。ただその、知り合いにすごく似てて、それで……」
「まぁ、そうなんですね。ひょっとして、お客様のお想いの方ですか?」
「あー……、……うん、まぁ、そうなるかな」
濁った言葉で答えながら、グラスを大きく口に向けて傾けた。喉が、焼ける。
「正直、最初は本当にあいつなんじゃないかって思ったくらいで。けど、あいつがなんでこんなところで働いてるんだ、そんなわけないだろって……。あっ、すみませんこんなところなんて言っちゃって……」
「ふふ、気にしませんよ。それよりも光栄です。お客様の大切な方とそっくりだなんて。きっとその方は私なんかよりもずっと、かわいくて素敵な方なのでしょうに」
「あ、や……」
そんなこと――。即座に否定できず、また酒を喉に流し込んで話をごまかした。
「その方はなんてお名前で、お客様のことを何とお呼びになるんですか?」
随分と踏み込んだことを聞く。先程喉の奥に隠したはずの幼馴染の名前を、こんなところでまたしても零してしまったのは、きっと、相当酒にやられていたからだろう。
「まぁ」何に感じ入ったのか、少女は俺の答えに、両手を合わせて目を輝かせた。
「君は……、何て名前なんだ?」
「ふふ、私は、ティリアと申します。不思議なご縁ですね、名前まで似ているなんて」
確かにそっくりな名前だ。あるもんなんだな、偶然って。本当か嘘かも確かめないまま、純朴にそんなことを思った。
「あの、ウェルさん。もしよろしければ――」
ティリアは俺の胸に両手を乗せ、下から覗き込むように俺の顔を見た。息が聞こえるくらい、近く。
「もしよければ、私、今日だけあなたのティリルになるよ? ウェル……」
そして、上目遣いに唇を丸める。いや、……まずいだろ。こんなのダメだろ。
俺の上でふふっと悪戯っぽく微笑み、それから彼女はふいと体を離して、俺の飲みかけのグラスに手を伸ばした。
「え、それは俺の――」
「にがぁい」
一口舐めた程度のティリア。顔を歪め、俺の前にグラスを戻して。
「よくこんなに強いお酒飲めるね」
「え、……え?」
「ちょっと会わない間に、ウェル、すっかり大人になっちゃったんだね。なんだか淋しい」
下唇をツンと尖らせ、拗ねたように小さくそっぽを向くティリア。だからまずいだろ。こんなの絶対ダメだろ。彼女はティリルのことなんて名前しか知らないはずなのに、話し方までどうしてこんなに似せられるんだ。
「ねぇ、ウェル」
「な、……な、…………何?」
眉をへの字にしたまま、また俺の腕に寄りかかり。
「私のことも、大人にしてほしいな」
俺の胸に頭を乗せて、おもねった。
やばい。こんなの絶対ヤバい。わかってる。ティリルはこんな、品のないことはきっと言わない。わかってるんだけど、それでもこの顔とこの声でこんなことを言われてしまうと、反応してしまうのが男の悲しい性ってやつで。
もう、舞台の上の景色も音楽も、まるで入ってこない。目の前の少女のことで、胸がいっぱいになってしまっている。
「の、……飲みたいんだったら、飲んでいいぞ」
「もぉ! そういうことじゃないじゃない! 苦いって言ってるのに」
ふんと鼻を鳴らして、一度俺から離れるティリア。かと思うともう一度グラスに手を伸ばし、グラス三分目ほどまで残っていた酒を自棄気味にぐいと飲み干した。
「お、おい?」
「ぷふぁ……、喉があつぅい」
グラスを抱えて息を吐く。演技か本気か、目がとろんと蕩け始めた。
「だ、大丈夫か?」
「うふふー。ウェルが飲めって言うから飲んじゃったー。苦いし、辛いねぇ」
「飲んじゃったって……、そんな一気に飲むもんじゃ――」
「あー、なんだかふわふわするー。ふふ、ねぇウェル。私ちょっと、横になりたいな」
「え、それは」
戸惑い、周りを見る。十人は座れるはずの広い個室席に、もう今は俺達しかいない。
「具合悪いなら、ここで少し横になっても」
「ここじゃゆっくりできないよ。ね? 私、上のお部屋に行きたい」
「いや……、それは…………」
「だめ?」
「うぅ、それは、その……………………」
潤んだ瞳で見詰められ。
俺自身も酔っ払っていたんだと思う。酒と、それから彼女に、相当酔っていたんだ、と。
…………。
気が付くと俺は、狭い薄暗い質素な部屋の中、唯一立派な調度品として置かれた白いベッドの上に、ティリアと並んで座っていたのだった。




