第72話「生きた空がない」
「犬養さん?」
「愛を知らない子供ってのはいるのかな」
「え?」
「永の身体には痣があった」
彼女が、やたらとのめり込む理由はそれだったのか。腹の底に何かがストンと落ちる。それを聞いてしまえば、私も引き下がるわけにはいかなかった。
「虐待ですか?」
「そうだろうね。転んだにしては不自然な位置に痣があった。それと永の家の郵便受けを見たかい?」
「いえ」
「督促状が沢山あったんだよ。給食費も払われていなかったみたいだね」
「永君は、お菓子を沢山食べてました」
「そうだね。服も汚かったから着替えさせたんだけど、湶が浮いてたよ。それだけじゃ何とも言えないけど、もしかしたら綾崎は永の為に捕まったのかもしれない」
「それは暴いてもいいことなんでしょうか……?」
「永は暴いて欲しいと思ってるみたいだよ。そうじゃなくてもアタシ達は刑事だ。真実に勝るものはないと思ってる」
そろそろ出るか、と告げた犬養さんに付いていく。ヒールを引っ掛ける彼女は哀愁漂う表情で更に続けた。
「警察の仕事は市民を守ることだ。殺人犯を捕まえるのも、子供を虐待から救うのも、同じ『守る』。たしかに犯罪者を捕まえるのは難しい。でも、これはこれで難しいんだよ。心を守る仕事だからね」
心を守る。その発想はなかった。けれども蟹江君のことを思い出し、苦い感情をも掘り起こされる。アレは心を守れなかった結果だ。つくづく〝守る〟という行為は難しい。
部屋を出て鍵を差し込む様を眺めていれば、彼女が顔を上げ、ヒールを鳴らした。
「さてじゃあ聞き込みに行くか」
「え? 大丈夫なんですか?」
「警察手帳があれば意外とバレないものなんだよ」
悪戯っ子のように口角を上げた彼女が土岐家の呼び鈴を鳴らす。暫くすると、土気色の顔を携え疲れた様相の女性が顔を出した。
「はい……」
「お休みのところ申し訳ありません。永君のことでお話を伺いたくて参りました」
犬養さんが警察手帳を取り出し、彼女の鼻先へ突き付ける。私も胸元からそれを取り出し、菫さんへ見えるよう翳した。
「あ、あの……まだ何か……?」
「何かお困りではないかと思いまして」
「何も困ってません……! 御引取りください!」
勢い良く閉められた扉に犬養さんが爪先を引っ掛ける。僅かな隙間から何かを吹き込んだ彼女は、幾許か強引に見えた。
暫くすると人が入れるくらいの余裕が出来る。中へ招かれた私達は、彼女の指示でダイニングテーブルの椅子へ腰掛けた。
何度か顔を合わせたが、菫さんはこんなに老けていなかったような気がする。コーヒーを淹れる足取りも覚束ない。彼女のそんな姿は、見ていて不安になるようなものだった。




