第57話「深戯れ」
「当たり前でしょ。意味不明な謝罪をぶつけられた方の身にもなってよ」
確かにその通りだ。彼からすれば勝手に近付いて来て、勝手に離れた人間なのだから。
「それで離れてどうだった?」
「どう、だったのかな。でも懐かしいと思えないあたり寂しかったんだと思う」
「寂しい?」
「うん、狼谷君の嘘が恋しくなっちゃった」
「馬鹿じゃない」
「もうそれは聞き飽きたよ」
「それで? 俺とは、どう付き合ってくつもり?」
「……協力して欲しいの。本当は知ってるんでしょ?」
「何を?」
「犯人」
狼谷君は気付いていた。そして言えなかった、ということは……そう考えると自ずと答えが出てくる。私に言えない相手、彼が言いたくない人間の名。本当は私だって疑いたくなどない。それでも、これはいけないことなのだ。
「嘘を吐いてくれてたんでしょ? 優しい嘘を」
「違うよ。〝言わないで〟って言われたから言わなかったんだ」
「なら良かった」
彼の口にしている言葉は真実なのだろうか。真偽のほどは定かではないけれども、一つ分かったことがある。狼谷君は犯人を知っているのだ。
「お二人さん、そろそろ戻ったらどうかしら?」
部屋から出てきた女将さんが私達に声を掛ける。話に夢中になっていた私は扉の開閉音に気付くことが無かった為、少しばかり驚いた。
「あ、はい。中の様子は……?」
「犬養様が猿島様に話をして納得してらっしゃいましたよ」
莞爾として笑う彼女の顔には人柄の良さが表れている。礼を言う私に頭を下げたかと思うと数歩歩み、思い出したかのように此方を振り仰いだ。
「あの、こんな時に申し訳ないのですが……」
「何かあったんですか?」
「あったと言えばあったのですが一応……昨日、財布を失くされたと、お客様から届け出がありまして。従業員で探してみたのですが見つからなかったので、もし見つけたらお声がけくだされば、と」
「分かりました。窃盗の疑いは?」
「それが……お客様が大変お怒りでして。昨夜の騒ぎがあったことで、なぁなぁになっていたのですが、本日中に見つからない場合は窃盗で訴えてやる、と」
「此方でも探してみます。騒ぎが大きくなっても大変でしょうから、何かありましたらお声がけください」
「助かります。犬養様には言い出しにくかったもので」
「あんなことがあったら言えないですよね」
曖昧に笑む女将さんが深く頭を下げる。楚々とした背中が去っていく様は、同性の私から見ても感嘆を漏らしてしまうほどだった。やはり着物を身に付ける人は姿勢がいい。
「陽正、コレなんだと思う?」
革の財布を取り出した狼谷君が妖艶に笑む。一瞬、疑問符を浮かべたものの、状況を理解するには十分だった。
「なんでさっき出さないのよ!?」
「コレが俺の計画だったんだよね」
「計画?」
「そう。昨日の猿島の騒ぎに乗っかって野次馬から拝借したんだ。コレを返すから俺の話聞いてくれる?」
「それ窃盗罪だよ!? 犯罪!!」
「証拠は? 証拠がないと俺を捕まえられないでしょ?」
「今ならさっきの猿島警部の気持ちが分かるわ!! 警察にはね!? 現行犯逮捕って手があるのよ!? その手に持ってるものは紛れも無い物的証拠なんだから!?」
「チッ……」
舌打ちを決められ、青筋を浮かべる。けれども、すぐに彼の口舌が矛盾していることに気付いた。
ああ、そういえば彼はオオカミ少年だったのだ、と口端を吊り上げる。そんな私を見止めた彼は艶やかな眼差しをしていた。
「いいよ。聞いてあげる」
「急に上から目線」
「教えてください」
「いいよ。教えてあげる」
彼はそうして、また嘘を吐いた。




