第87話「架空」
「裕一郎さんは本当に優しくてね。その間も『給料だ』と言って湯水のようにお金をくれた。『こんなもの要らないです』って言うと、困ったような顔をされるから仕方なく受け取っていたんだけどね。
そんな日々を過ごしていたら、少しずつ自分のことを話してくれるようになった。仕事人間だった彼は、昔、離婚していたみたいでね。俺と同じ歳の孫がいるんだって嬉しそうに話してくれた。一度も会ったことがないけれど、別れた奥さんからハガキが届くみたいでさ。俺は、その孫に似てたんだって。……死ぬほど謝られたよ。本当に裕一郎さんは死ぬ間際まで謝ってたんだ。『こんな老害に付き合わせてしまってすまない』『誰かの代わりに優しくしていてすまない』『面倒くさいことになってしまってすまない』何度も何度も謝るから、その度に『気にしないでください』って言うんだけど、そうするとやっぱり困ったような顔をするんだ。だから、いつしか彼の謝罪も受け入れるようになって……息を引き取る時まで、俺は言葉を受け入れることしか出来なかった」
涙声に嗚咽の音が色濃くなっていく。つられて歔欷の声を上げそうになって呑み込んだ。
「自分が死んだら会社に戻れるようにしてある。でも遺産を残しておくから働かなくても生きていけるだろう。お金しかあげられないけど、これで自分の人生を生きてくれ。人生を取り戻していいんだよ。そんなことを繰り返して……最後まで苦しいとか怖いとか何も言わないで……。
俺は、あれからずっと後悔してる。ちゃんと伝えたかったんだ。生きていい、って言ってくれてありがとうって。誰かの為の優しさでも俺は救われた。救ってくれたんだから、謝らなくていいんですって……ちゃんと伝えたかった。ちゃんと伝えれば良かった。裕一郎さんの謝罪を受け入れなければ良かった。『違います、俺はあなたのお陰で幸せになれたんだ』ってちゃんと伝えたかった」
「『ちゃんと分かってたよ』」
「え……?」
「『ゴメンね。カズ君が謝ってるのを私は何度も聞いていた。謝らせてしまってゴメンね』って仁科さんが言ってますよ」
「どこ?」
「あなたの左後ろです」
狼谷君の言葉を疑う様子もない彼が背を仰ぐ。勿論、私には何も見えないし、彼にも見えない筈だ。それでも狼谷君に言われた場所を見つめる様は、見えているかのようだった。
「裕一郎さん、すみませんでした……何も出来なくて……」
「『謝らないでくれ。謝られることがこんなに心苦しいなんて知らなかったんだ。泣いてる君の背中を擦ることは出来ないし、謝らなくていいよって言うのも伝わらなくてね。幸せに生きてくれたらそれで良かったんだが、やはり君は誰かの為に生きてしまうみたいだね』」
「すみません……すみません、俺、折角裕一郎さんに〝普通〟にして貰ったのに」
「『カズ君の人生だ。好きに生きなさい。私があげたものは既に君のものだ。君がどう使おうと自由なんだから』」
「ありがとうございます……!」
深く頭を下げた綾崎が、床に額を擦りつけている。言いたかった言葉を酌み交わした彼らは、きっと救われたことだろう。けれども、傍から見ていれば、とても幸せそうには見えない。それでも、振り向いて座り直した彼の顏は、憑き物が落ちたような顔をしていた。
「ありがとう。君のお陰でもう一度話が出来た」
「あなたは俺を疑わないんですね」
「裕一郎さんは視える人だったんだよ。まさか彼と同じ人に、事件の真相を暴かれることになるとは思ってなかったけどね」
「そうなの!?」
「あはは、刑事さんは本当に何も知らなかったんだね。君は知っていたんだろう?」
「はい」
それならそうと言ってくれたなら良かったのに! 胸中で叫び、狼谷君を睨み付ける。涼しい顔を携えた彼は、私のことなど見もしなかった。




