第65話「戯る」
「どうしていつも私達の思いを汲んでくれないのですか? 死んだ人だって生きています。自分の身体が、ぞんざいに扱われる様を見て気持ちのいい人はいないじゃないですか。だから、もう少し思いやりを……」
「死人は話さん。幽霊はいない。俺は生きている人間の為に働いているんだ!」
「私は生きています! でも猿島警部の思いやりなんて一度も感じたことがありません!」
もう滅茶苦茶だ。頭の中は整理整頓出来そうもないし、双眸からは露が溢れてきている。ましてや上司に平手をかますなど、もしかしたらクビかもしれない。
「殺人はいけないことです。今回、蟹江君がしたことを私は許そうだなんて思っていません。でもココまでしなくちゃいけなかった蟹江君の想いを、私は汲みたい……そして、もう二度と蟹江君のような想いで罪を犯す人がいなくなればいいって思うんです。だから猿島警部も変わってください。真実が優しくないのなら、真実を求める私達が優しくなくちゃいけないんです。現実は残酷で無慈悲で痛みを伴います。だから残酷を和らげて、無慈悲に慈悲を混ぜて、痛みを治す人が必要なんです。私達刑事が、残酷を和らげてあげなくてどうするんですか? 残酷に辛酸を混ぜたら、被害者の家族が救われないじゃないですか!?」
猿島警部の胸元へ縋りつくかのように嗚咽を上げる。そのまま崩れ落ちる私は、冷たい宿雪へ身を埋めた。
私の言葉は猿島警部に届いたのだろうか。私に優しくして欲しいわけではない。蟹江君や周りの人に優しく在って欲しいのだ。
犬養さんを抱く彼は本当に心配しているようだった。その心があれば、きっと変われる。変われる筈だ。だから、悲しい現実を繰り返さないように生きて欲しかった。蟹江君にも猿島警部にも。
「上司を殴るとは随分と骨があるな」
嫌味と共に茶羽織が降ってくる。刺々しい筈の口舌が穏やかな声音を保っているものだから驚愕を隠せない。顔を上げた先には、いつもの凛々しい猿島警部がいた。
痛む箇所を押さえた彼が蟹江君の目の前に立つ。暫し視線を絡めていたかと思えば、震える唇を開いていた。
「悪かった」
「……何に対してですか」
「全てにおいてだ」
腰を折った猿島警部が蟹江君に謝罪を告げる。それを冷めた眼差しで見下ろす様に、一生赦す気はないのだ、と悟った。
「早く捕まればいいんじゃない。もう俺は刑事じゃない。アンタを殺そうとした加害者なんだから」
「蟹江さん」
「なぁに、狼谷青年」
「アナタは陽正に逃げて欲しかったんですよね」
「なんで?」
「『陽正、逃げろ』って、そういうことだったんでしょう? 結局、陽正は逃げきれなかったみたいですけど」
それは私が悪かったのだろうか。未だ痛む頭に手を添え、苦笑を浮かべる。「どうだろうね」と告げる蟹江君が真実を語ることはなかった。




